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倭建命(やまとたけるのみこと)さまの伊勢の神宮参拝 元伊勢一五二 神話は今も生きている ことの葉綴り四八四

大祓まで、半年間の振り返りを!

こんにちは。水無月も残り三日。三十日(水)は、「夏越の祓(なごしのはらえ)」。この半年間に知らず知らずについた穢れを祓うご神事です。
皆さんの今年上半期はいかがでしたか?
水無月の残りの三日で、六か月間を振り返り、心身を清めて、また新たな気持ちで、下半期を迎えたいですね。さて日曜日もお仕事なので、その合間のちょいひととき「ことの葉綴り」に向かいます。

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<ことの葉綴り>ご案内


この「ことの葉綴り」全体の神話の物語のご紹介です。
神話は、「神さまも“失敗して成長した”」「“神話は今も生きている”」と、日本の魅力的な神様の物語編。
約、二千年前、伊勢の神宮ができるまでの「元伊勢」編。
ときおり綴る「エッセイ」編。
それぞれに「マガジン」で分けています。
下記のトップページから、スクロールしていただくと、物語別、神様べつに「マガジン」が選べるようになっております。
神さまの名前や、ご興味あるものを読んでいただけると幸いです。

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倭建命(やまとたけるのみこと)さまと倭姫命さま。

天照大御神さまを伊勢の神宮にお祀りされた、伊勢の神宮の創始、倭姫命さまの物語です。

倭姫命さまは、祭祀を司る斎王(さいおう)を、姪である五百野皇女(いほののひめみこ)におゆずりになられたのちも、天照大御神さまのお側である、宇治の機殿(はたどの)の「礒の宮」にいらっしゃいました。
そして、ある年のことです。伊勢の神宮に……あの…あの…神さまが(^^)。


二十八年戊戌春二月、暴(あら)ぶる神多く怒りて、東国不安、冬十月壬子朔の癸丑、日本武尊(やまとたけるのみこと)発路(みちた)ちす。
戊午、枉(よき)り道して、伊勢の神宮(かむみや)拝(をろが)む。
仍(よ)りて、倭姫命(やまとひめのみこと)に辞(まかりまを)したまひて曰く、「今、天皇(すめらみこと)の命(めい)を被(かがふ)りて、東に征(ゆ)きて、将(まさ)に諸(もろもろ)の叛(そむ)く者誅(つみ)せむとす。故(か)れ、辞(いとまを)す。」

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日本武命(倭建命)さま、伊勢の神宮参拝

景行(けいこう)天皇の御代、二十八年戊戌の年、春二月のことです。
このころ、天皇の命令に従わない神が大勢発生していました。そして東の国が穏やかでなくなっていました。
この冬の十月、壬子(みずのえのね)の朔日。そこから数えて癸丑(みずのとうし)の日に、景行天皇の皇子(みこ)である、日本武尊(やまとためるのみこと)さまが、不穏となった東の国をおさめるために、大和を出発なさいました。
そして、戊午(つちのえうま)の日です。東へ向かう旅の途中、寄り道をなさり、伊勢へとお立ち寄りになられて、天照大御神さまがご鎮座する、伊勢の神宮に、参拝なさったのです!

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倭姫命さまに出立の挨拶を

そのときに、伯母である倭姫命(やまとひめのみこと)さまに。ご挨拶をなさって、こう仰られたのです。

私は、天皇(すめらみこと)のご命令をいただき、東に赴き、叛逆する大勢のものを誅伐(ちゅうばつ)してまいりまする。そのため、伯母上にもご挨拶を申し上げに参りました

景行(けいこう)天皇倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、第十一代垂仁(すいにん)天皇の皇子で、母も同じ兄と妹です。
日本武尊(やまとたけるのみこと、倭建命)は、景行天皇の皇子で、
倭姫命さまは、父方の伯母にあたります。

また後日、『古事記』の読み下しの物語を綴りますが、日本武尊(やまとたけるのみこと)は、父である景行天皇に、“恐れられ”“嫌われ”ており、疎外されておりました。
九州、出雲と、都から遠く離れたところへ誅伐(ちゅうばつ)を命じられ、戻ってすぐの、今度は東国へのご命令……。

日本武尊(やまとたけるのみこと、倭建命)さまは、父との関係に悩み、傷ついたこころで、伊勢の神宮で、皇祖神の天照大御神さまにお参りをして、そして伯母である、倭姫命さまのもとを、訪れられたのでした。

さて、倭姫命さまは、甥っ子である日本武尊(やまとたけるのみこと)さまを、どう、受け止められるのでしょうか
ご自身も、少女のころから、天照大御神さまの御杖代(みつえしろ)としてご巡幸の旅を続けられてきたからこそ、“甥っ子”の心の悲しみや傷も、誰よりも理解されるのかもしれませんね。
お楽しみに!!!

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―次回へ
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