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ぽいことに引っ張られる時期を経験し、濃いことを行うことの大切さを感じた。
最近朝がまた少し寒くなってきました。着る服を間違えて体調を崩すことも多くなりそうな時期です。体調が大切になってくることは、このnoteを通して分かっていることと思いますので、くれぐれも体調には気を付けてください。
さて、昨夜は西尾篤紀さんの熱い1人語りが公開されました。センスを言い訳にしたり、評価の基準にすることは多いかと思いますが、昨夜の話を聞けば、無条件にセンスで片づけることの危うさを感じる
ふとした疑問から、今回も2人で色々話しました。良い内容になっているかと思います。コーナー名の提案も是非よろしくお願いいたします。
学びと捉えた場合に考えなければならないこと
最近は特に静かな生活を心がけています。静かな生活と野球は遠くかけ離れているように感じると思いますし、実際に自分も遠いものだと思っていました。
「熱く」
「闘争心むき出しで」
「気合が入っている」
野球ができる人という言葉からは、このような言葉を連想していたような気がします。自分自身もそうならなければならないと思って無理していました。というかその時はそれが良いと思ってやっていましたので、無理していた
考えの進化をそのまま反映するためには。
野球を考えて指導を行うと言い続ける私ですが、考えるだけでは上達しないことも知っています。
それ以前に、考えるという言葉の深さの違いも大きな要因にはなってくることを感じています。昨夜のYouTubeでは、ホームランが大好きだった3人組がこのような結果をたまたまではなく、考えた上で生み出していることには驚きを覚えます。それだけ濃い取り組みをしてきたのだなと。
実際に妥協せずに取り組みたい人が、様々
歩みがしっかりした情報
人はいきなり大きく変わるわけではありません。大きく変わるとしても、蓄積されたものが繋がるような形でしょう。ただ、世の中にある変化を促すものというのは、いきなり急激な変化を起こすものとして紹介されているケースが多いなと思います。
「なかなか簡単に変わりませんよ」
と言われて興味を持つ人は少ないでしょう。それに比べて、
「これさえやれば」
と紹介すれば、興味を持つ人が多いことは想像に容易いです。ただ