見出し画像

ある専門家の一日 case4 税理士

「ただいま戻りました。」

決算を終え、税務署に届出を済まし、事務所に戻ったのが14時。

今日の主だった仕事はひと段落だ。

帰社後の書類整理といくつかの電話を済ませる。

給湯室に立つ。

香ばしいコーヒーを煎れて、一口吸る。

思わず笑みがこぼれた。

そう、まもなく記念すべき瞬間が訪れようとしているのだ。

僕の親父は税理士だ。

父は私立の中堅大学を卒業後、働きながら20代前半で資格を取得。

一念発起して、社会人生活3年を経ずに退職、開業した。

その性格もあって仕事ぶりは硬い。

着々と地元で地盤を築いていった。

バブル崩壊後も変わらず順調だ。

そして、30代後半に地方銀行の行員だった母と結婚し、一児をもうける。

それが僕、小原一だ。

僕は、親父の地盤を受け継ぐために資格取得を目指す。

親父の私立大学よりもずっと上の偏差値となる私立大学へ入学。

成績も良好で、正直言って親父のことを見下していた。

だって、大学在学中に簿記1級を一発合格してしまったのだもの。

数字に強いことは自負していたけれど、簿記・税理士・会計士なんて大したことない、余裕だな、と思った。

当時は、濡れ手に粟のような売り手市場で、公務員だろうと、地元優良企業だろうと望みのままに就職できた。

就職活動では難なく5社から内定を受けた。

しかし、蹴った。

使われる身が性にあわないと思ったのだ。

働いたこともいないのに、おかしな言い分ではあったが。

というのも、在学中に受けた税理士試験の結果が合格圏内であったことも大きい。

もちろん官報合格者としての合格が視野に入っていた。

一発目から簡単な試験だと感じたし、惜しくも凡ミスで不合格になっただけだろう。

受験予備校では、合格者筆頭と目されていたので惜しいことをした。

まあ、来年度は確実だろうと、太鼓判を押されて臨んだ大学4年生の試験。

これで決めれば晴れて税理士として社会人スタート。

官報リーチで挑んだ試験!

が、落ちた・・・。

なんと合格点にわずか足りず。

焦った。

人生で初めてヒヤリとした汗が流れ落ちるのを感じた。

すでに周りの同期が着々と就職活動を終えていく。

僕だけが翌年度の社会人生活に入れないのだ。

そして、思いついたのが大学休学だった。

大学生の立場でいながら、資格試験に合格しようと考えたのだ。

今、思い返せばそれが末路の始まりだったのかも知れない。

休学1年目、3点足らずの不合格。

休学2年目、5点足らずの不合格。

休学3年目、足切り点にすら足らず不合格・・・。

この散々な結果に親父は言葉をなくした。

僕への期待は消滅。

それからはめっきりと親子の会話が減ってしまった。

必要最小限のコミュニケーションをとっているに過ぎない。

もう休学はできない。

めでたくもなく、大学卒業。

この時、既に25歳。

就職先がなかった僕は、親父の事務所の補助者として飼い殺しの目にあっている(と、自分は思っている)。

決して表には出さないが、親父を見返してやりたいし、この状態を脱すべく、試験勉強を続け今に至る。

今年の試験は、遂に10回目だ。

ところが!

ここにきてビッグチャンス到来。

今年の試験は山が大当たり。

面白いように問題が解けた。

試験時間を10分も残し、再点検には十分だった。

事務所の誰にも言うことはなかったが、合格の可能性は極めて高いと信じている。

これが笑わずにいられるものか。

ふふっ、これで僕も「先生」か。

そして、今日が合格発表。

オンライン上の合格発表時間は例年通り15時。

これにて受験勉強に終止符を打つのだ!

記念すべき最後の受験番号は4089。

これまた僕らしい。

4089 (よおやく)→(ようやく)

そう、ようやく合格ってか(笑)

それとも合格予約(よやく)かな(爆)

神様、酒落をきかせてくれてサンキュー。

合格発表まであと45分を切った。

うずうず・・・うずうず・・・・待ちきれない。

仕事の電話も上の空だ。

・・・あと30分。

だめだ…トイレ行っとこ。

尿意は感じないのにな、やたらトイレが近いぞ。

15分・・・10分・・・・・・・ 5分。

そして、遂に、遂に、その時が来た・・・。

14時59分50秒、51秒、52秒・・・58、59、15:00ジャスト!

事務員にトイレと告げて、別室に立つ。

ブックマークしていた合格者の番号が掲載される予定のウェブサイトに直接つなげる。

・・・くっ、アクセスが集中していて真っ白の画面から進まない。

更新。

真っ白。

更新。

真っ白・・・。

2分経過。

更新更新っ!!

さらに1分経過・・・。

力強くクリックを続ける。

更新!!

頼むっ!

表示しろ!

合格させてくれ!!

更新っ更新っ更新!!

・・・!?

きたっ!

表示された!!

番号、番号は?!

僕の番号4089!!合格予約者!!

・・・れっ?

おかしい。

何か、おかしい。

・・・3995、4002、4211、4215・・・何だ。

番号が・・・。

番号、あれ?

おかしくね?あれ。

受験票を見直す。

僕の番号4089(よおやく)OR(よやく)

・・・3995、4002、4211、4215・・・

あれ、飛んでね?

番号なくね??

・・・

・・・・・思考停止。

・・・・・・・

・・・なんだ?

目の前のPCディスプレイが、ギラつきながら揺れている。

ぽちょんっ、あ。

落ちた。

あ、涙。

あれぇ~あれれ・・・。

ウゲッ・・・だめだ。

・・・慟哭。

うげぇぇげぇぇ・・・

げぇぇ・・

・・・

・・・

・・・どれくらいそうしていたのか。

ようやく立ち上がって、部屋を出た。

とても事務所のデスクには、戻れない。

適当な理由をつけて外出する旨を告げた。

事務所を出た。

あっ・・・

ばったりと親父に出会った。

ハッとする。

僕は一体どんな顔をしていたのだろう。

言葉にできないような悲愴な顔をしていたに違いない。

ジッと見る親父の視線に堪えきれず、僕は目を伏せ通り過ぎようとする。

と、いきなり親父が言った。

「気を付けて行って来いよ」

・・・あっ。

親父・・・と思って振り向いた時には、親父は玄関を開けて、後ろ手に扉を閉める。

知っていたのか・・・今日が合格発表だったことを。

知ってしまったのか・・・今年も僕が不合格だったことを。

親父・・・。

瞬間、僕は決意した。

もう・・・これで終わりにするよ。

もう迷惑はかけないよ。

だって・・・。

いま、親父の後ろ姿を見てしまったんだから。

僕の大学時代から、一回り小さくなったその背中にスーツの肩は少し落ちていた。

髪の毛は、すっかり白いものが目立つようになっていた。

もう、妙な期待をさせることはできない。

振り返る。

そして、一歩、二歩・・・歩みだす。

上を向いた。

まだまだ日が高い。

夕暮れには早いようだ。

・・・今日が区切りだ。

今日という日が終わりの日だ。

そして、始まりの日なんだ。

僕に何ができるかわからないけれど。

とっても不安だけどさ・・・。

でも・・・。

税理士にならなくったっていいじゃないか!

そうだ、行こう!

進めばきっとそこにあるはずさ。

次のステージが!

※このお話はフィクションです。特に合格発表の方法・時間等は創作です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?