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今も続く「祭祀」伊波禮毘古 二つの神宮 ことの葉綴り。二一四

天つ神の夢の訓え

おはようございます。青空が美しい朝、「ことの葉綴り。」に向かいます。

天照大御神さまの「豊葦原の瑞穂国はわが子孫の君たるべき国なり」という、言向け通り、
地上に降臨した孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)さまから四代目、
神倭伊波禮毘古は、畝傍山(うねび)の白檮原宮(かしはらのみや)で、即位の礼をおこなわれて初代神武天皇なられました。


艱難辛苦の旅でした。
その旅の間も、伊波禮毘古は、天つ神さまをお祀りする「祭祀」をおこなわれていたのです。
初代の神武天皇から、歴代の天皇は、祭祀をとりおこなわれています。今も、祭祀のトップであられるます。

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今日は、物語が少し戻りますが、その祭祀のご紹介を。
これは、『日本書紀』からのお話です。
神さまのお名前の漢字は、そのままで記します。

大和までようやく来られた伊波禮毘古。
待ち受けていた兄師木(兄磯白)たちの攻撃で、進むべき道を塞がれていたときのことです。
季節は暦の上では初秋となっていました(旧暦)
伊波禮毘古は、この状況を突破すべく、夢の「誓約」(うけひ)で、お祈りをして眠りにつかれました

「誓約」(うけひ)は、何かをおこなって、その結果によって、神さまのご神意を問うことです。
天照大御神さまと須佐之男命さまもおこなわれました。

その夜のことです。
伊波禮毘古は、夢の中に、天照大御神さまはじめ高天原の天つ神が、現れて、こうお告げになったのです。


大和に神が天降りした聖なる山、香具山。
この山にある社の土を取り、
神事のときにつかう、天平瓮(あまのひらから)の土器の皿を八十枚つくりなさい。
併せて、神酒を入れる清浄な瓶、巌瓮(いつへ)もつくり、
身を清めて潔斎をして、
天神地祇、天つ神、国つ神を敬い神々に祈り、祭り、霊威のある言霊により、呪詛をせよ。
そうすれば、相手方は自ずと帰服するであろう。

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伊波禮毘古の「誓約(うけひ)」


伊波禮毘古は、この夢の教えのままに、「誓約(うけひ)」をたてたのです。
家臣のものに、おじいさんとおばあさんの変装をさせて、こうおっしゃいました。

「お前たちは、天香具山に行き、頂上のお社の土を取ってきてくれ。天つ日嗣(あまつひつぎ)のこの天命の成否は、お前たちが成功するかどうかで占おうと思っている。くれぐれも慎重に頼むぞ」

そして、二人は、ひそかに、天香具山に上り、無事にお社の土を取って戻ってきたのです。

「これは吉兆なり!」

たいそう喜んだ伊波禮毘古は、この土の粘土から
八十枚の平らなお皿「八十平瓮(やそひらか)」と。巌瓮(いつへ)、祈りの呪詛につかう「天手抉八十枚(あまのたくじりややそひら)」をつくりました。

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伊波禮毘古の「祭祀」は今も!

そして、道臣命を、祭主に任命をされて、
丹生川の川上で、身を清める潔斎をされて、
山の上に、お榊の枝で、四方を囲み神聖な祭祀場の境界をつくり、
お榊に御鏡で飾り、そこにつくった土器のお皿に、秋に収穫した新米や、お魚、お野菜、お神酒をお供えをします。
天神地祇の神々に祈りを捧げられたのです

山あいに響く、拍手の音
伊波禮毘古の祝詞が、ろうろうと天上界、地上の神々へと捧げられていきます。
みな、一同、一心に共に祈りました。


伊波禮毘古は、日向の高千穂から、この大和までの長い長い苦労ばかりの東征の間、このように、祭祀を、ずっととりおこなっていたのです

そして、ついに、大きな天命を果たされて、大和の平らか、安らかな平定を叶えられました
それゆえ、土器をつくる土を取ったところは、「埴安(はにやす)」といいます。

そして、橿原の宮での、ご即位のご神事。

どれほど、感慨深かったことでしょう。

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ありがたし


天照大御神さまはじめ天つ神たち、兄の五瀬命、
この旅の間に出会い仲間になった国つ神たち、
言霊による帰属が叶わず、戦わざるえなかったものたちにも
すべてに、手を合わせて祈られたのではないでしょうか。


きっと、そこにあったのは
「ありがたし」という、感謝だけだったように感じます。

祈りの神髄にあるのは、
ありがたい。
ただ、ありがたい。
なのかもしれませんね。

そして、神話にある「祭祀」は今も続いている。
それが、すごいと思いませんか?

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―次回へ

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