『はりつけ松跡』-創作の悲話が伝承する跡地と地域振興
偽史、フェイクロア、創られた伝統といった背景を持つ場所や存在を、現実と妄想が交差する「特異点」と捉え撮影する記事。今回は、兵庫県丹波篠山市にある『はりつけ松跡』を取り上げる。
『はりつけ松跡』とは
明智光秀の母親が殺された場所
『はりつけ松跡』とは、戦国武将・明智光秀の母親、牧が殺害されたという場所。兵庫県丹波篠山市の高城山の山中にある。ここは、室町~戦国時代にかけて築かれた「八上城」が存在した場所で、波多野氏が本拠地としていた。
波多野氏の降伏条件として人質となったお牧
1578年、織田信長より八上城攻略の命を受けた光秀は波多野氏と激突した。しかし八上城の強固な守りを前に、容易に落とせないと判断した光秀は兵糧攻めで波多野側を衰弱させていく。
そうして次第に餓死者が増える中、1579年、籠城を続ける城主の波多野秀治に対し、光秀は身の安全を保障に降伏を提案。その際、自身の母親・牧を人質として差し出した。条件を受け入れた秀尚らは捕縛され、信長のいる安土へと送られる。
しかし、信長は約束を破り秀治を処刑。これに激怒した波多野の家臣は、牧を磔にして殺害する。切断された首は木に縛られていたという。
この信長の裏切りに恨みをもった光秀は信長に謀反する。これが諸説ある「本能寺の変」真相のひとつといわれている。
しかし、この一連のストーリーは、後世創られたものだとされている。
牧とはどんな人物なのか
当時の一次史料に記述がない
まず光秀の系図には確定的な情報が少ない。その中でも母親の名は、当時の一次史料で確認できない。
丹波新聞の取材では、戦国武将・武田義統の妹ではないかとの見解を述べている。
人質としての価値はあったのか
江戸時代中期に書かれた『明智軍記』(史料的価値は低いとされている)によると、八上城攻め時、光秀は52歳。母ともなると、±20歳と見積もって70歳前後だろう。そんな年齢の人間が戦に出ていたか。そして、そのような老齢の人間に、人質としての価値があったかはかなり怪しい。
では、どういった経緯でこの悲劇のストーリーが、現在に至るまで語り継がれることになったのか。
創作として広まる「人質説」
「母が人質となった」という話は江戸時代以降に創られた
NHKの大河ドラマで時代考証を多く担当した歴史学者・小和田哲男氏によると、「江戸期に始まった可能性が高い」という。
1685年頃に完成したとされる、遠山信春の『総見記』。これは、織田信長の事績をまとめた文書である。ここに、最初の「母が人質」となる話が登場する。しかし歴史学者の高柳光寿氏は、『明智光秀』(吉川弘文館、1986年)にて、そもそも一次史料として信憑性が高いとされる、太田牛一『信長公記』に母に関する記述がない点や、『総見記』の物語的要素の強さから、史料的価値は低いと述べている。
また『総見記』は、儒学者・小瀬甫庵によって書かれた『信長記』を参考に書かれている。しかし、この『信長記』自体も、『信長公記』を元に書かれた二次史料で、創作の要素が多く、史料的価値が低いとされている。
なお実際は、光秀軍は波多野軍に対し優勢だったという。そのため歴史学者・二木謙一氏によれば、母親を人質にする必要には迫られることはなかったのではとの見解を述べている(『明智光秀のすべて』新人物往来社、1994年)。
世間に浸透していく悲話
後の書物に転用されていく
史実とは違ったとしても、話の劇的さはある意味ウケやすい。結果的に、その後『川角太閤記』や『絵本太閤記』等の書物にも牧の悲劇は描かれ、世間に浸透していく。
NHK大河ドラマにて牧の処刑シーンが描かれる
1996年に放映されたNHK大河ドラマ『秀吉』。その劇中にて、野際陽子氏演じる母が木に磔にされ、槍で処刑されるシーンが描かれ、大きな反響を呼んだ。なお、2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』では、磔にはされていない。
地域のPR材料として脚光を浴びる『はりつけ松跡』
大河ドラマの勢いを借りた宣伝が行われる
2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』。主人公は、長谷川博己氏演じる明智光秀である。このドラマを地域のPRに生かすため丹波篠山市では、「大河ドラマ推進準備委員会」が発足。そしてそのPR策に、「母・牧の悲劇」が大々的に用いられ、メインビジュアルには、涙ぐむ牧の姿が描かれている。
こうして『はりつけ松跡』は、悲しきドラマの跡地、かつ地域の観光資源として大きく飛躍した。
終わりに
創作として楽しむロマン
『大山崎歴史資料館館長』の福島克彦氏は、丹波新聞の取材にて、「江戸時代の人々は、なぜ光秀が信長を裏切ったのかという理由を探したかったのでは」と述べている。
史実ではないという指摘は、歴史学の観点では重要だろう。一方で、丹波篠山市は、俗説であるとした認識した上で、伝承も歴史の一つとして、地域にとって大切なものであるとしている。
これまで私の記事で取り上げたものと違い、『はりつけ松跡』はどこか様相が違う。それは恐らく、「歴史のロマンを感じよう」という外連味のようなものが、他より強く感じられるからではないかと考える。
そういった意味では我々も、「史実ではない」と目くじらを立てるよりは、創作と分かった上で楽しむ名(迷?)スポットと認識するぐらいがちょうど良いのかもしれない。
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