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R (あの時、僕たちは人生のコーナーに居た) 第七章 卒業+終章

【あらすじ】

 時代は昭和の終わり。 
 誰もがこの豊かな時代に歓喜をしていた。虚像が渦巻く好景気に大人は騙され、子供はその恩恵に授かり続けていた。 

 この物語は、少年から大人へと、人生のR(コーナー)を迎えた5人の少年たちの葛藤を描いた、一夜の青春群像物語である。
 成人式を迎えた日、仲間の一人が「今夜で走り屋を辞める」と他の4人に告げた。
 このことから、少年たちはバイクに車、そして恋愛と友情が織りなす中で、大人になることの答えを考え始めた。
 やがて夜が訪れ、峠に集まった5人の仲間は、お互いを理解しあいながらR(コーナー)を攻め続ける。そして、人生のR(コーナー)へと飛び込んでいくのだった。

【登場人物】
光司(コウジ) :主人公
卓也(タクヤ) :光司の親友。高校時代の同級生
春樹(ハルキ) :光司の親友。高校時代の同級生
晃(アキラ)  :光司の友達。走り屋仲間
比呂(ヒロ)  :晃の年下の友達。走り屋仲間

裕美(ユミ)  :光司の恋人
洵子(ジュンコ):卓也の恋人

勇次(ユウジ) :走りや仲間。光司をライバル視



第七章 卒業

昭和61年1月 成人の祝日の翌日 午前2時



 光司たちはいつもの小さな駐車場に戻ってきた。
気が付けば日付は変わり、光司たちの成人の日は終わっていた。
そして、光司たちの成人式も、阪奈道路で終えようとしていた。
 
「勇次のレビン、あれはダメだな」 

春樹が車から降り立つなり話した。
それを聞いて、卓也も晃も頷いている。
光司は勇次の前を走っていたから、事故の状況はわからない。ただ、あの時の衝撃音だけは耳の奥に残っていた。

「卓也、良く巻き添えを食らわなかったな」 春樹が訊ねた。
「正直、勇次の後ろを走っていて、早くからやばいと思っていたんや」
「やっぱり」

春樹が同調をする。卓也も晃も頷いている。勇次の後ろを走行していた、彼らの意見は同じということだ。

「勇次の奴、相当ライン取りを無理していたからなあ」
「恐らく、事故することを覚悟して、赤橋に突っ込んでいったんと違うか」
「あいつ、墓穴を掘ったなあ」
「いや、誰もあいつを責めることは出来ないやろう」
「確かにやな」
「光司とバトルできるのも、今夜で最後なんだから。気負うなと言っても仕方がないやろ」
「ちょっと待てや」

光司は思わず口を挟んだ。
まるで、勇次が事故を起こした原因が、自分にあるかのように話が進んだからだ。

「いや、光司が悪いなんて、誰も思っていないから」
「それでも、聞き捨てにならんことを言うなよ」
「心配するな、勇次もそんなことを絶対に思ってはいないから」
「だけど光司。今夜が最後だとすると、絶対に勝ちたいと思う勇
次の気持ちも解るだろう」
「ああ」

春樹の言葉に俺は素直に頷いた。
 
「ま、勇次がアホだったということやろう」
「そう、それにまた光司の勝ち逃げと言うことや」
「何やそれは」

光司たち4人の中で、小さな笑い声が沸き起こった。
古びた電灯が一つ照らすだけの、この小さな駐車場に、今夜も俺たちは集っている。生きていることを感じられるこの場所に。

「おい、ハイエナが動き出したぞ」

 晃が指を差しながら罵しった。
 ハイエナとは、民間のレッカー移動車のことである。毎夜どこからともなく、ここに集まって来る。そして、走り屋たちが事故をするのを、暗闇に潜んでじっと待っている。恐らく、赤橋で事故を引き起こした勇次の情報が、どこからともなく彼らに届いたのだろう。

 色々な自動車修理工場の名前が、レッカー車の側面にペイントされている。社名なんてどうでも良いことだ。それよりも、彼らもくだらない大人の一員に過ぎないということだ。
 だから、今夜の勇次のように事故を起こして、彼らの世話になったからと言っても、感謝の気持ちなど決して湧かない。
 光司たち4人は、静かに動き出したハイエナを、蔑んだ目で見送った。それは、いつも、大人たちが自分たちを見る目でもあった。 

「ちょっと、勇次を迎えに行って来るわ」

 春樹はそう告げると、足早に車に乗り込んだ。
 あいつは少しお喋りな点もあるが、他人への優しさを、ここにいる誰よりも持っていることを知っている。そして、いつも冷静に周囲のみんなを気遣ってくれる。

