織部 行

2020年の終わりから、ちょっと変わりはじめた感覚を残してみます。 kou.oribe…

織部 行

2020年の終わりから、ちょっと変わりはじめた感覚を残してみます。 kou.oribe.00@gmail.com

マガジン

  • 考えたこと

    そのとき考えたことを書き残しておきます。

  • 日曜日

    日曜日はなにしているか

  • 真夜中

    真夜中に、頭に浮かんでくる生活のあれこれのメモ

  • 読んだ本

    読んだ本の記録です。

  • 日記

    2020年12月26 日から書き始めようと思いました。

最近の記事

とりとめないこと

すごくとりとめのない思ったこと。 昼に、お腹いっぱい食べたいと思って入った中華屋さん。 1人で入ると相席で、1つずつ席を空けて3人座っている円卓に4人目として座る。定食を注文して、残りの3人を見るとみんな左手にスマホを持って、なにか見ながら食べている。両隣の人は何を見ているかが見えて、左の人は漫画、右の人は動画だった。すごく画面を見ているから、食べ物を運ぶ箸の動きがぎこちなくなっている。 なるほど、と思いながら店に設置されてるテレビで総理大臣が記者会見しているのと、テレ

    • 誰かの理想を生きている

      ああ、また今日終わった。 そんな毎日を送っている。自分に辟易する。変えられない習慣。 こんなに人と合わなくてそれなりに生きていけるなんて。 中学生の、高校生の、大学生の、それぞれのときの自分に言ってあげたい。 あなたは人と会わなくてももそれなりに東京で暮らしていけるようになるよ。満員電車に乗らなくていいし、面倒くさい飲み会もいかなくていいし、近くに座っている人の聞きたくない陰口も聞かなくていい。そうやって生活できるようになるから、と。 それなりに仕事をして、読みたい本を

      • 淡々と過ごすことの終了

        夜、なにもできないな。 そう思いながら時間がどんどん経っていって、それは思っては次の日にいたから。また次の日、次の日、次の日、の積み重ねで振り返ればその毎日は驚くほどに空白で淡々としていて記憶からこぼれ落ちていることに気づく。 これは根底からなにか変えないと埒が明かない。。 思う。 なにか始めるとき、自分には勢いと気合が必要なことを知っている。 始めたことは生活を朝型に切り替えること。5時起きの生活。 最近読めていなかった、溜まっていくだけの本を読む時間。 思うだけで、

        • 昨年より、雨

          初めて思った感覚。 うわ、昨年よりすごい雨降ってる。 雨ってあんまり意識したことなかったかもしれない。 台風くらい。 でも、よく外に出ている時期に降られていたゲリラ豪雨はすごく記憶に残っていて、それもでも7年前とかそれくらい前。 それくらい、記憶に残るくらい雨が降っている。 突発的に、雷とともに、いまも窓を開けたら凄い音で雷と雨。 夕方から、世界が終わるんじゃないかって思ってしまう空の暗さが気になって、パチパチとフラッシュのように雷で光る空はまだ西の方で雨は降っていなか

        とりとめないこと

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        • 考えたこと
          195本
        • 日曜日
          4本
        • 真夜中
          26本
        • 読んだ本
          6本
        • 日記
          17本
        • 写真
          2本

        記事

          そこに居ること

          居ることってあまり意識しない、と思った。 家に居る。これは意識するまでもなくしている。いまもしている。 けれど、その他の場所ではどうだろうか。 家から外に出るとき、どこに居るだろう。 散歩中、カフェで、電車で、駅で、会社で、居るという感覚がしっくるくるものがないことに気づいた。これらは何かをしている状態で、移動中で、仕事中で、歩いている最中で、本を読んでいる状態で、ただ居る状態ではないんだなと思った。 そこに行けば居る。 そんな人が街には何人か居ることにも気づいた。 なぜ

          そこに居ること

          夏夜

          夏は体が動く気がする。 暑いから、かもしれない。 暑くて外に出ないから体力があり余っている、かもしれない。 動き出すのはいつも夕方からで、夜遅くの散歩が習慣になる季節。 夏の夜は思っているほど暑くはなくて、 昼間の暑さは肌を刺すような光を降り注いでいる太陽のせいなのだということを実感させてくれる。 それでも春や秋の夜に比べればずいぶん暑いことには変わりなく、でも夏の夜特有のもわっとした、ぬるっとした空気がまとわりついてくる。家の扉を開けた瞬間、夏の膜に覆われるような感覚を

          見え方

          お腹が空いてごはんを食べに行く。 いろいろなシチュエーションで。 一人で食べに行くとき、カウンターに座ることが多い。 中華、洋食、寿司、ラーメン、タイ料理、いろいろ。 店の入口に設置されてるおすすめメニューの看板。 店内で、メニューが貼ってある壁。 机の上においてあるメニュー表。 そこから食べたいものを選んで注文する。 しばらくして料理が目の前に運ばれてくる。 見る。 満足するときもあれば、がっかりするときもある。 でも、ここにきてみて、注文しないとわからないこと。

