ご神意を“見畏まず”… 神功皇后八…神話は今も生きている ことの葉綴り六〇八
マスクをした狛犬さん
おはようございます。秋晴れが続いていますね。
昨日、雲一つない快晴で、時間がありちょっと遠出のお参りへ。狛犬さん、お稲荷のきつねさんも、マスクをして参拝者を出迎えてくれましたよ(^^)
神話の物語で、今、綴らせていただいている神さまがお祀りされているので、お参りをして手を合わせて参りました(^^)
十月二十九日(金)の暦は、六曜は、朝と夕が吉の「友引」で、勝負けのない日。十二直「建」万物を建て生じる日。神仏の祭祀、お参り、婚礼、引っ越し、旅行、開店、服の着始め、新しいことに吉。二十八宿は、28宿の中で、二番目の吉祥日「牛」。お金の相談、引っ越し、旅行にいい日です。
十月も残り三日。そして今年も残り二カ月。
皆さんが、無事に健やかに笑顔で在りますように!
<ことの葉綴り>全体のご案内
この「言の葉綴り」は、神話の物語を神さまごとに「マガジン」に分けて読めるようになっています。
「神さまも“失敗して成長した”」と、魅力的な神さまごとに18のマガジンに分かれています。全体のご紹介は、こちらをどうぞ。
600回の節目に、まとめてみました。
<神功皇后、これまでの物語>
神功皇后は、ご神託のままに新羅討伐をなしとげた後、筑紫国(九州の福岡県)でご神託あった太子品陀和氣命さまを出産されます。
そして、神の怒りに触れて身罷られた夫の第十四代仲哀天皇さまの亡骸を、「|穴門の豊浦宮《あなどのとよらのみや」(山口県下関市)に、お祀りされました。
一方、大和国では、もう一人の后の御子、香坂王と忍熊王兄弟が、神功皇后と、生まれたての品陀和氣命の命を狙っていました。
神功皇后は、喪船に愛する御子の品陀和氣命を乗せて、大和国へと向かい、「神功皇后の御子は、すでに亡くなった」という噂が広まっていきした
香坂王と忍熊王兄弟は、
神功皇后を討つために、斗賀野《とがの》(兵庫県)で、神の御こころをうかがう「誓約」の狩りをおこないました。
誓約の結果
兄の香坂王は、歴木の木に登って、その狩りの様子を見ていました。
すると、そこにあまりにも大きな猪が怒り狂い現れたのです。
家臣たちも、みな逃げ出します。
この木の上なら大丈夫だろう…
ところが、その猪は、香坂王のいる歴木の木をめがけて猪突猛進して突進してきます。
ものすごい勢いと力で、この歴木の木を掘って、そして木ごと倒してしまいました!
木の枝から地面に投げ出された香坂王。逃げようにもすぐに、大きな猪に見つかり、そして無残にも食い殺されてしまったのです……。
びっくりですよね。しかも神さまのご神意を伺う誓約の狩りでおきたことです。
どう、誰が考えても、この結果は「凶」ですよね。
ところが、この誓約の結果を受け入れられないものがおりました。それは、熊に食い殺されてしまった香坂王の弟の|忍熊王《おしくまのみこ》でした。
どうしても、母の違う生まれたての御子、品陀和氣命と、その母の神功皇后を討ち取りたかったのでしょう。
ご神意いを問う誓約の結果を、また兄の死をも、“畏む”ことなく、軍をおこしたのです。
そして、瀬戸内海を難波津へと進んでいる神功皇后たちの船と、喪船を待ち構えるのです。
「畏む」こと
ここに「畏む」と、出てきました。
この“畏む”も、日本の神さまを感じるときに、とても大切な“感性”のように思うのです。
これまでも「畏む」「見畏む」として、何度も、何度も神話に登場します。
最初に出てきたのは、最初の夫婦神で、天照大御神さまたちの父神、伊邪那岐命さまが、亡くなった妻伊邪那美命さまを追いかけて、黄泉の国へ赴いたときに、妻から「見るな」と、言われていたにもかかわらず、見てしまい、「腐乱死体」となった妻を目にして、「見畏む」とあります。
日本の神さまは、「常ならず、優れたる徳のありて、畏むもの……」
私たちは、古来から、人知をこえた、自然の現象、己を超えた存在に「カミ」を感じてきたのですね。
雄大な自然、大いなるもの、目には見えないが、なぜか、尊さ、恐さ、頭ではわからないけれど感じて感動して涙がこぼれる……この「見畏む」感覚や感性って、ありますよね。
心理学者の河合隼雄さんは、
「『畏《かしこ》む』は、単なる恐怖を越えた体験である。日本神話の神と人との連続性の強さから考えて、これらの『畏む』体験は、神々のことではあるが、人間の宗教体験のもっとも素朴で、根元的なことについて語っていると受け止めることができる」
と、語っています。
神話の訓え
自分の手には届かない、予想もできない、でもその何か神聖さに、頭を垂れたり、手を合わせたくなる感性……。
もしかしたら私たちの「謙虚さ」「真摯さ」とも関係する気がするのです。
今回、神さまのご神意をうかがう「誓約」の結果を、この忍熊王は、“畏まず”だったのです。
「皇位を継承したい」という自分の<我欲>が、強かったのかもしれませんね。
そうでなければ、神代から、神さまがた、ご先祖さまがたが、誓約をされるときの、ご覚悟、そして「畏む」感性をどれほど大切にされてきたのかが、我欲が勝りわからなくなってしまったのか……。
あっ! 神話とは、今を生きる私たちにも、こうした感性の大切さ、尊さ、謙虚さなど、心の大切さを神話の物語を通して伝えてくれている。そう感じます。いかがでしょうか?
ぜひ、「畏む」という言の葉、覚えてもらえたら嬉しいです。
―次回へ
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