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もっと自由に

朝起きる。コーヒーを淹れて飲む。煙草を吸う。なんとなしにニュースサイトを開いて頭の中に目的のない情報を入れるのは習慣のようで、そんな朝の時間はあっという間に過ぎてしまう。仕事があればそれから仕事をして、休みの日であればそれから本を読み始めたり、掃除をしはじめたり、あるいは散歩に出かけたりする。

しばらくすると彼女の生活は毎日毎週毎月、同じような型に納まるようになってきた。ときどき気づく。あ、昨年の今頃も私は同じように過ごしていたな。そして寂しく、少し惨めになる。それは型にはまらない毎年を過ごしていた時期があったから。そんな時期を経験すると、いまの自分の生活の満ち足りた安定感と引き換えに無くしてしまったあの感覚をがなくなっていることに喪失感を抱かざるを得なかった。。それはいいことなのでは?いまのこの生活はあのとき望んでいた生活だったのでしょう?そう尋ねる自問自答にさえ、どうしていいのかわからなくなってしまう。

いつのまにか生活が紋切り型になってしまったのは、彼女にとって初めての経験だった。いつもいつもなにかしら違うことが起きる日々。生活の中心はありつつも、それ以外のなにかしらが必ずあって、そのなにかしらは苦しいこともあるけれど、大部分は彼女の生活に彩りのような、この世界で生きていることを実感させてくれるようなものを感じさせてくれていたから。それはすなわち、好ましい人たちと関わり合えることだった。

でも、それらに疲れてしまう自分が確かにいて、それがつらいと思った。それがきっかけで彼女はいまの生活のように、彼女だけの一存で、彼女だけの小さな世界を作ろうと思ったのは間違いがないことで、やっぱりそれはあのとき望んでいたことだった。他人といることは楽しくもあるけれど、あのときの彼女にとっては徐々に心をすり減らすような、ずっとそれができないような苦しさを孕んだような感覚だった。どうして私がこの他人のためにここまで。思ったときは何度もあるけれど、それもまた社会なのだと思ったけれど、いくつかのほかの事柄、それはいいこともあればつらい事柄と重なって、その苦しさから、いま持っているいくつかの事柄のうち、他人と積極的に関わることをやめてしまうことを選んだのでした。

もっと自由に。自分の意志を第一に優先して。
そう思っていまの生活を手に入れたはずなのに。いつのまにか彼女はなにかしらに縛られていて、それは彼女自身の中にいる他人だった。あのとき出会ったあの人や、一回しか会っていないあの人の言った些細な一言を彼女は覚えてしまっていてそれを忘れることはまだできていなかった。一人で部屋の中で生活している中でも、ふと、あのときのその人の言った言葉が頭の中で流れることがある。どうってことはない。無視すればいいのだから。でも、それはふと気づいたときに必ず流れてきてしまうようで、忘れることすらできず、むしろその言葉に縛られてしまうようになっていることに気づいたのは、やはり彼女自身が紋切り型の生活に辟易としてしまっていたからで、その原因はなんなのかを考えた結果だった。

もっと自由に。
そう思ってはじめた生活は自由を完全に再現していたのだけれど、彼女の心の中の作用でどうしてもそれは自由とは言い難いものになってしまっていて、それは彼女自身の拘束、自縄自縛なのであるけれどそれに気づいたとき彼女はあのとき持っていたものを既に失いかけていた。

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