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弟橘比賣命様の子 倭建命様其の五七 神話は今も生きている ことの葉綴り五八六

長崎くんち「限定御朱印」あるそう!

おはようございます。秋祭りシーズンですね!
十月七日~九日は、長崎の総氏神さま“おすわさん”こと「鎮西大社諏訪神社」さんの一年でもっとも重要な例大祭で、長崎で三八〇年の伝統のある「長崎くんち」で賑わいます。
長崎あげての「奉納踊」は、オランダ船の山車や、ポルトガル、ベトナム、中国と、出島だったからこそ国際色豊かなな山車が見もの。
残念ながら、昨年に続き、今年もご神事のみで、「長崎くんち」は中止となったそうですが、「鎮西大社諏訪神社」さんでは、美しい「くんち」限定御朱印帳(千冊)が! あっ、人気ですべてもうなくなったそうです!でも、「神」と朱色一文字の素敵な「限定御朱印」の授与は、今月いっぱいあるそうです。(^^)

来年こそ、「長崎くんち」おこなわれますように!!
そして、十月七日(木)の暦は、六曜は「仏滅」ですが、十二直は、物事が平らかな円満平等になる「平」。二十八宿は、祭祀、お参り、婚礼、旅行にいい「けい」。そして、今日も「神吉日」で、ご神事やお参り、ご先祖の供養にいいです! 思い出すだけでもいいですよね~。

皆さんにとり、今日も一日、穏やかで笑顔の多い日でありますように!!

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弟橘比賣命さまとの御子、若建王

前回から、倭建命やまとたけるのみこと(日本武尊)さまの系譜をご紹介しています。
第十二代景行けいこう天皇皇子だった倭建命やまとたけるのみことさまには、七名のおとという御子がいたこと、そして、後の神話にも登場されるので、覚えておいてくださいねとお伝えしました。

さて、二人目のお后さまは、あの、海の神の祟りを鎮めるために入水されたお后弟橘比賣命《おとたちばなひめのみこと》さまです。
御子がいらしたのですね~!!
その間に生まれた御子の名は若建王わかたけるのみこ
父から「」のお名前をいただいたのですね。

そして、御子、若建王わかたけるのみこお妃飯野眞黑比賣いひのまぐとひめのみことですが……。
この比賣ひめも、あとから登場する倭建命やまとたけるのみことさまの“ひ孫”にあたります!
ええっ何? って思いますよね(笑)。
御子と、ひ孫が結婚?! 
さらに何?! は、続きます。

若建王わかたけるのみこ(御子)と飯野眞黑比賣いひのまぐとひめのみこと(ひ孫)の間に誕生した子(倭建命やまとたけるのみことさまの)が、
須賣伊呂大中日子王すめいろおほなかつひこのみこ

倭建命やまとたけるのみことさまのにあたる須賣伊呂大中日子王すめいろおほなかつひこのみこが、淡海おふみ柴野入杵しばのいりきの娘、柴野比賣を娶り、生れたのが、迦具漏比賣命かぐるひめのみこと

なので、迦具漏比賣命かぐるひめのみことは、倭建命やまとたけるのみことさまの”ひ孫”にあたりますよね。

ややこしいけど、大丈夫ですか?(苦笑)

私も、系譜を書く時は、『古事記』の記述を、ノートにお后さまごとと、御子ごと、さらにお孫、曾孫と、順番に書き写して整理しております(笑)。

どうか、ついてきてくださいまし(ペコリ)

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ひ孫は、父の天皇の妃に?!

で、で、で、ですよ! さらに、何~?! です。

倭建命やまとたけるのみことさまの”ひ孫”である迦具漏比賣命かぐるひめのみことは、誰に嫁いだか?

驚くなかれ、倭建命やまとたけるのみことさまの父、景行けいこう天皇です!!

こちらでも紹介していますが、そのときは、|訶具漏比賣命《かぐろひめのみこと》漢字が違っているのです!

景行けいこう天皇には、三人の|太子《ひつぎのみこ》、皇子と、八十人の御子がいたとありますから、お妃もとっても多かったのです。

でも若くして亡くなった皇子の系統のひ孫の比賣も、お妃にしていたって、すごいですよね~。

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纏向日代まきむくひしろの宮

倭建命やまとたけるのみことさまは、三十歳で身罷られましたが、その父、景行けいこう天皇さまは、一百三七歳(137歳)の長寿を全うされました。
そして山邊の道(奈良県磯城郡)の景行天皇 、山邊道上陵けいこうてんのう やまのべのみちのえのみささぎ」にお祀りされています。こちらも前方後円墳。奈良県の天理市渋谷町で、近鉄沿線「巻向」「柳本」駅から歩いて20分ほどです。
父である景行けいこう天皇がいらしたのは「纏向日代まきむくひしろ」の宮
纏向まきむく遺跡」は、この「纏向日代まきむくひしろ」の宮」から名前が由来しているそうですよ。

倭建命やまとたけるのみことさまも、きっと、この纏向まきむくでお育ちになり、

倭は 國のまほろば たたなづく 青垣 山こもれる
倭 うるはし

と、御歌にも詠まれるほど、ずっと、ずっと、望郷の想いを抱き、”帰りたかった”故郷こそ、が、この父、景行けいこう天皇のいる「纏向まきむく」だったのかもしれませんね。

ご自身よりも、若くして亡くなられた皇子倭建命やまとたけるのみことさま。
疎んじられていたとはいえ、やはり亡くなられて、その存在の大きさ、若い時に、兄を殺めた“あやまち”から、表立っての愛を示せなかったのかもしれませんね。
“ひ孫”をお妃に……皇子の面影があったのでしょうか……。
この系譜を綴っていて、妃が多いとはいえ、やはり心のどこかに、景行けいこう天皇さまには、皇子への想いがあったのではないかしら、と思ってしまいました。
皆さん、いかがでしょうか?

さて、倭建命やまとたけるのみことさまの系譜、まだ続きます!
ホント、漢字も多いし、ややこしいし、すいません!(^^)

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―次回へ
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