 暫くして、勇次を迎えに行った春樹の「CR―X」が戻ってきた。
 
「身体は大丈夫か?」
「ああ」 

 車を降りてきた勇次に、光司は出来るだけやさしい口調で声を掛けた。すると、勇次は苦笑いをしながら答えた。そんな勇次の顔が、とてもやさしく見えた。先ほど、自分に殴りかかった勇次とは別人のようであった。 

 山間にこだまする走り屋たちのエキゾースト音も、随分とまばらになり、1月の冷たい空気だけが静かに漂っている。  
 勇次は地面を見つめたまま黙り込んでいる。ただ、勇次を攻めたりする者など、誰一人としていない。たとえ嫌われ者であっても、同じ走り屋には違いないからだ。同じ価値観、同じ苦しみ、同じ時間をこうして過ごしている、大切な仲間である。そして、事故を起こしてしまった者の気持ちも、ここにいる誰もが痛いほど解っていた。

 光司は最高の仲間たちと、この時間を共有していることに幸せを感じていた。
やがて春樹が光司に尋ねた。

「光司、大人になるとは、どう言うことなんや」
「そんなこと俺が聞きたいんや」と突っ返す。
「何でもいいから応えてくれや」春樹が食い下がる。
「そういわれても」
「・・・・・・」
「俺が思うには、大人になるってことは、自由になるってことじゃないか」 

 どうして、そのような考えが思いついたのか、自分自身も解らなかった。ただ、今まで考えたこともない言葉が、無意識に自分の口から飛び出てしまった。 

「俺は今のままで自由やで」

 俺の意見を聞いた晃が、横から反論をする。

「だが、いくら好きなことをやっていても、何か大事なことを決めたりする時は、いつも親や先生が決めていたような気がするんや」
「なんか良くわからんなあ」
「例えば、高校の修学旅行を思い出してみろや。最初から、行き先なんてもの決められていたやろ」
「まあ、確かにそうやけど」
「いつかテレビでアメリカの高校生の話を放送していた。あの国の高校生たちは、生徒が揃って団体旅行なんてしない。もしも、卒業旅行に行きたければ、好きな仲間と好きな先生を誘って好きな所に行く。但し、旅費は親に出してもらうのではなくて、自分たちでアルバイトをして貯めたお金で行くらしい」
「アメリカの高校生の方が、俺たちよりも大人と言うことやな」

春樹が俺の話しに同調をする。

「確かに、テレビで見るアメリカの高校生は、身体も大きいし、大人びいているよな」

卓也が話しに乗っかる。

「間違いなく、SEXも開放的やし」

そして、晃が笑いを取ろうと話す。

「上手くはいえないが、自立心というものだと思う。結局、俺たちは偉そうなことを言っても、自立心は彼らより劣っているやろう」
「やっぱり、俺たちは大人の轢いたレールの上を走っているだけということか」

光司の話に、また春樹が返す。

「だって、20歳から大人っていうのも、大人が勝手に決めたことやからな」

卓也が確信をついてくる。

「だから、自立をしていない俺たちは、自由とは呼べないんと違うか」
「それならば、俺たちはまだ子どもでもいいってことか」
「あほか、やっぱり早く大人になりたいやろうが」
「いつまでもガキ扱いされてたまるか」

最後は晃が吐き捨てた。
光司は自分の意見を話しながら、いままで手に入れてきたものが、とてもちっぽけなものに感じていた。

「それやったら光司、これからの俺たちはどうしたらええんや」
「だから、自分の力でその道を切り開いていく。誰にも文句を言われないように、自立をするしかないやろう」
「俺は自分で決めて行動しているで。好きな女も選び放題やろう」晃の言葉にまた小さな笑いが起きた。 
「ただ、大人が轢いてくれたレールの上だからこそ、俺たちはこれまで蹴躓かずに、こうして20歳を迎えられたのかもしれん」
「よう解らんなあ」
「俺だって、これまで大人に助けてもらったなんて、感じたことなど一度もないで」
「やっぱり、よう解らんなあ」

 卓也と晃が、半ばあきらめ気味になる。
 そして、卓也が足元の小石をつま先で蹴り飛ばした。
 確かに、ここに集まる5人は、これまで誰一人として、親や先生と上手く付き合っては来れたとは言えない。だから、大人への感謝の気持ちなど、ひときわ少ない。

