見出し画像

世の中はトレードオフ

精神分析学を創始した心理学者「フロイト」
日本が幕末で動乱な時代にオーストリアで誕生した天才です

1856年5月6日 – 1939年9月23日


彼の論文「文化の不安」の中で論じられている視点

そもそも文明って人間の「幸福」のために0.1%の天才が創造してきたってのに、進歩すればするほど、、これ、、ほんまに幸福になってる???

って話です

令和ではみなさんも「確かになあ(゜-゜)」と感じているんじゃないです?
「疎外」とはよく言ったもんやなと思う
資本社会を生きる我々は、
働いても、レジャーに行っても、ショッピングモールに行っても、買い物しても、、、
「楽しい・・・か??(゜.゜)」
ってなる
この令和の人間達が感じている絶対的空虚感

人間は、産業革命・市民革命以来、
自然科学や技術の発展により社会全体が恩恵を受けている事でしょう
昔の人間なら想像もできない日用品の数々
電気冷蔵庫もある! クーラーって何!! 自家用車!!!??
ペリー来航の際のビックリ芸が何百回も発生するほどに我々は「当たり前」に奇跡の一刻を生きているはずなのです(';')

じゃあ、フロイト的質問でもう一回質問します

これ、、ほんまに幸福になってる???

ま、答えはないでしょうがね・・

そもそも飛行機とか汽船がない時代なら、子供が故郷を離れて遠方で生活するなんて可能性も低かったのに
移動手段が発展するからこそ、親離れも発生するよね~~
電話で声聞けるとか、顔も見れるとか言うけど、そもそも物理的に離れて生活できてもうてるっていう不幸があるよね~

商社の出張とかなければ、外国にはるばる行くこともなかったのにね~

車とかなければ、今まで轢き殺された人は死なずに済んだのにね~

衛生学が発展するまでは、小児の死亡率も高いし、妊婦の感染する確率なんてのも非常に高かった
しかし
現在は小児の死亡率が低くなった恩恵の代償に産児制限や妊婦中絶なんてのが発生する

皮肉じゃのう・・(゜_゜>)

幸福の数が増えると、不幸の種も増える

満足が増えると、苦労の種も増える

世の中は必ずトレードオフ
何かを手にすると、必ず何かを失い、そして何かの問題も生まれる

令和はそのメッセージが実感できる時代です
ここまで文明が成長して、<戦争・餓死・疾病>という3大死因も克服しているのに、社会保障も絢爛なのに

日本における2021年の自殺者数
2万1007人 

女性は2年連続増、若者も高止まり

年間2万人も、自ら死を選んでいるのです
毎月1750人ほどが自殺しているんですよ

社会保障が充実してるから素敵な国!!
と言われやすいスウェーデンでは老人の自殺者は年々増加しています。
若者のバイク暴走による暴走問題、性的な秩序崩壊による乱交問題、
社会保障が充実=幸福
なんて、人間の世界では簡単な方程式は存在しないのですよ(';')

僕が前に書いた
「0.1%の天才が創るプラットフォームを邪魔するマス」
という視点でマスに問題を照らした記事を書いた時に
そもそも0.1%の天才が創る世の中が幸福になっているの?
という視点をくれた人がいます
「うん!!確かに!!」と心底思いましたね

文明は確かにもはや「魔法」の世界を創りました(0.1%の天才によって)
実際に落合陽一さんも現代を「魔法の世紀」と定義しており
1秒あれば500km離れた祖母と顔を合わせて無料で会話できる
というまさに魔法の時代を生きているのです
でも、その反面
今はネットの情報だけで個人の独学で「爆弾」を創れる人も大量にいます
銃も地雷も化学兵器も、もう個人で創れるほどに情報も技術も発展しているのです
というか、もう地球を終わらす事のできるレベルまで兵器は成長しています

これ、ほんとに天才が創造した世界は、マスにとって幸福をもたらした??

って話になりますね

実はそれは歴史的にも言われてきた視点

フランス革命発生前の18世紀の啓蒙哲学者は、
裸で原始的な生活をしている少数民族に対して
「幸福な野蛮人」と評価をしています
これは高評価です

原住民の質素倹約な生活
自給自足の生活
単調に見える生活
でも、もしかしたら文明が栄えるまでの原始な時代にこそ
人間としての幸福が詰まっていたのではないか
そう考える人もいます
令和では自給自足・ミニマリスト・質素倹約。
このような価値が再興するのも、関係あるのかもね(';')

指がありゃ見ず知らずの人間が家に飲食もってきて飲み食いできるのに、
わざわざキャンプ行って苦労して飲み食いするなんて事をしだしたりね

人間は楽をしたいのか?苦労したいのか?
ほんとに、、、ワケワカメちゃん

人間ってわけわかんねえよ

実際、カンボジアで大量虐殺をした「ポルポト」ですが
彼も暴走するまでの、元々の思想としては
「原始(原点)に還る」
というものでした
つまり、第一次産業のような「農家」
その前の「猟銃生活」のような時代に戻す
それこそ、人間の幸福の形であると考えていた時代もあったのですよ

文明の発達には、ついていける者と疎外される者がハッキリ分かれます。
今も「デジタルディバイド」がありますよね
デジタル技術を使える人と使えない人の間に生じる格差の事です
この格差はそのうち殺し合いに発展する事もある

知能を求められるような世界線では、確実に格差は避けられない
ならせめて
そこまで能力の差がないような「人間の体力」の世界に戻ろうと考える者もいる

もちろん「社会」を変える事はできないでしょう
が、
「個人」は変える事は可能です

「自分」だけはいつでも変えられる
「自分」だけがいつでも変われる

結局僕はどう考えるかというと、いつも通りです

人生は常に自分の責任


実は時代なんて関係ないねん
どの時代でも幸福を感じる者はいる

結局、
受け身で受動的で自分から価値を創造しようとしない者には
幸福が何かもわからないって事でしょう。

歴史を見れば、令和が如何に<幸福>なのかが分かるはずです
殺し合いもなく、餓死者がその辺りでゴロゴロ死んでいる事もない
言論も自由で、クーラーもあって、、、、

でも、受け身で受動的な人間はね

そんな事すらも、知らないんです





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?