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変わった社名の変わった役職名の謎な人が、けんすう広告に出稿するまでの話

「物語思考」でコンセプトメイクする会社って?!

・ひとまず自己紹介

みなさん初めまして!!
ランニングホームラン株式会社 CCO (Chief Concept Officer)のさわくんと申します。
弊社はコーチング×クリエイティブの力を駆使し企業のポテンシャルを快放する「コンセプトメイク」の会社です。法人格の「理想のあり方(コンセプト)」をコーチングの力で抽出、キャラクターとして具現化し、クリエイティブの力で抽出した「理想のあり方(コンセプト)」をインナーからアウターまで全て一貫して体現させることを強みにしております。

中高6年間引きこもり生活。その後一念発起し、偏差値18から1年で早稲田大学教育学部に現役合格。学生時代に延べ3000人以上の人々にコーチングを提供。そこでの経験を元に中高生向けの探究学習教材を出版、多数の中高へ導入する。その後、ランニングホームラン株式会社に新卒入社。オウンドメディア、ブランディングメソッド、就活事業など数々の自社事業を立ち上げ新卒2年目にしてCCO(Chief Concept Officer)に就任。プライベートでは12歳年上の嫁と12歳の娘と100人シェアハウスでカオスに生活。自身のコンセプトは「天上天下唯我独尊」。この世全ての人々のクリエイティビティを愛し、快放して回るのが人生の趣味。

さて、勘の良い方でしたらもうお気づきかもしれません。つまるところ弊社は、けんすうさん著「物語思考」の法人版を提供していると言っても過言ではないほど手法から思想までめぇちゃめちゃ共通している会社となっております。

・で、なんでけんすうさん広告に出稿したの?

大変失礼な話なのですが、私自身は「物語思考」を知るまではけんすうさんのことは「なんかTwitter(X)でよく見る人だなぁ」くらいにしか存じ上げておりませんでした。
が、「物語思考」の出版の際に偶然流れてきたtweetを拝見し、「むむ!?なんだか似たかほりがする!!」と直感で察知し著書を拝読、「めぇちゃめちゃ考え方似てる!おったまげ!ぜひ、一度話してみたい!」と思い、一か八かに賭けてDMでアポイントのお願いをしたためようとしていました。

まさにそんな時です、

このツイートをまたまた偶然にも、投稿から数分もたたないうちに目撃したのでした。

これはもう、天啓以外の何者でもない!!

と思い、急ぎ会社のスラックでシャッチョにマッハで交渉を開始。

これまた偶然シャッチョがマッハで返信、許可を高速で獲得。
爆速で申し込みをし、広告枠の獲得に成功するに至った訳でした。

ランニングホームランけんすうさん。
とても可愛い😇

・物語思考とランニングホームランを紐解く流れ

さて、という誰得な感動秘話はここまでにして以降の文章では、
・「物語思考」の法人版ってどういうこと?
・けんすうさんとランニングホームランの考え方の共通点って?
ということについて、ガッツリ時代の流れや学術的な考察も加えつつ紹介して行きます。

これまでの「やりたいこと(DO)」が中心の思想・手法の流れから、「在り方(BE)」から個人・法人を導く思想や手法に共感が集まること。

それは、ただ単なる1手法のバズに留まらない、時代の鍵となるような動きであると僕は確信している。

そんな話をけんすうさん(そして、「物語思考」の発想に共感する皆様)へのラブレターとして、お送りできればと思います。


そもそも物語思考とは?

・「やること(DO)」より、まず「在り方(BE)」を定めよ。

一言でいうと「自分の理想どおりに人生を過ごすためには、いっそ一つの物語を作るように考えた方がいいよ」ということです。自分を主人公にして「物語を進めるように」人生を送ること。これが「物語思考」です。

けんすう著『物語思考』

けんすうさんがおっしゃる通り、物語思考とは「自分の在りたい姿(主人公キャラ)を決めた上で、その主人公キャラが物語を展開していくように、人生を考えていく発想、そしてその発想に至るための方法となっております。

これだけ聞くと、そこら辺の自己啓発本と一体全体何が違うんだと思う人がいるかもしれません。この疑問に対する回答としては、「『やりたいこと(DO)』ではなく、『在りたい姿(BE)』を軸に人生を描いていくこと」この点がこれまでの自己啓発でよくある発想と大きな違いとなってます。

