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“知られていない神様”最後の天皇 神話は今も生きている ことの葉綴り。二四五

『欠史八代』の最後、第九代開化天皇

こんにちは。ハロウィンの土曜日。朝からお仕事だったので、日暮れときから「ことの葉綴り。」に向かいます。
今夜の牡牛座の満月も楽しみです。(写真は10月1日の満月)。一月に二度の満月!

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さて、『欠史八代』といわれる、“知られていない”第二代~第九代の開化天皇(かいかてんのう)
漢字ばかりが続いていますが、宜しくお願いします。本当にありがとうございます。

第九代の開化天皇は、奈良市の率川宮(いざかわみや)で天下を治められました。
初代神武天皇の皇后だった、媛踏鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)をお祀りする率川神社(いざわかじんじゃ)さんが伝承地であることを、前回、ご紹介しました。

第八代孝元(こうげん)の皇后の御子だった開化天皇
四人の妻を娶り、五柱の男王四人と、女王一人をもうけます

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継母を皇后に娶る

旦波(たには)の大縣主(おおあがたぬし)の由碁理(ゆごり)の娘の竹野比賣(たけのひめ)を、妃として娶り、生まれたのが、比古由牟須美命(ひこゆすみのみこと)
この旦波は、丹波の国のことです。

そして、皇后に娶ったのは、父の妃だった、継母(ままはは)の、伊迦賀色許賣命(いがかしこめのみこと)でした。

これって、初代の神武天皇が身罷られたあとの、後継者問題が勃発したときにも、ありましたよね。
義理の息子の御子が、義母を娶る
日向にいたときの妻の御子、当芸志美美命(たぎしみみのみこと)が、皇后で、継母の伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)に、何度もプロポーズをしたこと。


継母(ままはは)だった伊迦賀色許賣命(いがかしこめのみこと)を皇后に娶り、誕生したのは、
御眞木入日子印惠命(みまきいりひこいにえのみこと)。
御眞津比賣命(みまつびめのみこと)の一男一女。

三番目の妃は、丸邇臣(わにのおみ)の祖、日子國意邪都命(ひこくにおけつのみこと)の妹、意邪都比賣命(おけつひめのみこと)。丸邇臣は、和邇とも書く古代の豪族です。
そして誕生したのは、日子坐王(ひこいますのみこ)

四番目の妃は、葛城の垂見宿禰(たるみすくね)の娘、鸇比売(わしひめ)で、建豐波豆羅和気(たけとよはづらわけ)が生まれます。

そして、“知られていない神様”『欠史八代』の最後となる、開化天皇は、六十三歳で崩御されて、伊邪河の坂の上に御陵がつくられました。


開化天皇 春日率川坂上陵(かすがのいざかわさかのえのみささぎ)」。今のJRと近鉄奈良駅近くです。天皇の都の伝承地である、「率川神社」からは、歩いてすぐの御陵に眠られています。

開化天皇の五柱の中で、皇位を継承したのは、皇后の伊迦賀色許賣命(いがかしこめのみこと)の御子、御眞木入日子印惠命(みまきいりひこいにえのみこと)でした。

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この”知られていない神様“シリーズの系譜だけでも、いろいろなつながりが感じられましたね。
また、御陵の場所にも、親子の絆や思いも感じたりしますよね。

『古事記』では、この開化天皇のほかの御子たちの系譜が、かなり長く詳しく綴られていきます。なんと2ページも! それは、次回にゆっくりと読んでみます。(苦笑)

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―次回へ

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