こむすび

元役者志望でした。そのときのことや、その後の暮らしについて書いています。投稿頻度は少な…

こむすび

元役者志望でした。そのときのことや、その後の暮らしについて書いています。投稿頻度は少なめ。

最近の記事

一人で旅行をすること

20代の一時期ストイックな生活を送っていました。 今はその頃からは考えられない程、緩い毎日を送っています。 そして伴侶にも恵まれたことで、私生活で選択や決定を迫られることは少ないです。 その癖、口を出すから性質が悪いと思われている夫でもあります…。 これで良い気もするけれど、ダメな気もして、一年前の夏に一人で旅行をしてみました。 要するに緩い旅行ながら、自分だけで決断をしていくことの必要性をあらためて感じるためです。 嫁も大賛成ではあるものの、「ほんまに行けるん?」的な態度。

    • ある専門家の一日 case5 行政書士・社労士

      私は今、人生で一番楽しい時間を過ごしている。 あの数年前までの辛さはなんだったのか…いや…あのときがあったからこその今なんだ。 人生は山あり谷あり。 その通りだ。 私の名前は日比谷祥子。 42才・バツイチ・小学校低学年の娘が一人。 仕事は、行政書士兼社会保険労務士だ。 地方の中核市隣町でひっそり?と個人事務所を構えている。 元夫も然り、同級生も然り、そんなところで仕事やっていけるの?と誰もが驚くが、心配ご無用。 仕事には一生懸命に精を出し、私生活では存分に育

      • ポケふた、福岡・佐賀

        ↓昨日の続きです。 予定では小倉でラスト1つのポケふたを確認した後に佐賀へ行き、太宰府に戻る予定で出発しました。 あらためて小倉駅は圧倒される大きさ。 モノレールは住宅街に向かって伸びていくそうで、途中には小倉競馬場もあります。 私はJRに15分程乗ってスペースワールド駅で下車。 早速ありました! 9時前だったので駅隣接のアウトレットモールの店員さん達?が出社していく様子が見られました。 官営八幡製鐵所旧本事務所眺望スペースは、残念ながら9:30開門だったので行くことが

        • ポケふた、福岡・山口

          今更なのですが「ポケふた」に魅了されました。 知っている人は「へー」、知らない人には「何それ?」となりそうです。 夏休み、九州方面に一人で旅行をしてきました。 明確な目的はなくて、何となく福岡・大分・熊本の世界遺産や歴史建造物を見に行こうかな、という程度で出発しました。 大阪から九州へ向けてフェリーで出発。 フェリー泊は初めてです。 単純なことを言えば、船上で御飯食べたり、風呂入ったり、寝たりというのは非日常の楽しさを感じました。 是非、次回は子連れで来たいものです。

        一人で旅行をすること

        マガジン

        • 役者・演劇活動の記録
          9本
        • ポケふた
          2本
        • ある専門家の一日
          5本

        記事

          子どもの読み書きの時期は気にしなくてよかった話

          うちには8才男子がいます。 「うちの子、他の子に比べて文字を読んだり、書いたりするのが遅れている気がする…」 と思う親御さんもいらっしゃるんじゃないでしょうか。 うちもそうでした。 うちは一人で立つ時期、話はじめる時期も遅めだった気がします。 だから読み・書きもやはりな…と思ったものです。 だがしかし、結果としては気にすることはありませんでした。 きっかけさえあれば、親の心配を余所に子ども自ら読んだり、書いたりしていくものです。 うちの子どもが読み書きのきっかけにしたのは、

          子どもの読み書きの時期は気にしなくてよかった話

          ある専門家の一日 case4 税理士

          「ただいま戻りました。」 決算を終え、税務署に届出を済まし、事務所に戻ったのが14時。 今日の主だった仕事はひと段落だ。 帰社後の書類整理といくつかの電話を済ませる。 給湯室に立つ。 香ばしいコーヒーを煎れて、一口吸る。 思わず笑みがこぼれた。 そう、まもなく記念すべき瞬間が訪れようとしているのだ。 僕の親父は税理士だ。 父は私立の中堅大学を卒業後、働きながら20代前半で資格を取得。 一念発起して、社会人生活3年を経ずに退職、開業した。 その性格もあって

          ある専門家の一日 case4 税理士

          ある専門家の一日 case3 弁護士

          目覚めは最悪だった。 朝6時半、携帯に韓国系デベロッパーからの質問電話だ。 しょうもない質問をしやがって。 っていうか、あんたら何時に仕事してるんだよ、呆れるぜ。 一緒の時間感覚にしないでくれ。 時間も時間、二度寝できるはずもなく布団に包まりながら、外が白み始めるのを感じていき・・・ようやく起きることを決意。 接待で午前様だった胃腸がキリキリと痛む。 酒臭いげっぷを吐く。 無理やりにでもトーストを野菜ジュースで流し込み、胃腸薬を飲み下す。 しぶしぶと身支度を

          ある専門家の一日 case3 弁護士

          ある専門家の一日 case2 司法書士

          ズガガガガガッ・・・ 遠くの方から、耳にこびりついた音が聞こえてくる。 ズガガガッズガガッズガズガッ・・・・・! ・・・またか・・・ズガガガガガッ!!!! はぁ~もう朝か。 溜息をついて・・・持田富臣は目を開けた。 時計は7時を回ったところだ。 体がダルい。 昨夜は深夜の2時まで交通誘導のアルバイトだった。 工事現場の間近でひたすら誘導棒を左右に振る。 工事の音と振動がもろに体に響く。 翌日にはどっぷりと疲労が残る。 ・・・今日は何曜だっけ? 遠目に

