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神功皇后十  襲撃した喪船から 神話は今も生きている  ことの葉綴り六一〇

感謝 不完全こその魅力

おはようございます。十月最終日、そしてハロウィンの日曜日
皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
この「ことの葉綴り」に、“お来し”いただき、本当にありがとうございます。漢字も多いし、真面目な神話のお話だし、文字量も多い中……ありがたさが、ひしひしとこみあげてきます
いつも、ありがとうございます。このご縁に感謝です
忘れ去られている神話の物語を、淡々と綴っています。
そこには、今を生きる私たちの、生き方のヒント在り方の見本になることも多くあります。なにせ、日本の神さまは、一神教ではなく、ありとあらゆる森羅万象の神さまですし、私たちと同じように“失敗”もされて不完全だからこその魅力がありますからね!
これからも、宜しくお願い致します。

さて、十月三十一日(日)の暦は、六曜は「仏滅」ですが、十二直は、すべてが満たされる「みつ」、ただし控えめがよし。祭祀、婚礼、お祝い事、引っ越し、旅行、建築、種まきに吉。
二十八宿は、学び始め、衣服の新調に吉の「きょ」。そして吉祥日で、ご神事に関することのよい「神吉日かみよしにち」です。
神無月の最後の日曜日、楽しくお過ごしくださいね。

<ことの葉綴り>全体のご案内
この「言の葉綴り」は、神話の物語を神さまごとに「マガジン」に分けて読めるようになっています。
「神さまも“失敗して成長した”」と、魅力的な神さまごとに18のマガジンに分かれています。全体のご紹介は、こちらをどうぞ。
600回の節目に、まとめてみました。


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神功じんぐう皇后、これまでの物語>

新羅しらぎ討伐を成し遂げた神功じんぐう皇后さまは、
筑紫国(九州の福岡県)で「国を統べる御子」とご神託のあった、太子ひつぎのみこ品陀和氣命ほむだわけのみことさまを、を出産されます。

一方、大和国では、仲哀ちゅうあい天皇のもう一人の后の御子、香坂王かごさかのみこ忍熊王おしくまのみこ兄弟が、神功じんぐう皇后と御子を討とうと、斗賀野《とがの》(兵庫県)で、待ち構えていました。
兄の香坂王かごさかのみこは、この戦について、ご神意をうかがう「誓約うけひ」の狩りで、巨大な猪に食い殺されます。
それでも弟の、忍熊王おしくまのみこは、伊佐比宿禰いさひのすくね将軍とともに、神功じんぐう皇后たちの船を待ち構えていました。

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喪船襲撃!

神功じんぐう皇后さまは、建振熊命たけふるくまもみことを将軍にして、喪船ともう一艘で、難波津へと向かっていました。

この「喪船」は、“生まれてすぐに亡くなった御子品陀和氣命ほむだわけのみことを弔う”ためのものでした。


御子が亡くなったのは、どうやら本当だったようだな。
よし、まずは兵士のいない喪船から攻めよう!

忍熊王おしくまのみこ伊佐比宿禰いさひのすくね将軍が指令を出し、その軍勢たちが一気に、喪船へと乗船して、攻め始めようとしたときです。

誰も乗っていないはずの喪船から、神功じんぐう皇后の軍勢たちが現れたのです。

うわ~~!!

そうです。神功じんぐう皇后さまは、生まれたばかりの太子ひつぎのみこ、我が子の命が狙われていることを察知し、「亡くなった」と噂を広めて、喪船も準備して、そこには兵士たちが秘かに隠れて乗船していたのです。
この目論見は、功を奏しました。

忍熊王おしくまのみこの軍勢たちは、虚を突かれて動揺して動きも乱れます。

はかられた! 

潜んでいた皇后の軍勢が、乗り込んできた兵士たちを勢いよく追い払っていきます。
船から逃げ出す兵士たち。

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一進一退の攻防

逃がすな~追いかけるのだ――。

皇后の軍勢の将軍建振熊命たけふるくまもみことが、兵士たちに指令します。

皇后の軍勢たちが、今度は、船から逃げ出そうとする忍熊王おしくまのみこ伊佐比宿禰いさひのすくね将軍や兵士たちを追いかけて、船から降りて、進攻していきました。

この軍勢たちを追いかけていった皇后軍との戦いが繰り広げられたのです。

追われる側になり窮地に陥った伊佐比宿禰いさひのすくね将軍率いる|忍熊王《おしくまのみこ》軍は、山城(山の坂や頂を利用してつくられた城)へと入り込みました。
ここで、体制を立て直します。

建振熊命たけふるくまもみこと将軍率いる皇后の軍勢も、決してひきません。
一進一退の攻防は続きます。決着はなかなかつきません。
そして、それぞれの兵士たちに、命を落とすものや負傷者が増えていったのです。さて、どうなるのでしょうか……。

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―次回へ
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