「明日から一人で生きて行けと言われたら」
「心配するな俺たちがいる」
「いや、そうではない」
「それなら、どういうことや」
「自分が誤った道に歩んだ時、それを指摘してくれる大人が居なくなったら」
「だから、これまでも大人に助けてもらった経験などないって」
「確かに、俺も卓也の言う通りだと思っている。でも、これからは自分ですべて決めないといけなくなったら」
「決めたらいいやろ」
「俺は怖いなあ」

光司の一言にみんなが驚く。
光司たちが将来に対して不安を抱えるのは、まだまだ自分のレールを自分の手で轢くことが出来ないからである。大人に引かれたレールを歩んできただけなのだろう。

「ああ、それなら大人になんてなりたかねえ」卓也がぼやいた。
「もしも俺たちがこれまで、大人たちの轢いたレールの上を歩いて来たのだとしても、毎日毎日いろんなことがあったよなあ」

春樹が面白そうに話した。そして、みんなも黙って頷く。春樹の一言で、場が少し和んだ。

「そうやなあ。もっと真っ直ぐな道だったら楽やったのに」
「それやったら、どうして大人たちは、もっと俺たちが勉強を好
きになれるように、レールを轢いてくれなかったのだろうか」
「どうした光司、お前の口から勉強なんて言葉が出るか。俺より
成績が悪かったくせに」
「うるさい、俺は勉強をしなかっただけや」
「いや、アホには間違いないやろう」
「俺はやれば出来る子やと、先生や親から言われたもんや」
「そんなもん、俺だっていつも言われてたわ」

光司と卓也の掛け合いが漫才のようになる。少しずつ、この小さな
駐車場に笑いが起き始めてきた。

「くそ、高校の時の国語の先生。抜き打ちテストばかりやりやがっ
て。あいつは、絶対に俺たちのことを思ってはいなかった」
「あんなもん、先生の自己満足やろう」
「そや、一種のマスターベーションやな」

最後は、晃の突っ込みで大爆笑が起きた。

「そうしたら、俺たちの人生はこの阪奈道路と同じように、難しい
R(コーナー)が続いているということやなあ」

春樹の言葉に、みんなが納得をして頷いた。

「だったら楽勝やないか 」

 これまで喋ろうとはしなかった勇次が、突然言葉を発っした。ただ、事故を起こしたばかりの勇次の一言だけに、ここに集う全員が爆笑をした。
 勇次だって、自分の将来に不安を抱いている。そして、不安を持つ者ほど、表面上は明るく振舞いたいと思う。そして、「俺たちはきっと、これからも明るく振舞っていけるはずだ」と、この生駒の山にある小さな駐車場で願いあった。

光司が天上を仰いだ。それに吊られて、他の4人も天上を仰いだ。夜空に煌めく星は、今夜は何倍も美しく見える。世間から軽蔑の眼差しを受ける俺たちであっても、きっと心は透き通っている。今夜の煌めく星に負けじと輝いているはずだ。

 光司がタバコを取り出すと、他の4人も同じくタバコを探った。そして、光司たちはタバコを咥えると、お互いに火をつけあった。

「だったら光司。大人になれば人生も少しは楽になるのかな」
「これまでの俺たちの人生が阪奈道路の登りコースだとすると、大
人になってからの人生は、下りコースと違うか」
「これからの方が難しいと言うことか」

光司の発言に、春樹や卓也が悲鳴を上げる。 

「そうしたら、俺はあと何回、事故を起こすのやろか」

勇次の呟きに、また全員が爆笑をした。  

「勇次が事故を起したら、また俺が迎えにいってあげるよ」

そう春樹は話すと、勇次の肩を軽く叩いた。勇次の嬉しそうな顔に、みんなは納得した。 

「俺たちの誰かが事故を起こしたら、俺たちの誰かが迎えにいく。 そして、またみんなでここに集まろう」 

最後は春樹が締めてくれた。

「俺、最後にもう一周してくるわ」

唐突に、光司はそれだけを言うと、「シビックSi」に乗り込み、エンジンを呼び起こした。そして、動き出した光司の車に向けて、みんなが大袈裟に手を振っている。光司もみんなの目には届かないことを承知の上で、小さく左手を挙げて答えた。

 光司が走り去ったあと、静寂が戻った駐車場で、卓也が話しを始めた。

「光司は今夜で卒業か」
「卓也、その話はもうええやろう」
「ああ、悪い」
「でも、卓也は光司と一番付き合いが長いからな」
「光司が高校の時は、いつも一緒にバイクでここを走っていたんや」
「バイク時代の光司も、無茶苦茶、速かったんやろ」
「そや、光司がバイクを辞めた話を知っているか」

