神さま別「マガジン」紹介&倭姫命さま「御贄」探し 元伊勢一二六 神話は今も生きている ことの葉綴り四五六
寅の日の日曜日
おはようございます。今日は、金運招来の「寅の日」と、天が人々を慈しむ「母倉日」の日曜日です。
前回、cofumiさんから、「マガジンが沢山あり、どれから読んだらいいか」というコメントを頂戴しました。
cofumiさん、ありがとうございます。そこで……(^^)
「ことの葉綴り」ご案内
コメントのおかげもあり、また皆さまのおかげさまで、四五〇回を超えましたので、ここで再度、この「ことの葉綴り」のご案内をさせて頂きますね。
改めまして、私は、雑誌や書籍のライターという文筆と、高知県の山間部のご先祖の縁ある神社に籍をおく神職と、女子大学で一コマ授業を受けもつ講師の”三足のわらじ”をしております。
そして、神道についての言の葉を綴りたいと、「ことの葉綴り」をはじめました。ここでは、私たちが意外と知らない「神話の物語」や、神道についてのエッセイを書き溜めています。
大きなジャンルに分けますと「神話の物語」と「エッセイ」です。
この「神話の物語」は、
① 『古事記』などの物語
② 現在綴っている『元伊勢』
になっております。
神話に登場する、”完全ではなく、愛すべき神さまたち”が、とても魅力があって……「いじめられっこの大国主神さま」や、「岩戸に引きこもられた天照大御神さま」「暴れん坊から英雄神に成長した須佐之男命さま」……「命を懸けて恋をされた神さま」……などなど。
この物語は、現代の私たちが人生を生きる上でも、すごく役立つヒントになると、感じたのです。
そこで、“神さまも失敗して成長した”と、『古事記』の「上巻」の最初から、神代→天照大御神さまと須佐之男命さま→出雲の大国主神さま→天孫降臨→と順番に読み下しと、私が感じたことをまとめております。
「中巻」では、初代神武天皇~第十代、崇神天皇、第十一代、垂仁天皇までの物語を綴りました。
綴るうちに、膨大な量になってきたので(苦笑)。
神さまのエピソードごとに「マガジン」に分けた、というわけです。それが
「神話1 初の夫婦神・伊邪那岐・伊邪那美」~
「神話11 垂仁天皇 其の一 沙本毘賣との悲恋」
「神話12 もの言わぬ皇子 本牟智和気王(ほむちわけのみこ)」までとなります。
ここでいったん『古事記』は中断しまして、
天照大御神さまが、伊勢の神宮にお祀りされるまで「元伊勢」の物語へと、突入しました。
なぜなら、この『元伊勢』の物語は、第十代の崇神天皇の皇女、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまと、第十一代、倭姫命(やまとひめのみこと))さまが、天照大御神さまの御杖代(みつえしろ)となり、諸国をご巡幸された物語だからです。
こちらも、調べながら日々綴っていると、とても面白くて。
「神話13 天照大御神様の御杖代 元伊勢 豊鋤入姫さま編」~「神話16 天照大御神様の御杖代 元伊勢 倭姫命様編3 伊勢2」と、4つのマガジンに順番になっていて……今も、続いております。
そして、ときどき綴る「神道のこころ エッセイ」。
cofumiさんが、ご質問してくださったように。
「ことの葉綴り」にご興味を持ってくださり、どれを読もうか? というときには、
〇お好きな神さまの物語を選ぶ(知っている神さまの名前)
神代の物語は、どの神さまも、とっても魅力あるので、順番に呼んでいただくのも嬉しいです。
〇「伊勢の神宮」に興味がある方は、「元伊勢」の物語を。
〇軽く読みたいかたは、「神道のこころ エッセイ」
ではいかがでしょうか?
「ことの葉綴り」マガジントップページから、スクロールしていただくと、「マガジン」が選べるようになっております。
どうぞ、宜しくお願い致します。
海の幸が集まった「淡海の浦」
さて、せっかくなので、今日も少しだけ、倭姫命さまの、ご巡幸の物語を進めます(^^)
今から約二千年前、
第十一代、垂仁天皇二十六年。(←こちらが、マガジンの「神話11 と12」の主人公の垂仁天皇さまです)
皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、皇祖神の天照大御神さまを伊勢の五十鈴の宮にお遷しもうあげました。
(天照大御神さまの物語は、「神話3 太陽の女神・天照大御神様」です)
そして、倭姫命さまは、天照大御神さまがお喜びになるように、お召し物の神御衣(かんみそ)を織るように命じられます。
さらに、御船で志摩国へとおもむかれて、そこで海の幸の「鰒(あわび)」を、献上することを定められ、また志摩の離島を、天照大御神さまの朝と夕のお食事「御贄(みにえ)」のご準備をする神域と定められたのです。
然(しか)して、倭姫命、御船を留めたまふに、鰭(ひれ)の広き、鰭(ひれ)の狭(せば)き魚(うを)・貝津物(かひつもの)・息津毛辺津毛(おきつもへつも=奥つ喪辺つ喪)、依り来りき。
尓の海の塩、相和(あひやはら)ぎて、淡く在りける。
倭姫命さまが、天照大御神さまの「御贄(みにえ)」の場所を、さらにお探しに幸行されて、御船をお留めになられたときのことです。
鰭(ひれ)の大きい・小さいさまざまなお魚たちや、貝類、沖の藻、岸辺の藻など海の幸が、倭姫命さまのもとへと自然と、打ち寄せられて集まってきました! その場所が、海流の潮の流れが和らぎ塩が薄味だったことから、倭姫命さまは「淡海の浦(あふみのうら)」と、お名づけになりました。
この「淡海の浦(あふみのうら)」は、現在の鳥羽市の駅の近くの小浜(おばま)町あたりといわれているそうです。
長くなりました。
では日曜日ゆっくり楽しくお過ごしくださいね。
私もお休みしま~す。
いつも、ありがとうございます!!
―次回へ
#一度は行きたいあの場所
#私の作品紹介
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