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二千年前 倭姫命様の神祀りはSDGs精神そのもの! 元伊勢一五一 神話は今も生きている ことの葉綴り四八三

六月二七日(日)一粒万倍日+神吉日+建+星

こんにちは。水無月の最後の週末、いかがお過ごしでしょうか。私は明日もお仕事になったので本日はボディメンテナンスと、「ことの葉綴り」で過ごします。

あっ、六月二七日の日曜日も、仏滅ではありますが、一粒の種が万倍になる「一粒万倍日」に、ご神事やお墓参りによい「神吉日」の吉日
十二直も、万物を建て生じる「建(たつ)」に、二十八宿は「(せい)」と、治療はじめ、祭祀にいい日だそうです。

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斎王(さいおう)制度のはじまり

そして、さっそく倭姫命(やまとひめのみこと)さまの物語に入ります。
半世紀以上、人生の長きに渡り、皇祖神の天照大御神さまに、御杖代(みつえしろ)としてお仕えされてきましたが、齢を重ねられました。
そこで、姪である五百野皇女(いおのひめみこ)に、ご神事を執り行う斎王(さいおう)のお役目を継承されました。

これ以降、未婚の皇女が、斎王(さいおう)となられ、天皇に変わり、伊勢の神宮にお鎮まりになる天照大御神さまにお仕えする制度となり、中世まで続いていくこととなります。

内親王や皇女の中から、占術により斎王(さいおう)を選びます。選ばれた内親王や皇女は、都で、約三年間にわたり心身をお浄めになられた後、伊勢へと赴かれて、天皇の御代が変わるまで、伊勢の斎宮(いつきのみや・さいぐう)で、お暮らしになり、心身を清められて、斎王(さいおう)として、祭祀を執り行わるようになったのです

倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、造られた多気宮の宮殿、斎宮(さいぐう・いつきのみや)には、斎王にお仕えするための官僚や女官たちら多くのものたちが、共に暮らしていたといいます。

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倭姫命(やまとひめのみこと)さまの“一大事業”

天照大御神さまが、永久にお鎮まりになる宮処を伊勢の五十鈴の宮におつくりになり、そして、皇太神(すめおほみかみ)さまのために、衣(神御衣)、毎朝と夕にお供えするご馳走の御贄(みにえ)の食と、「衣食住」を整えられたあと、一年間を通しての「三節祭」はじめ重要な祭祀をもお定めになられ、またそのご神事に携わるものたちの組織、経済基盤まで、組み立てられていき……。
時を経てなお、今にも受け継がれる、「伊勢の神宮」天照大御神さまへの祭祀のための“一大プロジェクト”を、組み立てられて確立されていったのです。

二千年以上、前のことですよ~……。

五大夫(ごたいふ)や大若子命(おほわかごのみこと)など、優秀な重臣たち、大宇祢奈(おほうねな)の物忌をはじめ多くのものたちと共に、本当に“すごいこと”を成し遂げられました。

そして、天照大御神さまをお祀りする、神聖なる“一大プロジェクト”が、次の世代へ、さらに次の、次の世代へと、永久に続くように……
祈りの継承と循環……伊勢の美しい自然の恵と共に、神さまにお供えするお米をつくる神田、「熨斗あわび」をはじめ、魚を取る伊勢湾、野菜、御贄(みにえ)を採りつくる御料の地……。

天照大御神さまが「この国に居(お)らんと欲(おも)ふ」と、ご神勅をされるほどの、海、山、森、自然豊かな、美し国、伊勢
自然のいのち豊かに生き、循環し、受け継がれてきたいのちと祈り

SDGs(持続可能な開発目標)を、実践されていた気がします。
二千年前から……。

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倭姫命(やまとひめのみこと)さまのこれから……

突然ですが、神話に登場する英雄神として人気の倭建命(やまとたけるのみこと・日本武尊命)さまはご存じでしょうか?
なんと、倭姫命さまの甥っ子にあたります。そして伊勢の神宮の倭姫命(やまとひめのみこと)さまに会いに来ているのですよ。

こちらは、この「元伊勢」の執筆が一段落したら、『古事記』の神話に戻り、倭姫命さまの父・景行天皇の段落から、再び、ご紹介しようとも思っていますが、一足さきに「元伊勢」でも綴ってみようと思っています(^^)

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五百年後、豊受大神宮ご鎮座

伊勢の神宮で、天照大御神さまがご鎮座されているのは、内宮こと「皇大神宮(こうたいじんぐう)」ですよね。
外宮「豊受大神宮(とようけだいじんぐう)」さまがご鎮座するのは、天照大御神さまがご鎮座してから、約五百年後になります。

ただ『倭姫命世紀』ですと、倭姫命さまは、外宮「豊受大神宮(とようけだいじんぐう)」をご鎮座のあと、亡くなられたとあるのです。
そこから、倭姫命さまは、ここで綴っている「倭姫命」さま、だけではなく、「倭の国の王の姫君である天照大御神さまの御杖しろ(みつえしろ)斎王」ということで、お一人ではなかったのでは? とも考えられています。

とはいえ、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまと倭姫命さまのご巡幸の軌跡には、「元伊勢」に四年、二年ととても詳しく綴られています。
天照大御神さまを伊勢の五十鈴の宮に、お鎮まりになられて、祭祀と御贄(みにえ)や、制度を、“一大プロジェクト”をお定めになられるまでは、私は「倭姫命」さま、だった、ように感じるのです(^^)。

そんな、「倭姫命」さまの物語、もう少しお付き合いくださいませ
宜しくお願い致します。
いつも、ありがとうございます。楽しい週末をお過ごしくださいね。感謝

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