むらいこうた

毎日、なにかしら書くことに挑戦中。意味があったりなかったり。

むらいこうた

毎日、なにかしら書くことに挑戦中。意味があったりなかったり。

マガジン

  • ぼくはなぜ書くようになったのか

    ぼくはなぜ毎日毎日書くようになったのか。 そして、それが1年10ヶ月以上も続いているのはなぜか。 書こうと思ってもなかなか踏み出せない人への参考になればと思い、これまでの経緯を振り返ってみようと思います。 ぼくもまさしく、書こうと思っても書けなかった人なのですから。

  • フリーランスへの道

    フリーランス生活17年。 フリーランスを選ぶまでの道のりを振り返ってみます。

最近の記事

みなさま、ありがとうございました。

noteを毎日書くと決めて、2年と7ヶ月。 今日の投稿で943という数になります。 まぁ、中途半端ですねぇ。 でも、noteに毎日書くことは、今日で一旦やめにします。 やろうと思ったきっかけは、次の3つに集約されると思われます。 まず第一は、文章がうまくなりたかったから。 次に、文章を書くことで自分を知ることができると気づいたから。 そして、ほぼ日の糸井さんのやっていることを真似てみようと思ったから。 文章がうまくなったかというと、どうなんでしょうね。 まぁ、書くこと

    • noteを毎日書くのをやめることにした理由

      いつものごとく漠然としているのだが、noteを毎日書くのをやめることにした理由をつらつらと書いてみたい。 noteを毎日書こうと決めてやり始めたのが2016年1月1日だ。 それから2年と7ヵ月がたった。 書くことで僕は大きく変わったと思う。 以前に比べて、自分をより深く知ることができたとは思う。 (でも、まだまだ充分ではないけれど) それはそれでとても意味があったわけだけれど、書く場所はnoteでなくてもいいのではないかという思いが強くなってきた。 ここがうまく言語化で

      • 書くモチベーション

        あぁ、もう何度目かわからない。 またまた、noteを飛ばしてしまった。 正直に言うと、もうnoteを書くモチベーションはなくなってしまった。 noteを書くことに意味を見出せなくなってきている。 書くこと自体はやめないが、noteに毎日書くのはやめることになるだろう。 ちょうど明日が7月最後の日なので、明日がひとつの区切りになるかなぁ。 書きたいことを書く。 それはnoteじゃなくてもいいし、どこでも本当はいいんだよね。 書きたいことがなければ書かなくていいんだよ。

        • 堕落する僕

          twitterとか見てると、あれがいいだのこれがいいだの、正しさの押し付け合いが激しい。 広告なんか見ていても、どれだけその商品が素晴らしいのか、買うべきなのかを、なんとかかんとか伝えようとして、そのなみなみならぬ努力を感じてしまう。 だが、最近の僕は、もうそういうものがすごくうっとおしく感じる。 わかった、わかったよ。 もういいだろうよ。 何かを押し付けるのは。 ちょっと落ち着いて考えさせてくれよ。 僕には僕の考えがあるんだからさ。 ってな感じで、外部からの情報を拒絶

        みなさま、ありがとうございました。

        マガジン

        • ぼくはなぜ書くようになったのか
          20本
        • フリーランスへの道
          17本

        記事

          ボランティアの世界

          今日は行政が取りまとめている有償ボランティア、ファミリーサポートセンターという制度の説明会に行って来た。 5月末から7月頭にかけて通った「子育て支援者養成講座」を卒業し、ファミリーサポートセンターの支援者として登録できることになったからだ。 支援内容としては、仕事で忙しい親御さんの代わりに保育園の送り迎えをしたり、塾やお稽古ごとの送迎などが主なものになる。 さて、その説明会なのだが、本当に、本当にわかりづらかった。 自分たちの仕事の段取りを、うまく説明できない。 「大切

          ボランティアの世界

          人生をシフトする

          40代って、人生のシフトを考える時期だと思う。 いつの間にやら、残りの人生がずいぶんと短いことに気づく。 人生はもう半分すぎてしまった。 ここまで来るのにもあっという間だったのに、残りの人生はさらに短いとなったら、もっとあっという間にすぎてしまうではないか。 気力や体力の衰えも感じ始める。 俺の人生、このままでいいのかな。 なーんて思っている40代の人は多いのではないだろうか。 じゃぁ、本当にやりたいことをやったろうじゃないか。 と思ってやり始めちゃう人がいる。 大江

          人生をシフトする

          他人の軸で生きない

          今日、ウェブをさまよっていたら、こんな言葉が飛び込んできた。 「他人の軸で生きない」 つまり自分の軸で生きるということ。 なんだかんだと、いろんなことに影響されて僕らは生きている。 自分の軸だと思っていたことが、なんと他人の軸だったなんてこともある。 では、どうしたら、自分の軸をもつことができるのだろう。 そのためには、時間をかけて自分を深く見つめる必要があるのだと思う。 そう簡単にはいかないものなのだ。

