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琵琶湖での決着 神功皇后十二 神話は今も生きている ことの葉綴り六一二
金運招来、寅の日と感謝
おはようございます。一気に夕暮れが早くなりましたね。
さて、十一月二日(火)は、まず吉祥日の金運を招くといわれる「寅の日」。「寅は千里を往って千里を還る」ことから、旅立ちにもいい。
六曜は、「赤口」で、昼前後の正午が吉。十二直は「定」で、物事の善悪が定まる日。婚礼の取り決め、引っ越し、種まき、開店などが吉。そして、二十八宿「室」で、祭祀、祈願始め、婚礼、お祝い事に吉です。
寅の日の朝、お仕事前にお参り行ってきまーす!(^^)
皆さんも佳日でありますように!! 寅の日、新しいお財布買うのにもいい日ですよ~。いつもありがとうございます。
また、嬉しいお知らせを頂戴しました! 感謝です。
<ことの葉綴り>全体のご案内
この「言の葉綴り」は、神話の物語を神さまごとに「マガジン」に分けて読めるようになっています。
「神さまも“失敗して成長した”」と、魅力的な神さまごとに18のマガジンに分かれています。全体のご紹介は、こちらをどうぞ。
600回の節目に、まとめてみました。
<神功皇后、これまでの物語>
神功皇后さまは、新羅討伐を成し遂げた後、「国を統べる御子」とご神託のあった品陀和氣命さまを出産されます。
けれど仲哀天皇の他の后の御子、香坂王と忍熊王兄弟との間で、後継者争いが勃発。
大和国へ還る神功皇后軍の船が、伊佐比宿禰将軍率いる忍熊王軍に襲われますが、“喪船”仕立てた船から、建振熊命将軍率いる神功皇后軍の兵士が現れて反撃に出ます。
忍熊王軍は、山城(山の坂や頂を利用してつくられた城)へと逃げ込み、一進一退の攻防が続き、決着がつきませんでした。
そのとき、建振熊命将軍が、神功皇后さまに、“降伏”の提案をしたのです。
神功皇后が身罷られた……もう戦の必要はない……。
忍熊王と、伊佐比宿禰将軍は、大喜びで、神功皇后軍の兵士を集め降伏させます。
建振熊命将軍を筆頭に、皇后軍の兵士たちは、頭を垂れて降伏しました。
髪に隠せし弓の弦
忍熊王と伊佐比宿禰将軍は“降伏”を信じ、自分たちの兵士たちにも、弓の弦を取り外すように命じました。
建振熊命将軍は、このときを待っていました。
忍熊王をはじめ、みな、戦からようやく解放されて、警戒心もありません。
今にも、祝宴をはじめようという雰囲気になっています。
建振熊命将軍は、“敗軍”ですから、静かに下を向いてじっとしていました。
そして秘かに自分たちの兵士に合図を送りました。
神功皇后軍の兵士たちはみな、うつむき加減になりながら、そっと、頭頂で束ねた髪の中に、かねてより忍ばせていた弦を取り出して、再び弓矢に張り付けていきます。
そして……油断している忍熊王と伊佐比宿禰将軍の軍勢に向かい、奇襲攻撃をしかけたのです。
はかられた~~~!!!!
建振熊命将軍の猛追撃
建振熊命将軍はじめ神功皇后軍は、一気に、この攻撃で決着をつける覚悟で、猛攻撃に転じたのです。
伊佐比宿禰将軍率いる忍熊王軍のみなは“降伏し戦は終わった”ものだと疑うことなく、もう戦意もなく、弓の弦も断ち切り戦う手立てもなく、みな逃げだすしかありません。
命からがらに逃げ出しいく軍勢を、追い撃ちする建振熊命たち。
忍熊王軍が、逢坂(京都と滋賀県の境、琵琶湖の西)まで逃げていくのを、追撃していきます。
やがて、沙沙那美(琵琶湖の南)まで、追いかけていき、ついにこの地で忍熊王軍の兵士を全滅させたのです。
もう兵士は誰も残ってはいません。
とうとう追い詰められた忍熊王と伊佐比宿禰は、船にのり琵琶湖の湖上へと漕ぎ出していきました。
琵琶湖へ入水した忍熊王と伊佐比宿禰
そして、こう歌を詠んだのです。
いざ吾君 振熊が 痛手負はずは 鳰鳥の 淡海の湖に
潜きせなわ
さあ、あなたさま。重い痛手を負うよりは、水に潜るカイツブリの鳥のように、琵琶湖に潜り死んでしまいませう……。
こう、歌を詠んだあと、忍熊王と伊佐比宿禰は、琵琶湖へと身を投げて共に亡くなったのでした……。
―次回へ
#みんなでつくる秋アルバム
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