さよなら、子どもたち。

やっとこさ公募作品(小説)を郵送してきました。
印刷時のインク切れ、翌日のゲリラ豪雨からの雷など、出すタイミングをうまくつかめないまま2日が過ぎたのちに。

今回出した作品は、半年くらい前にいったん書き終えたもの。
最近、ふと、その存在を思い出しUSBから引っ張り出してきてお直ししたんですけどね。
この作品では、私が前から疑問に思っていたことを小学校6年生の女の子を主人公にしてほどいていきました。
ここ13年くらい、私は子供や10代の子を主人公にした作品を書いてきました。
小説を書いたことがある人ならご理解頂けるかもしれませんが、自分がその世代からある程度離れると取り組みやすいんですよね。
子供の頃って語彙が少ないから人にものを伝えづらくて怒りやストレスをためるじゃないですか。
大人になった私は、それを開放したくなっちゃったんですね、無意識に。
特に、現代の社会情勢と子供の時の想いなんかが変にリンクしちゃうと書かねばと意気込んでしまう。

でも、そういうのもうやめようかと思いまして。

子供の頃の憂さをだいたい晴らしたというのもあります。
最近、小学生とか若いと呼ばれる年代の人たちと話していると、私が子供の頃の感覚や状況とはまるで違うことがわかるんです。

今の若い人は「共有」と「協力」を大事にし、一人っ子が多いのもあってあまり争いません。
家族とケンカしない人も多いようです。
友達に嫌なことを言われても言い返さず家まで持ち帰る人も。
親は子供が怪我や失敗をしないように先回りをします。

若い方々と自分を比べてみます。
私は団塊ジュニアで就職氷河期を経験した世代のひとりなので、常に「競争」の渦中にいました。
割と自己主張をするのは、手を挙げないと大勢のなかで気づいてもらえないからです。
黙っていたらいいように扱われる恐れがあるし。

まあ、このようにですね、いくら現代の社会情勢と怒りの共通点を見つけたとしても、もう戦略や想いがまず違うと思うんですよね…。
(ほら、「戦略」とか言っているし)

あと、同世代の方が手がけたnote(小説)を読むと、みんなちゃんと大人の話を書いているんですよ。

私、たぶん逃げてるだけやわ、みんな逃げんと大人として書いとる…と気づかされたわけです。

ということで、今回の作品が入賞するかどうかわかりませんが、子どもが主人公の話を書くのはこれで終わりにしようと思います。

次のステージへ行くぞ!

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