          ある専門家の一日 case2 司法書士

          ある専門家の一日 case1 公認会計士

          渋谷区初台に住む一色拓海は、毎朝5時30分に目を覚ます。 起床するとエヴィアンをグラスに満たし、一気に飲み干す。 スポーツブランドのジャージに着替えると、解くストレッチを済ませ、隣駅にあるフィットネスジムへとランニング。 6時に開館したジムのプールヘ飛び込んだ。 50Mを10往復。 仕事前に1キロを泳ぐことが日課だ。 公認会計士として登録して10年。 資格取得後の5年は監査法人に勤務。 激務の中、我武者羅に働いた。 健康に気遣う余裕なんてなく、仕事、飲み会、

          ある専門家の一日 case1 公認会計士

          脱・役者、目指せ社会人

          負けっぱなしで終わった役者の夢。 それでも、涙を拭いて、顔を上げる時がきます。 私が、その短い役者人生を終えたのは20代後半に差し掛かるところでした。 さて、では何をしますか。 パッと思いついたのが以下3つのルート。 ・就職活動 ・独立開業 ・資格取得 それぞれに対して思ったことを書きます。 結論から言うと、私は3番目の資格取得を目指しました。 そして、その後の人生が拓けていったのです。 就職活動最もオーソドックスです。 当時は、アルバイト・派遣の契約ではなく、会社に所属し

          脱・役者、目指せ社会人

          いまだに抜けない貧乏性

          前回、役者志望時のアルバイト事情について書きました。 そこでお金に関することをもう一つ記事にします。 当時は貧乏が当然の生活でした。 収入が少ない分、支出をセーブする。 要はケチだったわけです。 つくづく先立つものは金と思い知りました。 そのケチな生活習慣がいまだに抜けていないことを感じるときがあります。 下記に書くことは全部ではありませんが、いまだにやってしまう癖のような行動です。 数えだしたらきりがないところ、衣・食・住にグループ分けして代表例を書きます。 衣ユニクロ

          いまだに抜けない貧乏性

          役者・ミュージシャンを目指す人のアルバイト事情

          私が元役者志望だった期間は5年以上10年未満に過ぎません。 そんな短い期間でも、同病相憐れむが如く、芸能を夢見る同士はアルバイ事情を共有したものです。 古い情報ばかりですので、現在は異なるアルバイト・派遣があるかと思います。 あくまでも20年程前の私のときはこうだったなぁ、という回顧録を含めて書くこととします。 私と私の周りで人気があったアルバイトは以下のものです。 ・飲み屋 ・テレアポ、テレオペ ・デリバリー(ピザ等) ・コンビニ ・日雇い(引越し、交通整理) ・秘密のア

          役者・ミュージシャンを目指す人のアルバイト事情

          こういう生き方もあるよなぁ、と思う時

          家庭円満の我が家です。 それでも、時に互いの自由時間が訪れるときがあります。 子供の夏休み・冬休みなんかのときです。 また、長期休暇でないときも、連休とかあればたまに。 そういう時、お互いが離れて暮らすことでガス抜きのような時間が出来ます。 こういう時って割とまぁ重要だと思っています。 そんなときに私が酒を飲みながらダラダラと過ごすのは読書orテレビ。 (ここでの飲酒は外せません!) 実は最近になってようやく純文学に興味を示し始めました。 夏目漱石「こころ」なんかを読んで「

          こういう生き方もあるよなぁ、と思う時

          「元」役者の肩書きが決定したとき

          プロダクションを退社してからの日々を書きます。 退社後も鼻息ばかり荒く役者を目指していました。 まだまだ夢追い人で、現実的な感覚を持っていませんでした。 そんな中、青年座研究所の同期だったYから誘いを受けて、Yの彼女が主催する舞台に参加することになりました。 先に言ってしまいますが、これがとんでもなく酷い舞台でした。 彼女オリジナルの脚本でしたが、全然脚本が出来上がってこないまま、時間ばかりが流れて行くのです。 取り掛かりは早かったのに、脚本が完成するまでどれほど待ったか。

          「元」役者の肩書きが決定したとき

          劇団員として残れなかった役者がどうなるか

          ここからは役者人生の転落が始まります。 充実度MAXの劇団研究生でした。 そんな無我夢中のときが終わったのです。 そして、研究所入所前と比べるべくもない演技力・役者魂が備わったはずです。 だから劇団員になれなかったとしても、役者の道が開けるはずだと思っていました。 2年の月日、100万円以上という費用がその裏付けです。 卒業後、具体的に何があるかという話をしていきます。 まずオーディションの様なものが設けられていました。 青年座研究所卒業生に加え、文学座研究所の卒業生、演

          劇団員として残れなかった役者がどうなるか

          大学の演劇部で活動

          プロダクションの養成所を止めてもぬけの殻になってしまいました。 またもや行き場を失ったわけです。 もう役者にはなれないんだなぁ、と半ば諦めムード。 一応大学生だった私は適当なサークルに入りました。 テニスとサッカーのサークルだったかな。 軽く汗を流した後に、ファミレスで喋る時間は退屈でした。 遅れて入ったサークルだったので周りとも距離が埋まりません。 そんじゃ資格の勉強でもするかー、と手を出したのが国家試験。 そこまで難易度は高くありませんが、片手間にやるだけではダメでした

          大学の演劇部で活動