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アレクサンダーテクニーク

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いつでも近道。

いつでも近道。

同じものを体験したとして、
その体験を伝えるときに
違う言い方ができる。

伝えようとしている相手が
同じような体験を経験できるように
あれこれ考え、
実感できるようにしようというもの。

はたまた、自分が体験したものを
伝えようとしている相手が
自ら体験できるように
導いていこうとするもの。

前者はワークショップや
体験レッスンなどでよくあることですよね。

後者は個人レッスンや指導者になるた

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禅とテクニーク。

禅とテクニーク。

禅を実践している生徒によく言われたんです。
ほんとに同じことを言ってますね、って。

なにもしない、って。で書いたのは、
聞きかじった知識でいうと、
妄念がよぎっても、ただよぎったなというだけで、
それに対してなにもせず、
ただただ座禅を組んで
座っているだけ、だそうです。
この時よぎってしまたが最後で、
妄想を払おうとしたり、
無かったことにしようとしたり、と
なんとかしようとするんだそうです。

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すぐに効果があるものって。

すぐに効果があるものって。

欲しいですよね、そういう情報。

その情報が自分にピッタリ当てはまる。
そういうことって、あります。

すぐに効果が出て欲しい時って、
なにかしら困っているときで、
どうしようもなくなっている時です。

いろいろ考えて
「あーでもない、こーでもない」
とやっていると、
なぜだか向こうからやってくるんです。

わたしにとって
アレクサンダーテクニークがそういうものでした。

たまたま手に取った雑誌に

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骨とか筋肉とか。

骨とか筋肉とか。

それはそれで効果が感じられるもの

否定しない、とか、
身体の地図を実際の身体に落とし込みましょう、とか、
いろいろなやるとすごく効果があって
今までなにやってたんだろう、的な
ホントに劇的なんですよ。

わたしも初めてレッスンを体験した時
今まで考えていたこと、
解決したいと思っていたことが、
解消するかもしれないって思いましたから。

そこから臍を曲げましてですね、
通っていた学校のレッスンに

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構えない。

構えない。

なにも難しいことはしていないかのように。
これからすることを意識しすぎないように。

起こってほしいことに
意識を持っていかれないようにする。

持っていかれないようにでは、
正確な言い方ではないですね。
持っていっているのは
自分自身なんですから。

いわゆる「集中」という名の
意識の持ち方ではないんです。

集中ってどんなイメージがありますか。

意図するものに全神経を集めて、
意図しているも

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それが問題だ。

それが問題だ。

私たちはやろうと思ったことをやっているんです。

動きを改善しようとした時に
あなたが持っているイメージとは
違うイメージで動くことを知り、
そのイメージで動くと
いつもとは違う動きができます。

骨の構造を知り、
筋肉のつき方を知り、などなど。
それらは確かに効果があります。

私が問題としているのは
その次の一歩なんです。

私たちは動くとき、
ほとんどなにも考えずに動くことができますし、

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ああすれば、こうなる。

ああすれば、こうなる。

身体を意識して動かす。

という時、
どうやって動かしますか。

歩く時を例にすると、
どちらかの足を前に出して、
どのくらいの幅で動かし、
段差がないか確認して、
どのくらいの速さで動かすかを決め、
前に出した足が着地したら、
今度は反対の足を同じように動かして、、、、
とすることだと思うのではないでしょうか。

こんなことしていてはなにもできません。
当たり前ですよね。

私が言いたいことは、

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なぜなぜ?

なぜなぜ?

何かを学ぶって
色々な知識やなんやかやを
覚えることとは違います。

自分を深く知ることで
色々な見方ができるようになることです。

これがいわゆるお勉強とは違うところです。

最新のなんちゃらと喧伝することに
わたしが胡散臭さを感じるのは
こういったところからです。

色々なことをするのは
知りたい欲求の現れだと思うので
それ自体を否定はしません。
というより、
興味があれば知らず知らずのうちに

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がんばる!

がんばる!

がんばるの定義にもよりますが、
闇雲に、がむしゃらに、など
考えもなしに、あれこれやる、
という意味だとすると、これは
たぶん、うまくいかないです。

考えないということは、
自分の動きのパターンの中からしか
引き出せないですし、
繰り返し繰り返し、
今までやってきたことを
間違っているかもしれないことを、
強化することになっているかもしれません。

これではますます
まずい方へ行ってしまいます。

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「間違い」ってなに。

「間違い」ってなに。

間違った使い方をやめることで
よりよい使い方を条件づけるようにしていく。

アレクサンダーテクニークってどういうものか
と聞かれた場合こうも言えるかと思います。

間違った使い方?
そもそも使い方って?
条件づける?

簡単な説明のはずが
全く意味が伝わらないんですよね。

条件づけるとか
パブロフの犬かってくらい古い言い方。

アレクサンダーさんがその時代の人なので
そういう言い方をしてしまうと

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「人はそれをできない。」

「人はそれをできない。」

パトリック・マクドナルドさんの言葉です。
(アレクサンダーテクニーク-ある教師の思索 より)

教師からこうですよと
手で示してもらったり、
言葉で言ってもらったりしても、
いざやろうとすると、私たちは
できないんですよ。

少なくともわたしはできませんでした。

いつも通りしたいという
とてつもない強固なもの
「自分の中の正しい」が、
すぐに顔を出してきて、
一瞬前まで、行動を起こす前まで
思っ

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間違いを。

間違いを。

すぐに訂正しようとすること。

落ちたものはすぐに拾わなきゃっ、とか、
間違いはダメっ、って思い込みありませんか。

最近思うんですよ。
間違いがない人なんていない、って。

そのままでいいんだよ、とか言うつもりはありません。

間違っているなら訂正しようとする。
これは大事なことです。

でも、でも、ですよ。
他のことは放っておいて、パッと
間違いにだけ飛びついて
なんとかしようとすることって、

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答えと自分。

答えと自分。

自分を通して検証するのか、
検証されたものを自分に当てはめるのか。

むかーし、算数で検算というものを習いました。
答えが合っているかを確かめるためです。

でも、これって、確かめるというよりも、
道筋をもう一度通りなおすことのほうが
重要なんじゃないかなって。
もしくは、別の視点でたどり直してみる。

最新の科学や、なんちゃらが
出した答え、多分本当なんでしょう。

でも、それを自分自身に
その

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「やめる」と「やる」。

「やめる」と「やる」。

二つの境界線がわからなくなるんです。

久しぶりに受けたレッスンで
わたしがやってしまっていることを
教えてもらったんですが、
そのやってしまっていることを
やめるために、
「なにもしなーい、なにもしなーい」と
思っているのですが、
思い続けていると、すぐに
あれ?これ、いま、
やろうとしているのかもしれない、と
そんな気がしてくるんです。

やめようとしているのに、
やろうとしてしまっているかも

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