強い信頼の絆 二つの神宮 ことの葉綴り。二一三
“神武さん”と親しまれる橿原神宮
こんにちは。今日は仕事の間のひととき「ことの葉綴り。」に向かいます。
天孫の御子、伊波禮毘古が、
豊かで平安な国造りを目指して、日向の高千穂から、
長い歳月をかけて、幾度の苦難を乗り越えて、
大和への国平定の旅が、ようやく終わりました。
現在の奈良県の橿原市の畝傍山(うねび)の東南の麓に
白檮原宮(かしはらのみや)において、
国の平定をされて、
天下を治められて、
即位の礼をおこなわれて、初代神武天皇なられました。
遥か昔、辛酉の年の春、正月庚辰朔(ついたち)のことでした。
これは紀元前六六○年の一月一日(新暦二月十一日)。
建国記念日が、2月11日なのは、この神武天皇が御即位された日からきているのです。
天照大御神さまの
「豊葦原の瑞穂国はわが子孫の君たるべき国なり」
という、言向け通り、
お孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)さまが
高天原から天孫降臨されて、
四代目が、神倭伊波禮毘古(かむやまといわれびこ)さまが、
ようやく地上の国内を統一されたのでした。
このご即位された畝傍(うねび)の宮。
その伝承地の畝傍宮遺跡に、
畝傍山の北東の麓には、神武天皇陵があります。
そして、東南の麓に、橿原神宮がご鎮座されています。
ご祭神は、神武天皇。
正式のお名前は、神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと)さま。
神話の物語ではこれから登場される
皇后の媛踏鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)
けれど神宮が建てられたのは、なんと、明治になってからなのです。
橿原の宮の伝承地に、初代神武天皇の御聖徳を尊び敬いたいという声が民間からあがり、そして実現したのでした。
明治天皇もたいそう喜ばれて
元京都御所の賢所(かしこどころ)と神嘉殿(しんかでん)を賜ったのです。京都御所の温明殿は本殿に。神嘉殿は拝殿に
明治二三年四月二日、官幣大社橿原神宮としてご鎮座されました。
今も「神武さん」と、地元をはじめ全国の方々に慕われ崇敬されています。
お正月には100万人の方が初詣にお参りされています。
神武天皇が崩御された四月三日は、「神武天皇祭」が執り行われています。
邇芸速日命と石上神宮
最後に現れて伊波禮毘古のピンチを救った天つ神の邇芸速日命(にぎはやひのみこと)は、その後、物部氏の祖先となります。
奈良県の天理市にある石上神宮(いそのかみじんぐう)は、
伊波禮毘古が、熊野の山中で、荒ぶる神の呪力で生死の境をさまよったときに、天つ神さまの使者として遣わされた神剣「佐土布都神(さじふつのかみ)」こと、「韴霊(ふつのみたま)」に宿られる御霊威を称えて布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)が、主祭神です。
また、邇芸速日命(にぎはやひのみこと)は、饒速日命とも書きますが、この神は、天の磐船に乗って、地上に降臨してくるときに、
天つ神から授けられた「天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)」という十種の神宝がありました。
この神宝に宿られるご霊威を讃えて、「布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)」として、石上神宮の主祭神としてお祀りされています。
強い信頼関係の結び
そして、邇芸速日命(にぎはやひのみこと)の御子である
宇摩志麻治命(うましまじのみこと)の子孫の物部氏が
この神宮の祭主です。
困難なときに、現れて、忠誠を誓った邇芸速日命のことを、
伊波禮毘古こと、初代神武天皇は、たいそう信頼されて喜ばれて、
邇芸速日命を、武臣の首座に据えられて、
そして、ご自身のピンチを救ってくれた、天つ神さまの使者の神剣をお祀りすることを、お任せになったほどのです。
神話の物語が、今にも伝わっているって嬉しいですよね。
ぜひ、奈良へ行かれたら、
大和の国が誕生した物語の二つの神宮
橿原神宮
石上神宮
へも足を延ばしてみてください。
伊波禮毘古の苦難の末の、
天照大御神さまはじめ、天つ神の御こころ
そして、地上での国つ神の仲間を増やしていった物語、
最後に助けに現れた邇芸速日命。
そして、伊波禮毘古と邇芸速日命との、
信頼関係などを思い出し、
古代の息吹を感じながら、お参りしてみてください。
チャレンジすること。
その大変さと共に、あきらめない力
周りからのサポート。
そして、決して神さまも、人も
一人ではないこと。
信頼できる存在との出会いのありがたさ。
“共に在る”ことで、成し遂げられることのあること。
などなど、
きっと、人生の旅の試練に立ち向かう勇気をくださるはずです。
―次回へ
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