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【その小説、視点がぶれてない?】具体例から視点のブレのNG文例を学ぶ(2017年11月号特集)


 ナラティブ、日本語で言うと語り方。ここではその中の人称と視点について解説。小説は視点について知らなくても書けないことはないが、知っていれば強みに!

長編を書くなら、三人称がおすすめ

 長編を書く場合も、書く前に人称を決めなくてはならない。
 長編は、一般的には話も複雑で、登場人物も多い。その点を考えると三人称で書くのがいい。
 三人称小説は、「タカシは」とか「山本は」のように、主人公を第三者として見て書く形式。主人公と距離をおいて客観的に書けるというメリットがある。
 特に、主人公1人の五感で書いていく三人称一視点は、三人称と一人称のいいとこ取りでオススメ。

内容によっては、一人称でもいい

 一方、長編は一人称ではいけないのかというと、そんなことはない。一人称は、特に作者に近い人物が主人公の場合、感情移入もしやすく、作品に入っていきやすいという利点がある。
 ただし、一人称(一視点)ということは、すべてのシーンに主人公がいなければならないから、その限界があっても書ききれる内容であること。主人公がいない場面や主人公が知らないことは書けないので、そうしたことを書く必要がある大きな物語には向かない。

多視点を選ぶなら、創作上の理由から

 長編小説の場合、一人称や三人称一視点では書ききれないということもある。
 たとえば、湊かなえの「告白」は、第1章は担任視点、第2章はクラス委員長の視点、第3章は犯人の姉視点のようになっている
 三人称多視点は、ある場面だけ見れば(『告白』の場合はある章だけを見れば)三人称一視点だが、カメラの役割をする視点人物が変わる形式。主人公の視点だけでは書ききれない小説に向く。

 これなら1つの事件を多方面から書くこともでき、同時に起きた出来事を2人の人物の目で追いかけることもできる。
 ただし、作者の都合で多視点を選ぶのではなく、創作上の理由から選ぶこと。つまり、書きやすいからではなく、そのほうが効果的だからという理由で選ぶこと。

 作者の都合で多視点を選ぶと、一部分だけ視点人物が変わってしまったりして、これをやられると、そこまで主人公に同化して読んできた読者は面食らう。
 また、多視点で書いた場合、複数の視点が最後に絡んでこないと効果が出ないし、物語の中心に大きな出来事がないとまとまらない。

神の視点で書くには、筆力と物語力が必要

 神の視点は昔の大衆小説に多い書き方で、全知視点とも言う。ドラマをノベライズしたような書き方で、一見書きやすそうだが、うまく書くのは難しい。その理由を説明しよう。

 三人称小説の中には、神の視点と言われる書き方がある。別名、全知視点、作者視点。客観三人称とも言う。
 要は、作品のストーリーも、すべての登場人物の内面も未来も、なんでも知っている全知の神のような存在の作者が語る形式。
 そりゃあ作者が語るに決まっているじゃないかと思うかもしれないが、今の大半の小説は主人公なら主人公の目を通して語る人物視点。当然、主人公が知覚できるものしか書けない。これが人物視点のルール。

 一方、神の視点はなんでも書ける。あっちの人物の心の中に入ったりこっちの人物の心の中に入ったり、過去に行ったり未来に行ったり自由自在だ。
 ただ、なんでも書けてしまうことに大きな問題がある。現実世界では自分以外の人の心は超能力者でもなければわからないから、それがわかるというのは不自然。また、人物を離れて、これはこういう出来事だ、この人物はこんな性格だと書くと、たいていは説明になってしまう。物語はその話を自分も体験しているかのように感じるところに面白さがあるのであって、説明されても楽しめない。

 神の視点は昔の大衆小説によくあった書き方だが、説明で書いても読者を魅了できるような筆力と物語力が求められる。歴史小説などでは神の視点的な記述も必要になったりするが、挑戦するなら人物視点をマスターしてからにしたほうが賢明だ。

視点のブレ、NG文例集

 視点というのがわかるようでわからないという声がある。うまい実例はあるが、下手な例文はあまりないから示してほしいと。ここでは以下の4つを紹介する。

同じ場面に視点人物が二人いる

 恋人とバイクでツーリングに出た。海沿いの国道は潮の香りがした。反対車線先に四駆が見えた。
すれ違いざまに横目で見ると、バイクの二人は白いヘルメットをかぶった若い男女だった。
ーーーーー
 最初はバイクの男性の視点でしたが、途中で四駆のドライバー視点に切り替わっています。急にヘルメットが出てきて混乱する。
 小説ではカメラが切り替わったことが示しにくいので、このような書き方は厳禁。

非視点人物の内面が書いてある

 教師をしている先輩を訪ねた。明日から教育実習なので、意見を伺いに行ったのだ。先輩は助言を求められ、誇らしげな顔をした。
 「まずは学生気分を捨てることだ」言いながら、こいつはいい教師になると先輩は思った。
ーーーーー
 後輩の一視点であれば、〈誇らしげな〉という後輩の知覚で書いた文章は問題ない。
 しかし、〈こつはいい教師にると思った〉という先輩の内面は書けない。一視点のカメラに映る心理は視点人物の心理だけ

知り得ないことが書いている

 妻は都心に向かっていた。タケルは蒼白になった。愛人と一緒にいるところを見られたらと思ったら気が気ではなかった。
 「しっかりしてよ」愛人が背中を叩いた。叩かれたところが赤く腫れあがった。
ーーーーー
 タケル視点だすると〈妻が都心に向かっていると連絡が入った。〉のようにタケルの知覚を通す必要がある。〈蒼白〉は外からの描写だから微妙。〈血の気が引いた〉などタケルを通して書くといい。〈赤く腫れあがった〉かどうか本人には見えない。

神の視点の文章が交ざっている

 東京中がネオンに染まった。居酒屋で泥酔している男を見て、息が止まりそうになった。忘れもしない三年前、公男から三万円を奪った男だった。公男は男の懐から財布をくすねた。十万円入っていた。
 諸君、こんなことが許されようか。
ーーーーー
〈東京中がネオンに染まった。〉のような客観描写から入って人物視点に移る小説もなくはないが、まるで公男が東京上空にいるよう。〈諸君、こんなことが許されようか。〉は作者の顔出し。これも避けたい。

小説作法Q&A

Q:神の視点で説明してはだめ?
A:人物視点で何かを説明したら、主人公はそれを知っていることになる。では、主人公が知らないことはどうすればいいか。別の人物に説明させるしかない。しかし、〈江戸幕府が誕生した。〉といった説明は歴史小説の作中人物にはできない。この場合、神の視点的な説明を書いて処理している作品はたくさんあるが、視点はブレてはいけないということではないので、自然に書けていければいい。ただし、初心者はそれがうまく処理できないので、まずはブレないように書くことをオススメする。

特集「長編小説1年計画」
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※本記事は「公募ガイド2017年11月号」の記事を再掲載したものです。


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