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12年目のご巡幸 神の御心で一歩一歩。 元伊勢三十 ことの葉綴り三五六

19日は霧島神宮「月次祭」

おはようございます。
現在、天照大御神さまが伊勢の神宮にお祀りされるまでの倭姫命(やまとひめのみこと)さまの御巡幸の物語を綴っています。
毎月十九日は、鹿児島県の「霧島神宮」さんで、天照大御神さまの孫神で、高天原から天孫降臨された、瓊瓊杵尊(ににぎのみことさま・邇邇芸命)さまの「月次祭(つきなみさい)」が、とり行われています。
ご神恩に感謝をして、ご神徳がさらに高まり、皇室が栄え、氏子さん、崇敬者さんのみなさんの幸せを社会の繁栄をお祈りされます。

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神代の神様、大集合!

ちなみに、「霧島神宮」さんでの、主祭神を正式には、
天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊尊」(あめにぎしくににぎしあまつひたかひこほのににぎのみこと)です。長いし難しい(苦笑)

お后の「木花開耶姫尊(このはなさくやひめのみこと)」さま始め御子神とお后の「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」と、「豊玉姫命(とよたまひめのみこと)」さま。

孫神とお后の「鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)」と、「玉依姫尊(たまよりひめのみこと)」

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曾孫神さまで、初代天皇となられた「神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)」さまがお祀りされています!!

まさに、神代の神話の神様が一堂にお祀りされているのです。
それぞれの「神話の物語」も貼り付けました。

※これまでの1~343回までの、神代~の13の神話の物語のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。

では、倭姫命(やまとひめのみこと)さまの、ご巡幸の物語へ。

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大和~伊賀、次の巡行へ

大和国の「御室嶺上宮(みむろのみねのかみのみや)」で、2年
豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまから受け継がれて。
御杖代(みつえしろ)として、斎王として、ご巡幸を始められ、
「宇多秋宮」「佐佐波多宮」(大和国)で4年。
「市守宮(いちもりのみや)」(伊賀国)2年。
「穴穂宮(あなほのみや)」(伊賀国)4年。
「敢都美恵宮(あへつみえのみや)」で2年。


大和国から伊賀国、そして、天照大御神さまの御こころのままに、
次なる巡幸地へと遷って
いかれます。

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伊賀から近江「甲可の日雲宮」

垂仁天皇四年乙未、淡海(あふみ)の甲可(かふか)の日雲宮に遷りたまひ、四年斎き奉る。
時に淡海(あふみ)の国造、地口の御田を進る。

垂仁天皇の御代四年、乙未年に、倭姫命(やまとひめのみこと)さまご一行は、伊賀国から、近江の甲賀(こうが)郡の「日雲宮(ひくものみや)」にお遷りになりました。
そして、四年間、こちらで天照大御神さまをお祀りされました。
このとき、近江の国造(くにのみやつこ)が御田を献上いたしました。

淡海(あふみ)とは、近江(おうみ)。今の滋賀県ですね。
淡水の湖、琵琶湖が有名です。でもなぜ近江なのかというと、
同じ淡水の湖の浜名湖のことを、遠くにある「遠江(遠つ淡海)」で、それに対しての「そこよりは近くの江、淡水の湖」という意味らしいです。

甲可(かふか)とは甲賀! 甲賀といえば、忍者ですね(笑)。
その前の、伊賀も忍者! どちらの後の世では「忍びの里」になってますね。不思議(^^)。

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神の御こころで、一歩一歩のご巡幸

そして、「甲可日雲宮(こうかひくものみや)」といわれている比定地の神社もいくつかあります。どんなところなのでしょうね。

元伊勢」といわれる、それぞれの「聖地」で、人々に稲作を伝え、行く先々の土地も豊かになり、その土地で獲れた鮎やお米、野菜を、ご神饌としてお供えをして……。
川では、禊をして身も心も清めて、美しい七色の龍神さま、ご先祖の神さまにも、見守らながら、「大物忌(おおものいみ)」の大宇祢奈(おおうねな)や「五大夫(ごたいふ)」とともに、天照大御神さまを、尊び大切にお祀りする日々、すでに十二年の歳月が流れていました。

私たちも、人生、一歩一歩、神さまの御こころをうけて、歩いていき、新たな光の扉を開けていきたいものですね。

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―次回へ

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