三人の太子(ひつぎのみこ)、名もなき五十九王 景行天皇其の三 神話は今も生きている ことの葉綴り五一五
真夏の土用丑
こんにちは。猛暑が続いておりますが、お元気でしょうか?
今日は、土用丑ですね。スタミナつけて元気でいたいですね。
オリンピックもテレビ観戦で応援したいですね。
さて、今日はお仕事前のひととき「ことの葉綴り」です。
さっそく、神話の物語に入ります。
<ことの葉綴り>ご案内
この「ことの葉綴り」全体の神話の物語のご紹介です。
神話は、「神さまも“失敗して成長した”」「“神話は今も生きている”」と、日本の魅力的な神様の物語編。
約、二千年前、伊勢の神宮ができるまでの「元伊勢」編。
ときおり綴る「エッセイ」編。
それぞれに「マガジン」で分けています。
下記のトップページから、スクロールしていただくと、物語別、神様べつに「マガジン」が選べるようになっております。
神さまの名前や、ご興味あるものを読んでいただけると幸いです。
景行天皇の御子二十一柱
第十二代、景行天皇(けいこうてんのう)は、八十人の御子がいた、といわれています。
皇后の針間(はりま)の伊那毘能大郎女(いなびのおほいらつめ)さまとの間には、
櫛角別王(くしつのわけのみこ)、大碓命(おおうすのみこと)、小碓命(をうすのみこと)またの名を倭男具那命(やまとをぐなのみこと)、倭根子命(やまとねこのみこと)、神櫛王(かむくしのみこ)の五柱の御子がおりました。
第十代、崇神天皇の孫どうしのお妃、八坂の入日賣命(やさかのいりひめのみこと)との間には、(のちに皇后となります)
若帯日子命(わかたらしひこのみこと)、五百木入日子命(いおきのいりひこのみこと)、押別命(おしわけのみこと)、五百木入日賣命(いおきのいりひめのみこと)の四柱の御子がおりました。
そして、皇后の妹の伊那毘能若郎女(いなびのわかいらつめ)も、お妃となり、眞若王(まわかのみこ)と、日子人の大兄王(ひこひとのおおえのみこ)の二柱の御子。
この続きに参ります。
妾(みぬ)の子
また妾(みめ)の子は、
豐戸別王(とよとわけのみこ)。
沼代郎女(ぬなしろのいらつめ)と二柱の御子。
また別の妾(みめ)の子、
沼名木郎女(ぬなきのいらつめ)
香余理比賣命(かごよりひめのみこと)
若木入日子王(わかきのいりひこのみこ)
吉備兄日子王(きびのえひこのみこ)
高木比賣命(たかぎひめのみこと)
弟比賣命(おとひめのみこと)
の六柱の御子。
妾というのが続いておりますが、コレ、私が“創作”してるワケじゃありません!(苦笑)
ちゃ~んと『古事記』に記されております。
でもびっくりしますよね。
まだ続きます(苦笑)
日向(ひむか)の美波加斯毘賣(みはかしびめ)を娶り生れたのは、
豐國別王(とよくにわけのみこ)。
須賣伊呂大中日子王(すめいろおおなかつひこのみこ)の娘、訶具漏比賣(かぐろひめ)を娶り誕生したのは、大枝王(おほえのみこ)。
ツッコミどころ,おもしろい!
この父である、須賣伊呂大中日子王(すめいろおおなかつひこのみこ)について、倭建命(やまとたけるのみこと)の曾孫とあるのですが……?? 息子の曾孫の娘を娶る? ってことは、ありえる?
とも思うので、ここでは省きます。
でも、神話って、妾(みめ)が出てきたり、息子の曾孫の娘が登場したりと、「なんでやねん?!」と、突っ込みながら読み解くのも、おもしろいですよ。
さて、ここまでの二十一柱の御子たちをご紹介しました。
ほかには、記されていない御子が五十九王(みこ)も!!
併せて八十王(やそはしらのみこ)がいらっしゃいました。
三人の「太子」皇太子、小碓命は?
ここからが重要なのですが、八十王の中で、
針間(はりま)の伊那毘能大郎女(いなびのおほいらつめ)との間に生まれた、小碓命(をうすのみこと)。
八坂の入日賣命(やさかのいりひめのみこと)との間に誕生した
若帯日子命(わかたらしひこのみこと)と、
五百木入日子命(いおきのいりひこのみこと)
こちらの三柱の御子が、「太子(ひつぎのみこ)」
皇太子の名を、景行天皇から拝しました。
他の七十七王の多くは、それぞれに、国々の国を司る「国造(くにのみやつこ)」や、地方の官となって任命されていくのです。
三柱の皇太子の中で、次の皇位を継がれたのは、
若帯日子命(わかたらしひこのみこと)さまでした。
小碓命(をうすのみこと)には、兄の大碓命(おおうすのみこと)がいるのに名前がありませんね。
あれ? なぜ、大碓命(おほうすのみこと)さまではないのでしょう?
これを、次回から、ゆっくりと読み進めて参りましょう。
いつも、ありがとうございます。
―次回へ
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