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『太郎稲荷神社』-熱狂的な信仰を集めた名もなき神

偽史、フェイクロア、創られた伝統といった背景を持つ場所や存在を、現実と妄想が交差する「特異点」と捉え撮影する記事。今回は番外編として、東京都台東区にある『太郎稲荷神社』を取り上げる。


『太郎稲荷神社』とは

江戸時代に、病除け・病気平癒の神としてブームとなった神社

『太郎稲荷神社』とは、東京都台東区入谷にある神社。浅草田圃(浅草新吉原にあった水田地帯)にあった、九州・柳川藩立花家の下屋敷の鎮守として、国元から勧請された。
ここは江戸時代、疫病に対する除けや平癒を祈願する場所として、一時期大きな信仰を集めた。

神社外観。民家に挟まれるようにひっそりと存在している。

きっかけは、1803年、立花家の嫡子が麻疹に罹るも、毎朝太郎稲荷へお詣りしたことで治ったという。その噂が流布し、太郎稲荷は「流行神(はやりがみ)」として多くの参詣者を集めた。

当時は、火事や地震ともに疫病が恐れられていた。中でも、疱瘡・麻疹・水疱瘡は人生で通過する「お役三病」と呼ばれていた。これらは、一生に一度しかかからないものの死亡率が高いため、無事に快復することが何より重要だった。

そうした経緯もあり、神社の盛況ぶりは凄まじく、毎月の賽銭は百両に迫る勢いで、柳川藩にとっては想定外の副収入だった(江戸時代、長屋住まいの四人家族であれば、一両で一ヶ月暮らすことが出来たという)。
そこでは藩は、殺到する参詣客に対し許可証を発行。月1〜2回程度の許可日が設けられた。だが、その制限がかえって、偽造許可証や無許可のお守りが作られる事態を招くなど、今では考えれないムーブメントとなっていたという。

元は大名屋敷の敷地内にあった「屋敷神」

福岡県柳川市にある柳川城内に祀られていた立花家の屋敷神である「稲荷社」が、江戸の屋敷に分祀されたのが始まりだという。よって、太郎稲荷は江戸の産土神や病にまつわる神といった類ではない。

社殿外観。
社殿内部。以前は、太郎稲荷を守る地元住民の活動写真が多く飾られていたそうだが今はない。

なお稲荷社は、戦国武将・立花道雪が、護軍の神として稲荷明神を信仰しており、京都の伏見稲荷大社から分霊を勧請したもの。そして1948年、柳川城の社は、福岡県柳川市の日吉神社の境内に遷座された。

他の稲荷神社同様、こちらにも稲荷神の使いである狐の像がある。

太郎稲荷から波及したもの

太郎稲荷の流行は、現代におけるメディアミックス的な波及にまで広がる。

1804年、太郎という狐が主人公の『太郎稲荷御利生記』という絵本が作られる(下のリンクから閲覧可能)。

浮世絵師・歌川芳盛による『流行諸願請取所』では、太郎稲荷大明神と清正公大神儀が、互いの名声を競い争う場面が描かれている。

また、落語の演目「ぞろぞろ」で、太郎稲荷が舞台になるなど、広く人気を博した。

太郎稲荷のその後

一時は存続の危機に立たされるも何とか残る

疫病の流行に合わせてか、太郎稲荷は3度ほど流行したようだが、最初のブームから2年程度で人気は衰退したという。
そして明治維新後、廃藩置県の影響で太郎稲荷は存続が危ぶまれる。しかし、地元住民からの声で、東京都江東区の大島稲荷神社に分祀されつつ、太郎稲荷の社は入谷にひっそりと残された。

太郎稲荷の敷地は、商業地として再開発する目的で、京橋の時計商人の手に渡った。その結果、自分の土地にえたいの知れない神がいることを嫌った持ち主の意向で、太郎稲荷を江東区の大島神社に合祀する話も持ち上がった。結局、地元民からの嘆願もあり、大島神社に分祀はされたが、太郎稲荷も残されたのである。

PRESIDENT Online(アクセス日:2018年9月4日)
大島稲荷神社外観。
撮影時も地元住民が、数十分に一回は参詣に来ており、愛されていることがわかった。
こちらにも同様に狐の像。

終わりに

科学や医学が進歩しても、変わらない精神性

疫病に対し、「神頼み」という精神性の強い行為は、何も昔の話ではない。罹患時には病院で専門的な治療を施してもらいつつ、それとは別に、神社で祈願したり、お守りをもらうようなことは、現在でもよく行われる。

また呪術的アプローチとしては、新型コロナの流行時に再発見された妖怪「アマビエ」が記憶に新しいだろう。その姿を描き写し、人に見せることで、疫病の流行を防ぐご利益があるという江戸時代の伝承が、現代においてブームとなった。実際心からその伝承を信じた人がどれくらい居たかは分からないが、行政や企業もこぞって取り上げるなど、SNSを中心にちょっとしたミームになった。

現代科学・医学を知る我々の合理的な視点。受け継がれてきた日本の文化・精神性の視点。『太郎稲荷神社』は、変容してきた価値観の地層に思いを馳せながら、歴史を感じられる場所なのかもしれない。


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