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物語は第十代崇神天皇へ 神話は今も生きている ことの葉綴り。二五五

感謝!! 百人のお一人お一人に感謝!

 
秋晴れの朝、おはようございます。
私は、今日も神さまのことを綴ります。
今朝、フォロワーさんが100人になっておりました。
コツコツ、粛々、淡々と(笑)神話の物語を綴ってい「ことの葉綴り。」
とても亀の歩みです。地味に続けています。本当にありがとうございます!! 一歩一歩歩み精進します
百人の皆さまに、手を合わせて祈ります
感謝を送ります!! 本当にありがとうございます。
朝日の光の写真を送ります。百人のお一人お一人に「光」が届きますように!! ありがとうございますの心を込めて!!

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”華麗なる一族“の御子

さて、さっそくですが、神話の『古事記』の物語に戻ります。
「欠史八代」(けっしはちだい)と呼ばれる”知られていない神さま“、第二代綏靖天皇(すいぜいてんのう)~第九代、開化天皇までの系譜をご紹介しました。

そして、第十代、崇神天皇(すじんてんのう)の物語へと突入いたします。

崇神天皇(すじんてんのう)の父となる、第九代、開化天皇には、四人の妻と五柱の御子がいました。
皇后は、祖父、第八代の孝元天皇の妃でもあり、父の皇后となった伊迦賀色許賣命(いがかしこめのみこと)。
この皇后との間に、御眞木入日子印惠命(みまきいりひこいにえのみこと)として、誕生します。
母は、祖父、父の后となっているって、すごいですよね。


この御眞木入日子印惠命(みまきいりひこいにえのみこと)が皇位を継承し、崇神天皇(すじんてんのう)となられます。
他の四人の兄弟姉妹も、のちのち活躍したりする”華麗なる一族“なのです。

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崇神天皇の宮跡は今も!

崇神天皇(すじんてんのう)は、師木の水垣宮(しきのみずがきのみや)の宮殿で、天下を治められました。
磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)」といわれ、いまでいう奈良県桜井市の「志貴御県坐(しきみあがたいます)神社」の境内に、この宮跡を伝える石碑があるそうです!

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朝廷にお野菜を献上する菜園の神さま!

御県坐(みあがたいます)神社は、この志貴のお宮をふくめて、大和の国に六社あり(高市、葛木、十市、山辺、曽布)、朝廷に献上する野菜を栽培する、神聖な菜園の霊を神様としてお祀りするお宮だそうです。

ご祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)
また、志貴連(しきのむらじ)の祖親、天津饒速日命(あまつひぎはやひのみこと)と諸説あるそうです。
どちらの神さまも、これまでの物語に登場しましたよね?
わかりますか?
大己貴命(おおなむちのみこと)は、名前を沢山持つ神さまこと、大国主神(おおくににすのかみ)の別の呼び名ですね。


天津饒速日命(あまつひぎはやひのみこと)は、天の磐船にのって天から天下った神さまでしたよ。


やはり、神さまと神さまの「糸」のような、つながりもおもしろいですね。

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神話も怒涛の物語へ……

父の開化天皇も妻と子たくさんでしたが、
この崇神天皇(すじんてんのう)も、三人の妻と、王(みこ)七柱、女王五柱と、子だくさんです。
そして、この崇神天皇の御代に、いろいろな物語もありますよ~。
疫病が流行したり、(まさに、今の時代みたいですね)
三輪山の神さまが登場して、神さまの祭祀をおこなったり、
また、反逆者も登場したりと……どんなことが起こるのでしょう?

その神話から、今を生きる私たちは、何を感じ学べるか……。
楽しみです

崇神天皇(すじんてんのう)の物語も、しばらく続きそうです。
どうぞ、宜しくお願い致します!(ペコリ)

まずは、“恒例”の?(苦笑)
こちらの系譜を見ていきますね。

あ~秋の大和の山の辺の道を歩いて、
日本最古の神社、大神神社(おおみわじんじゃ)から
崇神天皇の宮跡のあった、「志貴志貴御県坐(しきみあがたいます)神社」にも、お参りしたくなりました!(^^)

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―次回へ

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