見出し画像

守られ愛されている実感 倭建命其の二六 神話は今も生きている  ことの葉綴り五五一

雨音を聞きながら

おはようございます。雨音がしとしと聞こえてきます。涼しくなりましたね。皆さん、気温差で体調崩されていませんか?
いつも、「ことの葉綴り」に、“お来し頂き”本当にありがとうございます
今朝も神社にお参りしてきました。雨の鎮守の杜、境内もしっとりとした清らかさに包まれていましたよ。

九月二日(木)の暦は、六曜は、朝と夕が吉で、何事も勝負がないといわれる「友引」。十二直は、物事を執り行う「執(とる)」で、お祝い事、ご神事、建築、五穀の取り入れが吉。
二十八宿「斗(と)」は種まきや、新たなこと、種まきに吉。そして、天が母のように慈しむ「母倉日(ぼそうにち)」です。

九月三日(金)は、六曜「先負(せんぶ、さきまけ)」の午前は凶、午後が吉で、何事も平静に控えめが吉。十二直は、物事を突破していく「破(やぶる)」で人の説得に吉。
二十八宿の「牛(ぎゅう)」は、「鬼(き)」に次ぐ吉祥日! お金の相談、引っ越しなどすべて吉。
そして、もう一つ吉祥日が重なります。金運招福の「寅の日」です。

さて、倭建命(やまとたけるのみこと)さまの神話の物語へと入っていきましょう。宜しくお願い致します。

画像1

<ことの葉綴り>ご案内

この「ことの葉綴り」全体の神話の物語のご紹介です。
神話は、「神さまも“失敗して成長した”」「“神話は今も生きている”」と、日本の魅力的な神様の物語編。
約、二千年前、伊勢の神宮ができるまでの「元伊勢」編。
ときおり綴る「エッセイ」編。
それぞれに「マガジン」で分けています。
下記のトップページから、スクロールしていただくと、物語別、神様べつに「マガジン」が選べるようになっております。
神さまの名前や、ご興味あるものを読んでいただけると幸いです。

最新のマガジンは、天照大御神さまが伊勢の神宮にお鎮まりになられるまでの「元伊勢」物語 神話13~17です。

画像2

<倭建命様の物語。これまでのあらすじ>

第十二代、景行天皇(けいこうてんのう)の太子(ひつぎのみこ)の倭建命(やまとたけるのみこと)さまは、熊曾建兄弟(くまそたける)を討伐し、すぐさま東の国の荒ぶる神の討伐へ出立されます
わずかな家臣と、愛する弟橘比賣命(おとたちばなひめのみこと)さまと共に東へと進んでいきます。
現在の「焼津」(静岡県)で、罠に嵌められ、野火を放たれて絶体絶命の窮地に陥ります。
そのとき、伊勢の神宮の斎宮(いつきのみや)で叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)さまから賜った皇統を受け継ぐ「草薙剱(くさなぎのつるぎ)」で、火のついた草を薙ぎ倒し、「御袋」にあった伊勢の「火打石」で、清らかな向かい火を熾し、猛火の向きを変えて、窮地を脱し一命をとりとめたのでした。

画像3

窮地を救った「草薙剱」

お供の御鉏友耳建日子(みすきともみみたけひこ)はじめ、十人ばかりの家臣たちも、最愛の弟橘比賣命(おとたちばなひめのみこと)も、みな、疲れ果ててはいますが、無事でした。

ありがたきこと……このご神剣が、石が、私たちの命を守り救ってくださったのだ……。

倭建命(やまとたけるのみこと)さまは、命を救ってくださった皇祖神の天照大御神さまと、お仕えする叔母、倭姫命(やまとひめのみこと)さまに、ただ、ただ、感謝するばかりでした。

天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と呼ばれていたご神剣は、燃える草を薙ぎ倒し、皇位を継承する太子(ひつぎのみこ)の倭建命(やまとたけるのみこと)さまの命を救ったこのことから「草薙剱(くさなぎのつるぎ)」と呼ばれるようになります。

画像4

守られ愛されている

危機を脱したとはいえ、やはり、皆、疲れ果てていました。
倭建命(やまとたけるのみこと)さまは、危険極まりない東征に、弟橘比賣命(おとたちばなひめのみこと)さまを同行させて、危ない目に遭遇させたことを、申し訳なく思っていました。

それを察知されたのか、「大丈夫でございます。私は、建命(たけるのみこと)さまが、東国平定を実現されるまで、どこまでもついていく覚悟でございます」と、弟橘比賣命(おとたちばなひめのみこと)さまは、お覚悟を示されました。

私は、父上に嫌われて遠ざけられ、私など死んでもいいと、思われていると悲しんでいた。
けれど、どうであろうか。
皇祖神さまのご守護、叔母上さまの救い……そして、弟橘比賣命もすぐそばにいる。
尾張では、東国を平定したあと、契りの約束を交わした美夜受比賣(みやづひめ)も、大和の国には、すでに妃となった比賣たちが待ってくれている。
父が遣わせてくださった、副将の御鉏友耳建日子(みすきともみみたけひこ)も、ほかの家臣たちも、よく仕えてくれている優れたものたちではないか……。
東の国の荒ぶる神を討ち平定し、無事に、故郷の大和へと、誰一人欠けることなく、無事に帰還したいものだ……そして、父上にもお会いしたい……。

大和国を追い立てられるように出立したときの、深く傷ついた孤独な心とは、倭建命(やまとたけるのみこと)さまの心は、今では、まったく違っているようでした。困難な旅の中で、英雄として、さらにご自身が見守り守られて、そして愛されていることを、実感されたようでした。

画像5

相模国の走水に「御座所」を

倭建命(やまとたけるのみこと)さまは、決意を新たにし、焼津から、駿河湾を目にし、富士山の麓を進みさらに東の国へと向けて進んでいかれました。

そして相模国(神奈川県)へと入られて、現在の厚木、鎌倉、逗子、葉山を過ぎて、横須賀の「走水」という地に辿りつかれました。
そして、こちらに「御座所(ござしょ)」をおつくりになり、旅の計画を練られました。

御鉏友耳建日子(みすきともみみたけひこ)は、走水の地元の村人から、「ここから、上総国(かずさのくに。千葉県)に向かうなら、陸路より海(東京湾)を船で進むのが最も早い」と、教えられます。

倭建命(やまとたけるのみこと)さまは、「では御船を用意せよ」と
お命じになり、この準備が整うまでの間、しばし体を休められ、弟橘比賣命(おとたちばなひめのみこと)さまや家臣のものたちと共に、地元の人々と、親しくなっていかれました。

大和国を出立して以来の、久しぶりに味わう落ち着いたひとときでした。

画像6

―次回へ
#一度は行きたいあの場所
#私の作品紹介

この記事が参加している募集

私の作品紹介

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?