          いま思うこと

          生活しているといまが疎かになっていくと思ったのは何十回目だろう。 明日、明後日、来週、来月、来年。 思うたびにそう考えていまをおろそかにしている。 おろそかにしている気持ちはそれほど大きくない。 それが問題で、問題を先に先に送っている気がしていた。 それでもまだ続く先をあてにして生きていることに疑問を持った。 いまやりたいと思ったこと、やらないとだめなのでは。 なんとなくで生きてしまえる。 ある意味器用貧乏と言うか、恵まれていると言うか。 それでもそれは自分で積み上げて

          いま思うこと

          入換

          悪い流れはどうしても起きてしまって、それをやめたくて、でもどうしようもなくて悶々とする期間はやり過ごすしか無いのかもしれない。耐える。本当にそんな感じで一定期間、長いときもあれば短いときもある、そんな期間を過ごしたあとふっと途切れるときがくる。 入れ替えのタイミングがやってくる。 これまでの悪い流れがすっと断ち切れて、そこから先は自分の意志通りに進められるような感じをつかめる。それをまた悪い流れにするのか、いい流れにできるのかは自分次第で、やっぱり何回も悪い流れに戻してきて

          少しずつ変える

          どうしようもなく毎日が嫌になることがある。 毎日の繰り返しに自分が絡め取られてしまって、そこからどうしようもなく出ることができなくなっているとき。画面には広い世界が広がっている。けれど自分の目の前には狭い空間、決まった行き先、頭の中に浮かんでは消えるアイデア。行ってもいないのに行った気になってしまうどうしようもなさ。 そんなもどかしい時期が続く。 頭と身体のバランスが偏るとそうなるのかもしれない。 すべて頭の中で完結してしまう世界。頭の中ではいつも使う回路だけ、そうじゃな

          少しずつ変える

          そこを離れる

          ずいぶんここにいるなと思う。 そこに居る状態が続いていると、どんどん新鮮味が失われていくのはもちろんもう一人の自分が作られていく。環境は人を作るらしい。そこに居る私は本当に私なんだろうか、たぶん間違いなく私だ。でも、そうではないと言う私の声はどんどん大きくなっていく、内部での葛藤を抱えるようになる。 そこに居ること、そこを離れること。 人はその選択をする。簡単に思える。 けれど、そこに居られるようにすること、そこを離れられるようにすること、をするとなると人を選ぶ。できない

          そこを離れる

          おぼろげな光

          確固として好きなものが自分の中にあるだろうかと考えてみたとき、たしかにそこにあるのはおぼろげな光で、私はそれが好きで写真を撮るようになった。 例えば、夜の交差点。 視力の悪い、近視のままの目で眺めてみるとすべてがぼやける。 ただ夜の交差点には光で溢れていて、該当のオレンジ色の光も、行き交う光の白いビームライト、信号の赤、青、黄色。看板を照らす光。すべての光ははっきりしているのだけれど、それをはっきり受け取る能力が私の目にはなく、でもその、輪郭がにじんだような光はいつまでも見

          おぼろげな光

          花様年華

          DVDをレンタルしていたころ、好きな映画を見つけたらその監督は誰なのか、その監督はこれまで何本映画を撮っているのか調べて、またDVDをレンタルして、その監督の映画をどんどん知って好きになっていった。 サブスクサービスが当たり前になったいま、映画を見る行動も変わった。基本的に新しい映画がほとんどで、昔の映画はあまりない。まるでフィルターにかけられたかのように、世界の中でその層にしか焦点があたっていないように感じる。見つけて借りる、から、あるものから選ぶ、になった。 動画をレ

          巨石

          自分が重い。 意識が、とんでもなく腰が重い。動かない、本当に。 もう、巨石なのだった。 意識の中に入る。 その巨石がある。その下になにか大事なものがありそう。 けど、動かない。 側に立った私はその巨石を毎日、数時間おきに眺める。 ちょっとも動かない。見ているだけだから。 天候によって少しづつ壊れないか、 なにかよくわからない侵入者が急に壊したりしないか、 思っても、 雨や風で削れるだろうけど、石が無くなるまで1万年くらいかかるんじゃないだろうか。侵入者はよっぽどのことがな

          近い場所

          私には生活がある。 私しか知らない、私の生活。 人には人の生活がある。 生活と生活がすれ違うとき。 生活に必要な場所で。道で、駅で、お店で。 お店に行く。 その中で私の生活と人の生活がぎりぎりまで近づくと思う場所がある。 スーパーで。 道ですれ違う人たち。 駅で、電車に乗り合った人たち。 お店で接客してくれる人たち。 そのどれもの人が、自分が食べるものをかごに入れる。 生活の中で食べるもの、ごく個人的なことをする。 そこではどこか安心でき、 スーパーですれ違う人たち

          剥がれる

          感覚的な話。 いつも壁を作らないと生きていけない。 壁と書くと、そんな大げさなとか、一人ぼっちになってしまいそう、な印象を書いていても感じるけれど、壁はあくまで例えで、バリアでもいいし、膜でもいいし、囲いでもいい。材質はそのときの心境と状況次第で、鋼鉄のときもあれば、紙のときもあれば、ラップみたいに透明で薄い膜のときもある。 壁にはコーティングを施していて、それはすぐに劣化する。 だから、生活をしている中で緊張感を解いたり、ぼうっとしたり、気分を転換するようなことをしない