「やりたいこと」を言い換えるならば目標や目的とも言えますし、企業でいうとミッション・バリュー・ビジョン、いわゆるMVVとも言い換えることができると思ってます。

これらに共通するのは「すること(DO )」を決めているということです。「早くやれ!」「成功するんだ!」「実行せよ!」、あらゆる自己啓発は基本的に「やる is 正義」の世界観でできています。そしてもう一つ大事なのが、この「する」それ自体は目的ではなく手段であるということです。最終的に辿り着きたい目的地に辿り着くためには、なんだってやる。そういう価値観がベースにはあったりします。

では「すること(DO)」の世界線の何が問題かというと、これはそのまま「在り方(BE)」がすっぽ抜けがちになり、”不自然”になることだと思ってます。

例えばけんすうさんはこのように述べています。

日本人は、ゴールを達成するよりも、その過程のほうを愛する傾向があることです。めっちゃざっくりいうと、欧米は「神から与えられたミッション」が合って、それを達成するためには手段を選ばない、という考え方をするんですね。中国も「天からの使命」みたいなイメージを持つらしいです。
今っぽくいうと、アメリカや中国は「ハッカー文化」。成し遂げたい使命のためだったら手段を選ばない、達成することが大事だ、という考え方です。
一方で、日本の伝統芸能は、茶道や武道など、「道」という言い方をすることがあります。これは「ゴールがどこか」よりも、「どうやるか」という過程の方が大事ということの表れなのではないかと思ってます。
道には基本的に終わりがありません。こうした点からも、日本人はゴールすることよりも、ゴールまでの道のりを極める方が好きなのではないかと思うのです。欧米や中国が「ハッカー文化」だとしたら、日本は 「オタク文化」と言えます。

けんすう著『物語思考』

このように、ハッカー的世界観においては手段は選ばないわけです。これは別に手段を選ばない=悪い手段だってなんだってやるということではないと思ってます。先ほどから述べている通り、在り方、けんすうさんの指摘だと「道」という観点がないところに違いがあると思ってます。

ではこの在り方=道の視点がないとどうして不自然になるのか。そして、そもそも不自然はなぜ問題なのか。

端的にいうと、「キャラじゃないこと」もDO世界線だとやらなきゃいけない、そして「キャラじゃない」ことをすると病んでしまうということです。

例えば、モテない人が「モテたい」という目標を掲げたとした時に、よくある自己啓発系ナンパ術の本だと「まず街中で声をかけよう」という話をし出すのですね。で、なぜその行動が大事か確率論などを元に説得をし、その説得にハマったモテない人が「よし!声かけるぞ!」と一瞬やる気になるけどいざとなってやめるか、やろうとしてうまくいかずに病むかのどちらかになります。

なぜか、「キャラじゃないこと」を突然やるからです。

「モテたい」と考えた時、とりうるキャラクターは様々に在ります。しかし、「女性に声をかけよう」という行動にフォーカスが当たった時、どのキャラクターとして声をかけるかがすっぽ抜けているんですね。そして、「モテたい」人が「イケメンキャラ」に本当になりたいかというとわからないですよね。キャラが自然とする行動がモテる行動だからモテるわけです。因果が逆なんです。

あるいは企業でも考えてみましょう。それまでMVVなんて掲げてなかった会社が「MVVを掲げて企業に活力をもたらすぞ!」とMVVを定めたとします。大きな目的が定まることで、「何をすべきか」が決まって社員が邁進し始めます。ただ、ここでよくミスりがちになるのが、人を「在り方」ではなく「機能」で採ってしまうことだと思ってます。目指す世界、やることにフォーカスが当たることでキャラじゃない人を採ったり、キャラじゃない行動を社員に求めてしまったりする結果、最初は行動量が増え、それに合わせて社員数も増える=成長しているように見えて、後々、社員同士がギスギスしだしたり、昔から働いていた人がごっそりやめたりして組織崩壊したりします。

これは、企業版の「キャラじゃないこと」をやってしまうパターンだと思ってます。(ちなみにこれの大元の原因は、社長がキャラじゃないことをやってしまっていることに起因したりするのですが.....)

