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noteを毎日書くのをやめることにした理由
いつものごとく漠然としているのだが、noteを毎日書くのをやめることにした理由をつらつらと書いてみたい。
noteを毎日書こうと決めてやり始めたのが2016年1月1日だ。
それから2年と7ヵ月がたった。
書くことで僕は大きく変わったと思う。
以前に比べて、自分をより深く知ることができたとは思う。
(でも、まだまだ充分ではないけれど)
それはそれでとても意味があったわけだけれど、書く場所はnoteでなくてもいいのではないかという思いが強くなってきた。
ここがうまく言語化できないんだけれど、僕の中ではほぼ確定している。
noteで毎日書くことはやめることにしよう、と。
毎日書くことを自分に課し、質より量だと思ってずっとやってきた。
だが、ここ最近はずっと苦痛だったのだ。
それは、6月の僕の中でのパラダイムシフトが起きてからが決定的だった。
あのパラダイムシフトとはなんだったのだろうか。
これまでの僕の中の何かの価値観がまさしく崩れ落ちた。
その残骸から何かを見つけ、またゼロから積み重ねて行かなければならない。
でも、まだ何も見つかっていない。
そして、今から何かを積み上げて行くことに途方にくれている。
何かを書くこと。
これは、残骸を照らすランプのような役割をこれからも担うことになるだろう。
だが、毎日書くことで、闇雲に残骸を照らす必要はないのだ。
残骸の奥にあるものがなんなのか、暗闇を見つめじっと目を凝らす必要がある。
そんなことを思っているのかなぁ。
今、自分で書いていても、なんだか調子のいいこと言ってんなぁとは思うけれど。
書くことはやめない。
それは、自分の内面に降りる、ハシゴのような役割も果たすのかもしれない。
ただ、毎日毎日、noteに書くことをやめるだけの話なのである。
明日を最後にして、noteに書くことはしばらく控えようと思う。
明日は、これまで読んでくださり、少なからず反応をいただいたみなさまへのお礼を書かせていただければと思います。