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自分を知るということ

「自分を知ることが大切です」

その講師は言った。

先日、受講した子育て支援講座での一コマだ。
臨床心理士である講師が言い放ったその一言は、なんだかとても簡単なことを言っているように聞こえた。

そして、その自分について気づいたことを、他者と共有し、その違いを認識する必要があるという。誰かを支援する際に、自分の考えを押し付けないようにするために大切なことだと。

僕はその口調の軽さと、その内容のとてつもない難しさのギャップを強く感じた。

受講生の一人は言った。
「自分のことを他人と共有するのは抵抗があります」

でも、その講師は、他人との違いを知ることがとても重要なのだと言う。

講師の言いたいことはわかる。
だが、それはそう簡単なことではないと思った。

だいたい、僕はこうして2年半も毎日文章を書き、自分を知ろうとしてきた。

他人の考えと自分の考えがずいぶん違うのだということも知った。
それでもいいのだ。
自分は自分でいいのだということも、だいぶ理解してきたと思う。
誰かの考えは尊重されるべきだが、それと同じくらいに、自分の考えも尊重されるべきなのだ。
だから、何が正しくて何が間違っているのかは、尊重し合う中で、なんとか落とし所を見つけられるかもしれないな、ぐらいのものなのである。

文章を書くようになる前に比べれば、僕は僕のことを理解できるようになったとは言えるだろう。
だが、まだまだ僕は僕を知っているとは言い切れない。
おそらく、知れば知るほど、謎は深まるといったたぐいのものだと感じている。

講師が言いたいことはわかる。
誰かを支援するということは、その人の考えを尊重する必要がある。
自分を知ることで、自分の考えを尊重されたいのなら、相手も同じように尊重しなければならないということが、より分かるようになるのだと思う。

だが、その道は果てしない。

「自分を知ることが大切です」

そう言われて、簡単にできることではないのである。

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