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ある専門家の一日 case3 弁護士

目覚めは最悪だった。

朝6時半、携帯に韓国系デベロッパーからの質問電話だ。

しょうもない質問をしやがって。

っていうか、あんたら何時に仕事してるんだよ、呆れるぜ。

一緒の時間感覚にしないでくれ。

時間も時間、二度寝できるはずもなく布団に包まりながら、外が白み始めるのを感じていき・・・ようやく起きることを決意。

接待で午前様だった胃腸がキリキリと痛む。

酒臭いげっぷを吐く。

無理やりにでもトーストを野菜ジュースで流し込み、胃腸薬を飲み下す。

しぶしぶと身支度を整え始める。

鏡に映るぷっくり出た腹を見ると情けなさがこみ上げてくる。

その腹をどうにかベルトでスラックスに捻じ込む。

白髪が混じるようになった髪をセットし、髭をあたる。

鏡をのぞき込むと、両目の下にはハッキリとクマができている。

これが30代後半の顔か?

凄まじいストレスに耐えながらの仕事を続けた結果がこれだ。

俺、小幡剣一郎はしばし呆然となる・・・

通称「オバケン」で職場・取引先からも慕われている。

仕事のためとはいえ、元々のキャラと違う自分を演じているのだから、随分と無理をしている。

勤務先から程近いマンションに住んでいる。

取引先の不動産業者から提携割引で会社が借りた社員用の部屋である。

無きに等しい家賃で、光熱費込み。

いつかは、彼女と同棲してこの部屋を脱出、と信じていたのは何年前になることやら。

事務所まで徒歩10分。

ガラス張りのビルが見えてくる。

事務所が入るビル。

その11階にあるのが亜細亜(あじあ)総合法律事務所。

私の勤める弁護士事務所だ。

ここが所謂ブラック事務所と知ったのは入所半年もしない内だ。

いや、ブラックというと話弊がある。

給料は労働に見合うだけ貰っているのだから。

半年の試用期間を終えると年収1,000万からスタート。

1年、3年、5年と勤め、周りが次々と脱落する中、耐えに耐えた。

無論、結果も出し続けた。

おかげで年収は2,000万を超えた。

誰もが羨む額面ではないか。

高校・大学時代の友達からは羨望の眼差しだ。

しかし、その給料が激務の対価であることは知るまい。

決して楽をして稼いでいるわけではないのだ。

そういや、友達と最後に会ったのはいつだっけ。

セキュリティカードを首から下げゲートをくぐる。

「おはようございますっ。お、三上さん髪型変えましたか!?似合ってますね!」

「堂本くん、こないだはお土産サンキューな!いいセンスだぜ。」

「さぁ、みんな今日も締まっていこう!!」

自作自演となるオバケンの本領発揮。

愛想をふりまき仕事モードに入っていく。

さて、今日の仕事は・・・専属の秘書とスケジュールをすり合わせる。

プロジェクトF。

そうだった。

本日は、中国系企業の日本法人が地方の老舗繊維業社を一気に3社合弁するという大型案件だ。

繊維のfiberから、頭文字を取ってプロジェクトFと呼ばれる。

極秘であり、情報漏洩が起こらないよう二重三重の管理がなされている。

ミーティングルームに入り、依頼者である中国本社の担当者と打ち合わせを始める。

「嘿,欧巴肯 我今天早上很好(やあ、オバケン。今朝も元気だな)」

「早安,白先生。 就像前面的宽度一样(吴様、おはようございます。恰幅ばかりが一丁前になってそう見えるだけですよ)」

「哈哈哈哈 为男人做什么?(わははっは。男子たるもの線が細くてどうする)」

「我无法与大胆的白羽匹敌(豪胆な吴様には敵いません)请问日本对您前几天提出的问题有何看法?(先日ご質問のあった件について日本側の見解を述べさせてもらっていいですか?)」

「哦,好吧 感谢您今天的演讲(ああ、オバケン。今日もよろしくレクチャーを頼むよ)」

亜細亜総合法律事務所の得意とする分野は、渉外実務だ。

外国語能力に至っては、英語は必須。

最近は、アジアからの進出に備えるために中国語か韓国語を半ば強制的に学ばされる。

さらに法改正に力を入れており、所内でも改正法チームがいくつもある。

しかも、各チームを兼任なんてざらである。

特定の分野に至っては5大法律事務所も顔負けの業務をこなし、日本屈指の専門家集団としてその地位を確立している。

が、一方で・・・プライベートなんてものは捨て去られている。

合コン・婚活に誘われることはしばしばだが、この多忙さでは実現する可能性は低い。

女と遊ぶ気力も体力も残っておらず、そんなことに時間を割くくらいならば10分でも多く寝たいところだ。

昔、大学の何の講義だったか忘れたが、性欲・食欲・睡眠欲で最も欲求が深いのは睡眠欲だ、と聞いたことがあった。

あれは本当だな。

5年前に付き合っていた彼女とは結婚前提だったんだがな。

LINEのやり取りが日に一回、週に1回となるにつれて、自然消滅、蒸発?音沙汰がなくなった。

風のたよりで、その彼女が銀行員とゴールインしたと聞いた。

銀行員かよ・・・。

昔は典型的なブラック企業も時代の流れですっかり変わった。

やれコンプライアンスだ、ダイバーシティだ、SDGsだ。

果ては何かにつけてハラスメントだもんな。

俺の職場で人並みの時間を持とうなんて無理だよなぁ。

昼過ぎ、打ち合わせを終えた。

会議で同席した後輩数名を連れて、丼もの屋でご馳走する。

「オバケン先輩、いいんですか?」

「いいぜいいぜ、お前らが出世したときのために、お返しはとっとくよ」

「(笑)ごちになりますっ!」

しめて5,000円のランチ代。

金があっても使う時間がないから、これくらい屁でもない。

後輩と別れて一人になると、ビルの休憩室で一息つく。

離れた席でワッと笑いが起こった。

他社の新入社員だろうか、和気あいあいと楽しい雰囲気。

ああ・・・まぶしいなぁ。

俺にもあんな頃があったっけ。

それから15年経ったのか。

今の立場は、会社員でいうところの課長にあたるくらいか。

順調な出世コースで、パートナーも視野に入ってきた。

そうすればまた一段収入が跳ね上がる。

にも拘わらず、このモチベーションの低さよ。

なんの為に仕事をしているのかが見つけられずにいるからだろう。

今は漠然と田舎暮らしにあこがれている。

50代でアーリーリタイアして田舎暮らし。

嫁さんとガキがいて、自給自足暮らしなんて最高だなぁ。

携帯が振動するとブルルルップルルッと着信を告げる。

・・・ふう。

俺には過去を振り返る時間も、未来を夢見る場所もないのかよ。

腕時計に目をやる。

ロレックスのデイトジャストが14時を指している。

社内ではほとんどの社員が2カ国以上の時間がわかる時計をしているが、これだけは譲れない。

唯ー、俺が自分のための時間だけを持っていることの証だから。

通話ボタンを押す。

その顔にはもう営業用の笑顔が張り付いている。

「早上好!(おはようございますっ!小幡です)」

今日、働く時間はあと12時間程かな・・・。

このままじゃ本当のリタイアが先かもな。

※このお話はフィクションです。

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