出石神社ご祭神に天之日矛 応神天皇さま二九 神話は今も生きている ことの葉綴り六五三
あなたの今年の漢字一文字は?
おはようございます。今年も残り三週間ですね。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
今日は、京都の清水寺の「今年の漢字」が発表になりますね。
この一年を象徴する一文字は何でしょうね。
そして、あなたの「今年の漢字」はなんですか? 私はなんだろう~?毎日、このnoteに綴ってきた「綴」かな~(^^)。
一年の振り返りしてみるのもいいかもですね。
さて、十二月十三日(月)の暦では……六曜は「友引」で、朝と夕が吉。何事にも勝ち負けがない日。
十二直は「危」で、物事を危惧する日。すべてにおいて控え目が吉の比。二十八宿「張」で、種まきに大吉。祭祀、お参り、婚礼、お祝い事、就職に吉です。
今週も、皆さん、笑顔の多い一週間でありますように!!
さて、神話の挿話の物語の続きです。
<これまでの天之日矛の物語>
それは遠い遥か昔のことです。
新羅の国王の王子、天之日矛は、ある日、賤しい男から美しく輝く赤い玉を献上されました。
その夜、寝床の側に置いていた赤い玉は、見目麗しき乙女へと姿をかえて、心奪われた王子は、その乙女と結婚し正妻としました。
幸せな日々は束の間で、妻への甘えから横暴になり、妻をののしるようになってしまった王子。妻は、王子と別れて、秘かに船を用意して母親や先祖の祖国へと逃げ出しました。
そして難波にたどり着き、そこで、新たな人生をやりなおしました。
王子の天之日矛は、妻を追いかけて、船で海を渡ります。瀬戸内海を進み、もうすぐ難波津というときです。
海の神が、その行く手を塞いだのです。
立ち往生し、まったく前に進めず難波ではなく、多遅摩国(但馬。現在の兵庫県の北部)に上陸しました。
新たな妻と家族を
一度は、新羅へと帰ろうとしたようですが、この辿りついた但馬の地で、新たな人生を歩み始めたのです。
なぜか? 新たな人生の伴侶と出会ったのです。
多遅摩俣尾との娘で、前津見を娶り結婚しました。
そして、多遅摩母呂須久という子を授かります。
天之日矛は、そして但馬の地にとどまり、家庭を築き、子孫を設けていったのですね。
孫に、多遅摩斐泥を……。
さらに系譜が続き六代目の子孫、葛城之高額比売。この比売は、神功皇后(仲哀天皇皇后)こと、息長帯比賣の母なのです!
天之日矛の系譜
そこまでの間の系譜も紹介しておきます。(漢字多くてすいません苦笑)
天之日矛・前津見
↓
多遅摩母呂須久
↓
多遅摩斐泥
↓
多遅摩比那良岐
↓
多遅摩毛理・多遅摩比多訶・清日子三兄弟
↓
清日子・、妻、當摩咩斐との間に、酢鹿之諸男、妹菅竈由良度美。
多遅摩比多訶は、この弟、清日子
の娘、由良度美を娶り、生まれたのが、神功皇后の母君、葛城之高額比売です!
但馬を開拓し、出石神社のご祭神に
天之日矛が、新羅から持ってきた宝物は、「玉津寶」という、緒に貫いた玉が二つ。
また、波を振り起す呪力のある領巾(比礼、ショールのような布)「浪振比礼」。
波をしずめる領巾「浪切比礼」
風を起こす領巾「風振比礼」。
風を切る領巾「風切比礼」
そして、航海の安全を守る「奥津鏡」。「辺津鏡」の、八種の宝物でした。
こは、伊豆志の八前の大神なり
これは、のち、「|出石《いずいし神社」(兵庫県豊岡市)にお祀りされご祭神です、とあります。
そして、天之日矛(天日槍)も、「出石神社」さんのご祭神としてお祀りされます。但馬の開発の祖としてその土地を拓いていったのです。泥の海だった但馬を、大地を切り開いて水を日本海へと流して、豊かな肥沃な地にして、但馬の地に、貢献したのです。
渡来した天之日矛が祀られる「出石神社」さんは、但馬の国の一之宮として、「いっきゅうさん」と、今も親しまれています。
現在でも、土木工事完成の名残のお祭りがあるそうです。
神話って、ホント生きていますよね。
「別れ」から踏み出す新たな幸せの道
赤い玉のご神縁、元夫婦の妻、阿加流比賣神さまも、難波で、「姫嶋神社」さんで(大阪市西淀川区)のやりなおし、人生を切り開く女神として崇敬されて。
また天之日矛さまも、新たな愛する家族とともに、その土地を大切に尽力されて、子孫にも恵まれて……ご祭神として崇敬されて。。
あのとき、阿加流比賣神さまの決意した「別れ」は、共に、新たな幸せへの一歩となったのですね。
私達の人生も同じですよね。別れは悲しみもありますが、そこから人生をやりなおし、新しく生きるという面もありますもんね。
この「別れ」がなければ、神功皇后さまは誕生していないのですもんね。
神様の物語も、人生も、ご縁の結びつきって、おもしろいです。
長くなりました。ではまた次回、もう一つの挿話を!
―次回へ
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