天照大御神様のすぐお側「斎の宮」で仕える倭姫命様 元伊勢一一七 神話は今も生きている ことの葉綴り四四七
夜も更けての「ことの葉綴り」
こんばんは。皆さん、朝からの雨など大丈夫でしたか?
湿度も高く、だるさも感じやすい季節。
御身お大切になさってくださいね。
さて「今日」という日が、残り少なくなりましたが、ひととき、「ことの葉綴り」に向かいます。
綺羅さんがマガジン『インスピレーションBOX』に記事をシェアしてくださいました。綺羅さん、ありがとうございます。嬉しいです。
天照大御神さまが、伊勢の神宮にお祀りされるまでの「元伊勢」の物語は続いております。
初代の斎王、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまの、ご巡幸の物語は、こちらをご覧ください。
二代目の斎王となられた倭姫命(やまとひめのみこと)さまの、伊勢までの物語はこちらを。
「ことの葉綴り」神さまごとの物語は、マガジンに。
神風の伊勢の五十鈴の宮
天照大御神さまは、伊勢の五十鈴の宮にお鎮まりになられました。
倭姫命さまは、重臣の五大夫(ごたいふ)や大幡主命(おおはたぬしのみこと)をはじめ一同で、祝いの宴を催されました。
その席で、天照大御神さまのために、国を褒め寿ほがれ、平和と平穏を祈られた倭姫命さま。
また神風の伊勢の国から、大和国の父である第十一代、垂仁天皇のもとへと、使者が送られました。
元々、宮中にお祀りされていた天照大御神さまが、永久にお鎮まりになる聖地を探し求めて、宮中を、お出になられたのは、第十代の崇神天皇の御代のことでした。
それから、御代替わりがあり、また天照大御神さまにお仕えする御杖代(みつえしろ)も、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまから、倭姫命さまへと受け継がれて、二代にわたり、天照大御神さまがお鎮まりになる宮処を求めて、ご巡幸を続けられて
すでに八十年以上の歳月が流れておりました。
皇祖神の天照大御神さまが、高天原の御戸から地上をご覧になり、お鎮まりになる宮処と見定めておられた伊勢の国、五十鈴の宮……。
ご神事を執り行う神館(かむたち)
倭姫命さまの使者から、報告を受けられた垂仁天皇は、すぐさま、重臣の五大夫(ごたいふ)で、祭祀を司っている大鹿嶋命(おほかしまのみこと)を、「祭祀の官(さいしのつかさ)」に。
大幡主命(おおはたぬしのみこと)を、神の国の造(みやつこ)と、祭祀をおこなう神官を指揮する職の大神主に定められました。
神館(かむたち)造り立てて、物部八十友(やそとも)の緒の人等(ひとたち)を率ゐ、雜(くさぐさ)の神事(かむわざ)を取り惣(す)べ、太玉串(ふとたまぐし)を捧げて供え奉れり。
因(よ)りて、斎(いつき)の宮を宇治の県(さと)五十鈴の川上の大宮の際(あひだ)に興(た)て、倭姫命をして居(ま)しまさしめたまふ。
そして、天照大御神さまがお鎮まりになるご神殿の近くに、ご神事を執り行うための建物を建て、物部のたくさんの臣下の人たちを引き連れて、さまざまなご神事を執り行われ、天照大御神さまに、太玉串(ふとたまぐし)を奉げてお供え奉りました。
神館(かむたち)は、ご神事や、身を浄める潔斎のときに、神官さんが籠る建物です。
天照大御神さまのすぐお近く「斎の宮」で
そのようなことから、「斎の宮(いつきのみや)」を、宇治の県(さと)五十鈴の川上の大宮の、空いているところに建てて、倭姫命さまを、天照大御神さまのすぐそばの「斎の宮(いつきのみや)」にいらっしゃるようにおさせになりました。
ここで、「斎の宮(いつきのみや)」が、登場してきました!!
この「斎の宮」で、倭姫命さまはお暮らしになり、身を浄められて、天照大御神さまにお仕えになられたのです。
今夜は、ここで失礼します。
倭姫命さまの、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまの物語は、まだ続きますので、宜しくお願い致します。
では、おやすみなさい。
いつもありがとうございます。
―次回へ
#一度は行きたいあの場所
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