このように、個人であれ企業であれ、「キャラじゃないこと」をやると必ず無理が生じて、そもそもやらないか、あるいはやって病むかのどちらかになるわけです。

・「在りかた(BE)」を定めれば、自ずと「やること(DO)」は生じる。

注意点なのですが、「やるな!」という話ではないんですね。ちなみに自己啓発の潮流としてこの「やれ!(DO)」の世界線とは別に「やるな!(DO NOT)」の世界線もあったりします。そこでは、個人の成長や経済の成長を批判し、「そのままでおっけい」という言説で、いかにやりたいこと(DO)を手放し現実から離脱するか....みたいなことを語り実践するわけですが。これは結局のところ、「やるか、やらないか」の違いだけで、DOにフォーカスを当てていることは変わらず逃れきれてないと思ってます。

僕であり、僕の解釈上のけんすうさんが言ってるのは「やるな!(DO NOT)」ではなく、「『やること(DO)』を決める前に『在り方(BE)』を決めようぜ」という提案なわけです。

自分のやりたいことを見つけようとしたり、キャリアプランを作ろうとしてもうまく行かない、という人は、そもそも「自分というキャラがちゃんとしてない」のが問題なんです。もしも、自分が強烈な個性を持った、魅力的なキャラだとしたら、おそらく苦労せずにそれが作れてしまうはずです。
時々いる、若いうちからやりたいことが決まっており、まっすぐと目標に向かって進んでいるような人は、だいたいキャラが立っているんです。キャラが立っているからこそ行動が決まっているんじゃないかとすら思います。
ということは、やはり本書で書いてきたように「理想の状態に向かう、一番良いキャラを設計して、そのキャラとして行動する」というのが一番、人生を動かす上で効果的なんじゃないかと思っています。

けんすう著『物語思考』

例えば僕は、日頃ブランディングのお仕事をしているのでスーパー覇王色をまとった社長たちと常日頃から仕事をするわけです。たかだか25の若造なので、普通だったらふっ飛ばされますよね?ただ僕は「天上天下唯我独尊(俺もおめえも、この世の全て等しく尊い、だから全てを愛そう)」をコンセプトに、心の中にブッタを宿して、ブッタ的に仕事をします。ブッタ的に考えれば、社長であれビルゲイツであれ、けんすうさんであれ人の子なわけで。困ってたら助ける、、、というより隣で涅槃してたり、説法してたりするわけで。キャラから考えたら全くもって不自然じゃない行動をしているわけです。ので、ビビらず愛をもって向き合うことができています。

というように、「在り方(BE)」が定まっていれば、どんな人や状況がやってきたとしても、勝手にそこで「やること(DO)」は決まるわけです。キャラがワンピースのルフィだったら、敵前逃亡とかするわけないですよね?そういうことです。

ブランディングの提案の際も、依頼される時は「他社より抜きん出る見た目にしてくれ!」「社員を一丸にし、顧客も惹きつけるようMVVを作ってくれ!」みたいなことを言われるのですが。大体、「いや、やること・掲げることを決める前に、どう在りたいのか・今どう在るのか探っていきましょうよ。」と言うちゃぶ台返し提案をほぼしていたりします。

ここが決まってないと「キャラじゃない」見た目や言い方になって、どこかで必ず破綻してしまうからなのです。

ちなみに「企業でどうやってキャラを作るの?」となりそうなのでそこだけ説明すると、「法人格」を全員で想像し創造するプロセスをとることで全員が法人格があたかもそこにいて、自分に宿っているかのような状態を作るプロセスをとってます。

MVVみたいに言葉だけ掲げられていると自分ごとにするのに噛み砕く作業がどうしても必要です。しかし、「法人格さんはこんな人だからなぁ」みたいな形で法人のイメージを共有することで言葉には言い表せない感情、感覚も共有しそれを踏まえて議論、行動ができるようになっているわけです。

・「キャラじゃない」ことはやっちゃダメなの?に対する回答

さて、ここまでくると、「キャラじゃないことはやっちゃダメなの?」「自分のキャラじゃできること限られちゃう....」などのご意見が出てくるかと思います。

結論から言うと、答えはNOです。もう少し詳しく述べると、「キャラは固定的なものではなく、変えることができる」と考えています。

多くの人がやっている「自己分析をして、やりたいことを見つけて、キャリアプランを作る」というのは、過去からの延長で、自分の物語を考えてしまっています。今までの人生がこうだったから、これからの人生もこうなるだろう、と予測しているわけです。しかし、本書でも書きましたが、過去は今の自分にさほど影響を与えません。むしろ「未来の自分がどうなっていたいか?」からの逆算で、今の自分の行動が決まるんです。だからこそ「未来の自分の理想の姿を作った上で、キャラを作って、それで行動をすることで、「物語を書き換える」というのが大事なんです。

