媛達が神祀りで活躍 崇神天皇の系譜 神話は今も生きている ことの葉綴り。二五八
「おもてなしの祖」叔父の娘が皇后に
おはようございます。秋晴れの朝、「ことの葉綴り。」のひとときです。
神話の物語、第十代、崇神天皇(すじんてんのう)の系譜の続き。
前回、二人目の妃と四柱の御子のお話でした。
今日は、三人目の妻で、皇后となる、御眞津比賣命(みまつひめのみこと)とその御子です。
この媛の父は、大毘古命(おおびこのみこと)は、祖父の第八代孝元天皇(こうげんてんのう)のご長男。i
大毘古命(おおびこのみこと)は「おもてなしの祖」でもありますよ(^^)
で、ということは、崇神天皇(すじんてんのう)の父である、開化天皇(かいかてんのう)の兄なので、崇神天皇の叔父になります。
この「おもてなしの祖」の叔父の娘、従姉妹にあたる御眞津比賣命(みまつひめのみこと)との間に、六柱の御子が誕生します。
皇后になった媛は、一人目、二人目の妃よりも、“近く”父君も王(みこ)ですから、位も高いですね。
そして、この叔父である、大毘古命(おおびこのみこと)さまは、崇神天皇(すじんてんのう)のを大いに助けて活躍されますよ。
さて、この皇后との間に誕生した六柱の御子です。
一、 伊玖米入日子伊沙知命(いくめいりびこいさちのみこと)
この御子が、皇位を継承されて、次の垂仁天皇(すいにんてんのう)となります。
二、 伊邪能眞若命(いざのまわかのみこと)
三、 國片比賣命(くにかたひめのみこと)
四、 千千都久和比賣命(ちちつくわひめのみこと)
こちらの御子の記述はありません。
千千都久和比賣命(ちちつくわひめのみこと)は、千千衝倭姫命とも書きます。この、わは、倭のことをさし千千衝のちちくは、霊力が高く盛んで突出している、という意味だと言われています。
五、 伊賀比賣命(いがひめのみこと)
こちらは、『日本書紀』では、五十日鶴彦命(いかつるひこのみこと)とあり、王(みこ)になっています。性別が違います。
殉死の禁令!?
六、 倭日子命(やまとひこのみこと)
この倭日子命(やまとひこのみこと)の王(みこ)が崩御されたとき、「始めて墳墓の周りに、人垣を立てた」とあります。
と。『古事記』には、ここで「初めて」と、あります。
貴い人や主君、夫がなくなると、妻や臣下が死んで殉ずる殉死は、古来のエジプト、メソポタニア、中国でも行われていたようです。
ただ、日本では、考古学的には、殉死の例は不明で、渡来人の習俗の影響ではないかと考えられています。
『日本書紀』によると、次の垂仁天皇の御代に、倭日子命(やまとひこのみこと)が亡くなられたときに、側近の寵臣(ちょうしん)たちを、ことごとく生きたまま陵の境界に埋め立てた。
垂仁天皇は、弟である王の寵臣たちが、泣き呻く声を聞かれて、御心悲しみに悼まれて、次の詔を出されます。
殉死の禁令
「およそ、生きているときに、寵愛されたからといっても亡者に殉死させるのは、きわめて傷ましいことである。
それが古来の風習であろうとも、良くないことならば、どうして従う必要があろうか。今後は、議(はかっ)て、殉死をやめさせよ」
これまでの、神話の流れとは、ちょっと綴っていて、なんだか唐突な感じがしました。(ペコリ)
彦姫制 卑弥呼に関係するの?!
さて、崇神天皇の他の妃の御子は、
豊木入日子命(とよいりひこのみこと)
豊鉏入日賣命(とよすきいりひめのみこと)
大入杵命(おほいりきのみこと)
八坂の入日子命(やさかのいちひこのみこと)
沼名木(ぬなき)の入日賣命(いりひめのみこと)、
十市(とをち)の入日賣命(いりひめのみこと)
今回ご紹介した六柱で、以上、十二柱の御子が生まれます。
なんだか目につくのが「日入子(いりびこ)と。日入日賣(いりびめ)」です。
なんだろう?
『日本書紀』によると、こう書いてありました。
いりびこ・いりひめ
この時代に集中的に現れる血縁上の特定の呼称だそうです。
いりは、神殿に入り政治を行うことを意味する。
そして「入彦と姫」は、対になる名前だとか。
この崇神天皇の御代以降、「彦姫」一体の名前で、政治を執る時代が続いていきます。
これを「彦姫制(ひこひめせい)」というそうです。
これこそ、『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』における、
卑弥呼などの巫女(ふじょ)的女王の言を受けて、政治を執り行う男弟王との、二人による体制ととっても似ているようです。
卑弥呼と関係してたりするのでしょうか? 古代のロマンですね。
女性“活躍”社会!
姫(媛)が神殿で、シャーマン的に神さまのご託宣を受けて
彦が、政をとり行う。
男女、陰陽、それぞれが補い合って力を合わせて政を司っていたのですね。
同じ姉妹で姉である、豊鉏入日比賣(豊鋤入姫命とよすきいりひめのみこと)も、皇祖神の天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまのお祀りを、
沼名木(ぬなき)の入日賣命(渟名城入姫命いりひめのみこと)も、大和の国の神さまのお祀りを委ねられました。
崇神天皇の御代、王女の媛(ひめ)たちが、
すごく活躍した感じがしませんか?
そして今より、女性が活躍していますね(笑)。
しかも、神さまをお祀りするお役目で……!!
崇神天皇は、現代にも続く、祭祀にも力を入れられました。
それが、王女たちへ託した思いに現れている気がします。
初の夫婦神となられた伊邪那岐命さまが、父として「三貴神」の媛神の天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまに、「高天原」を委ねられたように!!
次回から、ようやく崇神天皇の物語へ突入です。
―次回へ
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