夢に現れた神 神功皇后十四 神話は今も生きている ことの葉綴り六一四
おはようございます。朝晩冷えますが昼間は温かいですね。いつも、「ことの葉綴り」に”お来し”いただき、ありがとうございま!……で、一方、昨日、「note」で、他の方の記事に💛を押そうとしたら、すぐに押せなくなっちゃいました! すごく残念でした!!!
さて十一月四日(木)の暦は、六曜は、朝と夕が吉の「友引」で何事も勝ち負けがないとされる日です。十二直は「破」で、物事を突破する日。人を説得するのにいい日。二十八宿は「奎」で、祭祀、建築、婚礼、旅行、植木の植え替えに吉の日です。
祝日あけで疲れも出やすいかも。胃に優しい温かなものを食べて元気だしていきましょうね。
<ことの葉綴り>全体のご案内
この「言の葉綴り」は、神話の物語を神さまごとに「マガジン」に分けて読めるようになっています。
「神さまも“失敗して成長した”」と、魅力的な神さまごとに18のマガジンに分かれています。全体のご紹介は、こちらをどうぞ。
600回の節目に、まとめてみました。
<神功皇后、これまでの物語>
神功皇后さまは、夫である第十四代仲哀天皇さまが身罷られたあと、「天皇の位を継ぐべき太子」とお告げのあった品陀和氣命さまをお産みになります。
皇位継承問題がおこりますが、反逆を興した忍熊王軍を、建振熊命将軍の計略により全滅させます。
第十三代の成務天皇の御代から、大臣また審神者として仕えていた建内宿禰は、
太子の命を守るために、「品陀和氣命の御子は亡くなった」と、“死人”と偽ったことから受けた“穢れ”を祓うために、「禊の旅が必要だ」と、神功皇后さまに進言します。そして、幼い品陀和氣命の御子と建内宿禰は、禊の旅へと出発したのです。
幼き御子と歩む旅路
建内宿禰は、皇位を受け継ぐ大切な御子品陀和氣命さまが禊をするところを求めて、大和国から淡海(近江)へと向かいました。
かつて、成務天皇の御代に高穴穂宮があったところです。
そこから、さらに若狭国(福井県西部)へと旅をしていきます。
生まれたときには、すでに仲哀天皇さまは身罷られていたので、太子の品陀和氣命は、“父”の存在を知りません。
幼い御子にとり、知恵もあり信頼できる大人の建内宿禰は、父のようでもあり、師でもありと、存在が大きかったでしょうね。
また、小さな体で、一日中、歩き続ける旅は厳しいことですよね。
きっと、建内宿禰は普段は優しく、時に厳しく、また疲れ果てたときには、背負ったりしながら「大切な尊い御子をお守りお育てしなければ」と、深い愛情で慈しみつつ旅を進められたのではないでしょうか。旅を続けながら、強い信頼関係も結ばれていったことでしょうね。
建内宿禰の夢に神が
若狭国(福井県西部)から、高志国(越前国)の角賀というところまでやってきました。
建内宿禰は、角賀の地に、仮のお宮をつくり、太子品陀和氣命さまの宮殿として、そこに住まわせることにしました。
この角賀は、福井県の敦賀の古い名前です。
ここで、身を浄める禊をおこなっていたようです。
ある夜のことでした。
建内宿禰の夢に、この土地の神、伊奢沙和氣大神命が、現れたのです。
建内宿禰は、審神者です。
神さまのご神託をうかがい、そのご神意を確かめる役割です。
夢の中とはいえ、「この神は、この土地の神にちがいあるまい」と意識もあったでしょう。
まさに、夢の中でも、「これは夢だ」と、自覚しながらも見る夢「明晰夢」ですね。
この国の神、伊奢沙和氣大神命がおっしゃることには……。
さて、ここで質問です。この神は、なんとおっしゃったでしょうか?
一、 大和国が大変である、今すぐこの国から出て大和へ戻れ。
二、 よく、高志の国へと来てくれた。ここにずっといるがいよ。
三、 私の名前を、御子の名前と取り換えたい!
夢の中のご神託、この三つのうちのどれでしょうか?
回答は次回に(^^)↓龍が口を開けたみたいじゃないですか? なんて。
―次回へ
#みんなでつくる秋アルバム
#私の作品紹介
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?