けんすう著『物語思考』

けんすうさんのおっしゃる通り、僕たちは基本的に「自分はこんなものでしょ」と言う思い込みによる「キャラクターイメージによる縛り」があると思っています。そのため、冒頭のキャラに対する疑問や不安はこの縛り故なので、ここを取っ払って仕舞えば解消できるものになっています。

むしろ、人間は基本的に幼少の頃に形成するコンプレックスによって、自分という存在を現実世界に適応できるように自分の力をセーブする、もしくは本来発揮すべきところではない能力を強化しようと躍起になってから回ったりします。

その結果として、「自分なんてこんなものだ」「この能力を高めてない自分はダメだ」という自己像を形成します。これが、「〇〇をしなければいけない」、「どうせ〇〇なんてできない」というDOへの執着、あるいは回避に変わっていきます。

DOから始めようとしてうまく行かないのは根本、このキャラクターイメージのブロックゆえなのです。

そのため、自分のポテンシャルを快放することを阻んでいる「キャラクターイメージ」を自覚した上で、自分にとって本当に「在りたいキャラクターイメージ」を描く。そのことで「在り方(BE)」が変わることで、自然と無理せず「やること(DO)」が代わり、目標など建てなくともやりたいことが勝手にできるようになるわけです。

弊社の提供している物語思考の法人版、通称「自走ブランディング」もこの「物語の書き換え」を実施しています。

法人格(BE)をキャラ化し、そのキャラが生きる物語世界を生成。そのキャラクターが抱えている課題や認知を物語として描き出し、これからのストーリーを書き換えることで法人格が自然と目指す方向に向かうように導くこと。これがランニングホームランのメソッド「自走ブランディング」の真髄となっています。(添付のファイルは、ランニングホームランそのものに僕が実験で提供した際の物語です。)

・「在りたい姿(BE)」を定めることは、無理なく自然に、自走する鍵となる。

その物語こそが、あなたがこれから歩む人生になるわけですが、これは一言でいうと、「主人公の成長物語」なんですね。なりたい自分になるための物語なんです。
未来に何が起こるのか、どんな状況になるのかは誰にもわからない。しかし、主人公が、なりたい自分になるために成長していく、という物語の筋書きは変わりません。
物語としてそれを頭に入れておくと、納得度が上がり、思考と行動が変わります。物語の中の、細かい状況が変わったとしても、本筋はずっと「あなたという主人公が、なりたい自分になるための成長物語」なわけです。その筋書きが変わることはありません。

けんすう著『物語思考』

「やりたいこと(DO)」を主軸に据え置いてしまうと、常にそれができてる/できてないか=成功/不成功の2軸で自分をジャッジすることもセットになり、それが自分に対する自信を下げ、病んでしまう原因を作ってしまいます。会社においてですとKPIなどによってジャッジし社員の一人ひとりが「何者であるか(BE)」が失われ、組織全体に無力感などが広がる状態などが具体例として挙げられるでしょう。

一方、けんすうさんのおっしゃる通り「在りたい姿(BE)」を決めるとは、どんな物語でどんな主人公として生きるかを決めることになります。できてる/できてないの世界では失敗はダメなものです。しかし、物語の主人公ならば失敗も踏まえて物語を展開するスパイスになります。嬉しさも悔しさも、楽しさも悲しさも、物語においては感情揺さぶる何かが起これば起こるだけ良いわけです。

いいことも悪いことも、全てを快く楽しむことができるのならば、どんな困難だって気がついたら乗り越えられている。そうなったほうが個人も法人も楽しいはず。そして、結果的に本気全快で生きられるようになる。

そう思って、私は自社のブランディングメソッドを作ってますし、けんすうさんのこの価値観・思想に共鳴するに至ったわけです。

理論の背景や、そもそもブランディングメソッドを作ろうと思った背景、BEの在り方が主軸になっていく世の中が何を意味するのか.....みたいなことまで書こうと思いましたがかなり長大になりそうなことがここまで書いてみて判明しました。ので、中編、後編として続きはしたためていきたいと思います。

お楽しみに😇

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