          他人の軸で生きない

          娘の小学校面談

          今日は娘の小学校の先生との面談があった。 先生も夏休みに入っても大変だなぁ。 いろんな親がいるだろうに、全員と話をしないといけないなんてなぁ。 さて、僕としても、親として初めての小学校の先生との面談だ。 ちょびっとだけ緊張しながら、教室に赴いた。 まぁ、ざっくばらんに話をしたのだけれど、先生の人となりもわかって、やはりこうして話をさせてもらえるというのは重要だなと思った。 日本の公教育は問題があるとは思っているのだが、それは先生のせいでもなく、学校のせいでもない。 よう

          娘の小学校面談

          娘の夏休み

          娘は夏休みに入り、今日から学童に行っている。 とはいえ、学習時間もあるらしく、そこでは先生も来ているとのこと。 先生もお疲れ様です。 先生は夏休みでも、やっぱり休めないんでしょうね。 そうだ。 忘れていたけれど、明日は個人面談だった。 妻は仕事なので僕が行くことになっている。 忘れそう。。 学校のプールもこの1週間は夏休みとして解放してくれるらしい。 娘は今日の暑さで、かなり真っ黒になったように見える。 娘が夏休みだろうとなかろうと、僕の日常は変わらない。 仕事、仕事

          暗闇の中で目を凝らす

          なんだか昨日のエントリーは、我ながらネガティブな内容だったな。 ここのところ、ネガティブな空気が家族の中に流れている。 6月があまりに忙しすぎて、僕の中でパラダイムシフトが起きて、今、なんだか宙ぶらりんな感じ。 でも、多分、こういう時期が必要なのだ。 この時期を乗り越えてこそ、次の何かが見えてくる。 ただ、焦りは禁物だ。 心理学者の河合隼雄さんの文章が思い出される。 「こころの処方箋」という本の、「火を消す方がよく見えることがある」という章だ。 素晴らしい内容なので、全

          暗闇の中で目を凝らす

          反応があるということ

          noteが気楽に書けるのは、あまり反応がない、という部分はあるかも知れない。 まぁ、単純に僕の書いていることがつまらないからなのだから、そこはそんなに気に病むことではない。 ただ、僕にとってはつまらないことではないので、言葉にすることには意味がある。 それでいいのだと思っている。 今日、本名でやっている(むらいこうたはペンネームです)twitterで気軽につぶやいたツイートが、初めて少々バズった。 初めての経験なので、ちょっとビビっている。 そこで感じたのは、反応がある

          反応があるということ

          自分を知るということ

          「自分を知ることが大切です」 その講師は言った。 先日、受講した子育て支援講座での一コマだ。 臨床心理士である講師が言い放ったその一言は、なんだかとても簡単なことを言っているように聞こえた。 そして、その自分について気づいたことを、他者と共有し、その違いを認識する必要があるという。誰かを支援する際に、自分の考えを押し付けないようにするために大切なことだと。 僕はその口調の軽さと、その内容のとてつもない難しさのギャップを強く感じた。 受講生の一人は言った。 「自分のこ

          自分を知るということ

          支配者と被支配者

          人間は、支配者と被支配者に分かれる。 今さらながら、そのことをずっと考えている。 支配者にもならず、被支配者にもならず、生きる世界はあるのだろうか。 例えば、国民主権というけれど、国民は国に支配されているのではないか。 (とはいえ、国民が政治家をクビにする力があるという意味は大きい) 男性によって女性の権利が制限されてきた時代もある。 そういう時代は、男性が女性を支配下に置いていたのではないか。 上司は部下を支配しようとしていないか。 先生は生徒を支配しようとしていな

          支配者と被支配者

          支配しようとする人

          「国家はなぜ衰退するのか」 という本を読んでいる。 まだ読み始めたばかりなのだが、最初に詳細に書いてあるのは、スペイン人がいかに巧妙に南アメリカの先住民を支配していったかということだった。 人間、支配する側と支配される側に分かれる。 僕は、誰かを支配しようなんて気はこれっぽっちも起きないので、支配される側に回ることになるのだろう。 (というかずっと何かに支配され続けているのかもしれない) 今日、仕事で会った前職の社長は、間違いなく支配しようとする側だと思った。 まぁ

          支配しようとする人

          自然の多様性

          キャンプがあまりに気持ちよかったものだから、東京に戻って仕事をしていても、どこか脳みそが伸びきってしまっていて、なんだかギクシャクしている。 なんであんなに自然って気持ちがいいのだろう。 それは多分、全てを受け入れてくれるからだと思う。 美しい緑や、綺麗な川の水など、自然には素晴らしい部分もあるが、蜘蛛が糸を張っていたり、アブや蚊がからだを刺しに来たりとか、蜂が近寄って来たりとか、まぁ良いことばかりではない。 でも、それを全て受け入れなければ、キャンプは楽しめない。 虫

          自然の多様性

          自然の力

          キャンプから帰ってきた。 毎回そうなのだけれど、今回も自然の力を改めて感じたキャンプだった。 日が暮れる。 セミがカナカナカナカナとなく。 なんだか寂しい気持ちになる。 川のせせらぎが聞こえる。 カミナリがゴロゴロなる。 夕立がザーッと降る。 雨はしばらくして止み、気温が下がる。 真っ暗になる。 星がまたたく。 眠くなる。 快適なことばかりではないけれど、自然の中にいると、自分も自然の一部でしかないのだと分かる。 その中でジタバタしてもできることなんてたかがしれてい