見出し画像

劇団員として残れなかった役者がどうなるか

ここからは役者人生の転落が始まります。

充実度MAXの劇団研究生でした。
そんな無我夢中のときが終わったのです。
そして、研究所入所前と比べるべくもない演技力・役者魂が備わったはずです。
だから劇団員になれなかったとしても、役者の道が開けるはずだと思っていました。
2年の月日、100万円以上という費用がその裏付けです。

卒業後、具体的に何があるかという話をしていきます。
まずオーディションの様なものが設けられていました。
青年座研究所卒業生に加え、文学座研究所の卒業生、演劇集団円研究所の卒業生が、一堂に会します(各団体の研究所正式名称は異なるかも知れませんがあしからず)。
そして、芸能プロダクション数社の前で自己PRをするのです。
一通りのPRが終わった後に、各社が「何番の役者と面接してみたい」というように投票していくのです。
ここでプロダクションに所属できなければ、はっきり言って先はありません。
それぞれの劇団に残れなかった研究生とは言え、実力者達ばかり。
みんなPRの仕方も様々でした。
凡庸なPRしかできない人もいました。
ダンス、歌、体操を披露する人。
変わっていたアピール方法は、充てられた時間ずっーと黙って会場を向く人。
さらには、会場の端から端までを睨みつけて一周する人。
普通考えつかないようなPR方法です。
アイデアに加え、個性、さらに表現力があると言えます。
え?私??
はい、至って凡庸に体操を披露しました。
3つの劇団に通った人なら、当たり前の様にできることばかりだから、全然PRになりませんでした。
機動戦士ガンダムのザクの体長の話を小ネタで入れたけど、緊張で思い通りに喋れず、はぁ?という感じで終わりました。
今思い出しても呆れてしまいます。

そんなオーディションの中、ぶっちぎり各社から票を得たのは誰だったか。
それは私と同じ青年座研究所の卒業生Yです。
何をしたかと言えば挨拶だけ。
本当に挨拶だけなんです。
「私は特技の様なものはありませんが、役者として精いっぱいやっていきます」と言った程度。
ものの30秒もかかっていません。
これに対して、各社こぞって面接権を得ようとしていました。
その子Y…めちゃ可愛いんです。
そして、光るものがありました。
アイドル的資質?そういうのを感じられる子でした。
同じ研究生時代は、大きな役回りは無かったとはずです。
ただ、いい子であることは間違いありませんでした。
それがこの場で、最高の結果を出すとは…。
こういう子が選ばれるのが芸能界なんだなぁ、と感じたものです。

加えていうと、オーディションは0か100みたいな状況でした。
すなわち、何社からも声がかかる人がいる一方で、1社からも声がかからない人達がいます。
数社あっても芸能プロダクションの見るところは、同じなのかも知れません。

さて、私ですが…中途半端に1社だけ声をかけてもらうことができました。
そして、同プロダクションと面接し入社することになりました。
名称は伏せますが、知った役者はいない鳴かず飛ばずの会社でした。
言っちゃ悪いけど、数打ちゃ当たる的な所属のさせ方です。
入社と言っても固定給があるわけではありません。
単に、所属しておくことでCMやドラマ等の役を集めるとき、選考オーディションに参加できるというだけです。
そこで役が付けばギャラが出るのでしょう。
ちなみにオーディションの予告は数日前から前日に知らされます。
そのため、バイトはどうするんだという切実な悩みが尽きませんでした。
さらに、当時はメール・SNSは一般ではなかったので、FAXによる通知です!
信じられないかも知れないけどそんな時代があったんです。
このためだけに電話回線を引き、FAX付の電話機を買うことになりました。
そこまでするからにはオーディションに合格すると良かったのですが…。

結論を言うと、私は一つも役をもらうことはできませんでした。
そして、所属したプロダクションは入社から半年もせずに退社しました。
オーディションの様なものは3回位受けました。
そこには演技力が必要なものは余りなくて、感性であったり、感覚的・人間的な面でオーディションを通過できるかどうかでした。
思い出せるオーディションが二つあります。
一つは宅配便を届けたときの演技をして下さいというものでした。
一つはお笑い芸人ネプチューンの前で雑談をするというものでした。
どちらも何だかなぁ、と思いはしました。
しかし、結局は人として「こいつとやれるか?」というのを見ているのです。
前述した挨拶だけで何社からも票を得た子のように、人間的魅力がなければ役者としての技量云々は見られることがないのです。
ここにきて私は芸能がビジネスであることを痛感させられました。
というか、それくらい知っておけよというレベルの話。
無我夢中で駆け抜けてきただけの、本当に無知な20代でした。
ただ当時はそうは思い至らず、本気で役者の可能性を探すべく、プロダクションを退社して舞台に戻っていったわけです。
そして、この後は、舞台役者においても悲惨さを目の当たりにすることになります。

物語的には次が続きとなります↓

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?