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海女の祖が奉った「熨斗あわび」は今も伊勢の神宮に 元伊勢一二三 神話は今も生きていることの葉綴り四五三

“見えず”とも“在る”を感じる

こんにちは。しとしと雨音を聞きながら、「ことの葉綴り」に向かいます。
肌寒いですが、皆さま、お元気でしょうか?
昨夜の、射手座満月+皆既月食+スーパームーン。
雲で見えませんでしたが、雲の向こうに“在る”と思うと、なんだか楽しかったです(^^)

さて、今日も神話の物語に入ります。
<ふりかえりはこちらです> 
「ことの葉綴り」神様の物語……神代~神様ごとに、マガジンにまとめております。

天照大御神さまが、伊勢の神宮にお祀りされるまでの、これまでの「元伊勢」の物語は、4つのマガジンにまとめてあります。
よかったらご覧くださいね。

初代の斎王、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまの、ご巡幸の物語は、こちらをご覧ください。

二代目の斎王となられた倭姫命(やまとひめのみこと)さまの、伊勢までの物語はこちらを。

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天照大御神さまに奉るご馳走を求めて

垂仁天皇二十六年、倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、
皇祖神、天照大御神さまを、伊勢の国の五十鈴の宮に、お遷し申し上げました。そのあとも、倭姫命さまは、天照大御神さまにお近くでお仕えになられます。まずは、天照大御神さまのお召し物「神御衣(かんみそ)」を、天上界の織り方のままに、おつくりになられました。

そして……。

倭姫命、御船に乗り給ひ、御膳御贄(みけおほみにへ)の処を定め、嶋の国の国崎嶋に幸行きしたまふ。
「朝(あした)の御饌(みけ)夕べの御饌(みけ)。」と詔(の)りたまひて、湯貴の潜き女等(かづきめら)定め給ひて、還り坐すときに、神堺定め給ひき。
戸嶋・志波崎・佐加太岐(さかたき=酒滝)嶋を定め給ひて、伊波戸(いはと)に居給(いたま)ひて、朝(あした)の御気(みけ)夕べの御気(みけ)処を定め奉る。

倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、御船に乗られて天照大御神さまに差し上げるためのお召し物や、お供えものを調達するための場所を定めるために、志摩国の国崎島へと行幸なさいました。

そこで、(あわび)を召し上がり、あまりの美味しさから、
天照大御神さまへの「朝の御饌(みけ)、夕べの御饌(みけ)にお仕えてもらえないか」と仰せになりました。
朝の御饌(みけ)、夕べの御饌(みけ)とは、天照大御神さまの朝と夕のお食事のことです。
そして、海に潜り、鰒(あわび)などを採る、神聖で清らかな女性たち、海女(あま)をお定めになりました。

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倭姫命さまに鰒を献上した海女の祖『おべん』さん

天照大御神さまに、伊勢の国の新鮮で美味しいものを差し上げたいと、志摩へ出向かれたのですね。

この国崎は現在の三重県鳥羽市の国崎(くざき)町です。
ちょうど太平洋と熊野灘に面して、親潮と黒潮がぶつかりあう、「海の難所」といわれています。
発端の岬「鎧崎(よろいざき)」は、この倭姫命さまご一行が御船でご巡幸されたときに、この岬で、鎧を外したことから、「鎧崎」と命名されたそうです。

そして、倭姫命さまが、国崎を訪れたとき、「おべん」さんという海女の女性から、鰒を差し出されて召し上がりました。
新鮮な鰒のあまりの美味に、感動された倭姫命さまは、天照大御神さまに献上するようにと、お命じになられたのですね。

すると、「おべん」さんは、
はい。生のままの鰒では腐ってしまいますので、鰒を薄く切って乾燥させて貯蔵いたします」と、答えたそうです。
倭姫命さまは、生のものと、そのどちらも奉納するようにと喜ばれたそうです。

今も奉納される「熨斗あわび」の起源に

この「おべん」さんが話したものが、今も伊勢の神宮に奉納されている「熨斗(のし)あわび」。その起源となります。
国崎は、この「熨斗あわび」をつくる御贄地(みにえどころ)という、天照大御神さまに捧げる鰒を調理する場所と定まりました。

今も国崎では、「伊勢神宮御料鰒調整所(おりょうあわびちょうせいしょ)」で、天照大御神さまに奉る「熨斗あわび」を、古来の製法のままに調整されています。
毎年六~八月にかけて、地元の「熨斗あわび保存会」により「熨斗鰒づくり」が行われるのです。

あっよく贈り物につかう「熨斗(のし)。
この「熨斗あわび」が起源なのですって!! へえ~ですよね(^^)
おべん」さんも、今にも続く海女さんたちの祖
次回は、もう少し、こちらの続きをご紹介します!
いつも、ありがとうございます。

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―次回へ
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