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表から見るか裏から見るか 応神天皇さま二五 神話は今も生きている ことの葉綴り六四九

皇位を巡る皇子三兄弟

おはようございます。昨日の師走の雨、寒かったですね~。
さて、十二月九日(木)の暦は、六曜は「仏滅」勝負なしの日。
十二直は、物事が平らかに平等円満に成立する「たいら」。地固め、柱を立てる、壁塗り、建築にいい。引っ越し、旅行もいい。物事の地固めや、柱、軸を整えるのにいいかもですね。
二十八宿は「せい」で、神仏詣で、建築、土を動かす、種まきに吉。
そして、ご神事やお参りによい「神吉日」です。ご先祖に手を合わせるのもいいですね。

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早速ですが、神話の物語に入ります。

第十五代応神おうじん天皇さまが身罷られたあと、次に誰が天皇に即位するかが、なかなか決まりません。
皇位を受け継ぐ皇子は三王! いちばん上の兄、大山守命おおやまもりのみことは、自らが天下を治めたいと反乱を起こし、弟王宇遲能和紀郎子うぢのわきいらつこを狙いますが、逆に命を落とします。
残った、大雀命おほさざきのみことと、長子の反逆を伝えてくれたおかげで命を救われたと恩を感じる宇遲能和紀郎子うぢのわきいらつことの間で、皇位継承の譲り合いがおこり、決着がつきません。
「私が天皇になりたい」と野望を持った兄は、亡くなり
残った弟王たちは「私などにはとても……、どうぞ、どうぞ」と、譲り合いをして……周りのものたちも困惑していたことでしょう。

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継承問題、突然の決着!?

ところが、ある日、突然、決着がついたのです。

なぜか?
どちらが受け継いだのか?

古事記には、こうあります。

然るに宇遲能和紀郎子うぢのわきいらつこは早く崩りましき。
故、大雀命おほさざきのみこと、天の下治らしめしき。

なんと、知恵に優れ、父の天皇が「跡継ぎに」と願った、末弟王の宇遲能和紀郎子うぢのわきいらつこは、若くして、突然、病死してしまわれたのです。
それ故、大雀命おほさざきのみことが天皇に即位されたのです。
こちらは、メチャクチャ有名な天皇さまです。

大雀命おほさざきのみことは、即位なさり第十六代、仁徳にんとく天皇となられました!
ね? 仁徳天皇は皆さん、知ってますよね。
日本最大の前方後円墳「仁徳天皇陵」! 
クフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵と共に「世界三大墳墓」の一つです! この、仁徳天皇さまです!

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表からみるか裏から見るか?大雀命おほさざきのみことさま

神話の物語では、大雀命おほさざきのみことは、後継者に悩む父の天皇の、本心を察知したことで、「弟王に皇位を継がせる」と、天皇から勅が出されましたよね。
また、父の天皇が妃にしようとした髪長比売かみながひめに、恋をして、「我が妃に」と、重臣に頼んで父のゆるしをもらって、祝福の御歌まで詠んで祝われていました。
そして、父が身罷られた直後、兄王が、弟王の命を狙っていることを、知らせたことで、末弟王の宇遲能和紀郎子うぢのわきいらつこは、命拾いをしました。
そして、皇位継承を譲り合っている中で、弟王が急死……。

という、ことから、大雀命おほさざきのみことは、実はしたたかな策略家ではないか。弟王にも、毒をもった可能性もあるのではいか……という噂や説もあるそうです。

私たち人間も同じですよね。
同じ人のことでも、一つのニュースや情報も、どこから視るか、どう感じるかで、その評価は180度違いますよね。
表からみるか、裏からみるか……。

大雀命おほさざきのみことさまは即位されたあと、民のため、国のために善政をおこなわれたことから、のちに「仁徳」という、諡号しごうが奉られています。

これが、どちらかかということを物語っている気がしますが……。
皆さんは、どう思われますか? 

そして、『古事記』では、仁徳天皇さまの御代の物語から、『下巻』へと突入するのです! ただそのまえに、付記のような物語がしばらく続きます。そこも、綴ってみようと思います。皆さま、どうぞ宜しくお願いします。

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―次回へ
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