知られていない神さまたち 神さまも“失敗”して成長した ことの葉綴り。二三一
神の冒険から人の世へ
おはようございます。雨降る朝、気温も低い中、小鳥さんたちのさえずりが聞こえてきます。「ことの葉綴り。」今日も始めます。
さて、今日も神話の物語を紡ぎます。
『古事記』では、神代の巻の上巻を終えて、今は、中つ巻です。
上巻は、でした。宇宙、世界のはじまり、神々、国土、世界や、生き物、植物の生命の起源が描かれ、そして神さまたちの、失敗しながらの冒険譚、ヒーローズジャーニーのお話でした。
そして、中つ巻に入ると、ここからは天皇家の系譜や、皇位継承、勢力の争いが紹介されています。
さらに、恋愛、結婚も描かれています。
どんな恋愛がでてくるでしょうか。まだ先ですが楽しみにしていたいです。
上つ巻と、中つ巻では、同じ神話でも、神さまから人の世へとうつろっていきます。物語も、私たちの身近になっていきそうですよ。
さて物語の続きを……。初代神武天皇が崩御されたあと、後継者問題が起きて、末っ子の建沼河耳命(たけぬまかはみみのみこと)が皇位を継がれて、二代目の天皇に即位されました。
綏靖(すいぜい)天皇と呼ばれます。
語られたことと、語られなかった物語と
この綏靖天皇から、第九代、開化天皇まで、エピソードがほとんど記されていないことから、「欠史八代」(けっしはちだい)と呼ばるところまでを前回お話しました。
とはいえ、エピソードが少ないとはいえ、実は、妻や子、皇后や御子が、どこの誰で、誰が生まれて、誰を娶ったかなど細かく書いてあるのですよ。
また、古では、叔父と姪、異母兄弟の縁戚の婚姻が、「理想」とされていたようです。そんな、古の「価値観」も感じつつ読み進めて参りましょう。
では、「欠史八代」のご紹介を始めますね。
第三代 安寧天皇(あんねいてんのう)
綏靖天皇(すいぜいてんのう)は、師木縣主(しきのあがたぬし)の祖(おや)の、河俣毘賣(かわまたひめ)を妻として、一柱の御子が誕生します。
その名は、師木津日子玉手見命(しきつひこたまでのみのみこと)といいました。
縣主(あがたぬし)とは、古代の政治制度ともいえる「律令(りつりょう)」制になるまであった、大和王権で、その地域地域を統治した首長のことをいいます。
この御子が、片鹽(かたしお)の浮穴宮(うきあなのみや)、現在の奈良県北葛城郡のあたりで、即位をされて、第三代安寧天皇(あんねいてんのう)となられました。
安寧天皇は、母の河俣毘賣(かわまたひめ)の兄である、縣主波延(あがたぬしはえ)の娘、阿久斗比賣(あくとひめ)を娶ります。
従姉妹と結婚したのですね。
そして、三柱の御子が誕生します。
常根津日子伊呂泥命(とこつねひこいろねのみこと)
次に、大倭日子鉏友命(おおやまとひこすきとものみこと)
次に、師木津日子命(しきつひこのみこと)でした。
安寧天皇は、四十九歳で崩御されます。
御陵は、畝傍山の南(橿原市吉田町)の御陰(くぼみ)にあります。
継承したのは誰?
では、ここで質問です。
安寧天皇が崩御されたあと、四代目を継承されたのは、
三柱の御子の中のどなたでしょうか?
常根津日子伊呂泥命(とこつねひこいろねのみこと)
大倭日子鉏友命(おおやまとひこすきとものみこと)
師木津日子命(しきつひこのみこと)
お名前を見ていると、「答え」がわかりますよ。
こちらも、長男ではありませんよね。
末っ子は、父と、母方の名の師木がついていますね。
ということは……。
はい、正解は、
二番目の御子
大倭日子鉏友命(おおやまとひこすきとものみこと)でした!
―次回へ
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