卓也の言葉に、他の3人が聞き耳を立てる。

「バイク時代の光司は、まさにここのキングやった」
「俺は聞いたこともある。プロのレーサーを目指していたことも」

卓也の話に晃が続ける。

「ああ、真っ白 の「ヤマハRZ」のバイク。もう改造してない箇所が見当たらないほどのマシンやったなあ」 
「一緒には走らなかったが、そのマシンのことは良く覚えてる」

春樹が懐かしそうに話す。春樹も高校一年の夏、バイクに跨って病院に見舞いに来てくれていた頃の光司が懐かしいのだろう。

「光司のRZが伝説のバイクやった」
「そうや、バケモンみたいなバイクやった」
「そのバイク、見たかったな」
「そんな光司が、突然バイクで走るのを辞めるって言いだしたんや。今回と同じようにや」
「その時、光司が辞めたいと話した理由はなんやったんや」
 
すかさず晃が卓也に尋ねる。
そして、光司のバイク時代をまったく知らない勇次も、興味津々に聞き耳を立てている。

「まさか、車に乗り変えるためか」
「いや、それはもっと前のことや」
「別に、事故した訳でもないよな」
「それで問いつめると、あいつは一言こういったんや」
「もったいぶるなや」
「怖くなったって」

 卓也が下を向きながら、ポツリと漏らした。
それを聞いた、他の3人が驚いて声がでない。「光司に限って、そんなことは無い」と誰もが思っている。ただ、先ほど光司が、「大人になるのが怖い」と話したことに、誰もが気付いていた。

「俺は光司といつも一緒に走っていて、怖がって走ってるなんて、まったく感じられなかった。だから、最初は冗談だと聞き流そうとした」
「それで、どうしやんや」
「でも、あいつは人をからかうようなタイプでもないやろ」
「ま、晃とは違うよな」
「それで、本当の理由は」

晃は自分が突っ込まれたことにも気付かず、先を聞きたくて急がせる。

「それで、光司の話す意味が解らなかったので、更に問い詰めたんや。そうしたらあいつ」
「そうしたら」
「とにかく光司が言うには、阪奈道路の下りに右のヘアピンR(コーナー)があるやろう」
「ああ、ここで一番難しいR(コーナー)やな」
「そうや」
「それで」
「そこを毎日毎日走り続けている。ある時から、カーブを曲がっている最中に、ギャラリーの顔が一人一人確認ができるようになったらしい」
「ええ・・・・・・すごい」 
「まさか、あのR(コーナー)でフルにバイクを倒しているんやろ」
「動体視力がずば抜けているということか」

春樹が叫び、卓也も晃も続く。そして、勇次は瞳孔が開いたかのように驚いている。

「確かに、普通では考えられない。しかし、その時の光司の目を見たら、俺も信じるしかなかった」
「そんな奴には絶対勝てないわ」勇次が、これまでの光司とのバトルを後悔するかのように言った。 

「いや、話はそれで終わりと違うんや」
「まだ、あるんか」
「そうや。光司はそれでも、ひたすらに阪奈道路を走り続けた。あいつなりに恐怖心と戦いながらや。すると今度は、カーブを曲がっている時間が、スローモーションのように感じられるようになったらしい」
「はあ?」
「上手くは表現が出来ないんやけど」
「・・・・・・」
「もちろん、実際は走るごとにスピードが上がっている。だから、あいつの話しは辻褄が合わない」 
「バイクのスピードは上がっているのに、時間はそれまでよりも長く感じだした。そう言うことか」
「まだ、その話には続きがあるんや」
「・・・・・・」
「もっと驚くには、最後には時間が止まりだしたらしい」
「それって、野球で調子の良い打者が、ピッチャーの投げた球が止まっているように見えると同じことか」
「そうなのかも知れない」
「時間が止まって見えるなんて、俺には想像ができんなあ」
「時間が止まるって言うことは、風を感じないということか」
「いや、そこまでは解らん」
「凡人には解らんということか」
「ただ、カーブを走り抜けている途中で時間が止まれば、その恐怖は計り知れないと思う」
「何か解るような気がする」
「実際に、光司が話したのには、色々なことが頭の中を過ぎるとい
うことや」
「例えば、どんなことやろう」

春樹の問いに、俺は足元に落ちていた、小さな石を指で摘み上げ
て言った。

「こんな小石が、あのR(コーナ)を曲がっている途中に見えたらどう思う」
「・・・・・・」
「恐怖しか残らないやろう」
「・・・・・・」
「それが、バイクを辞めた理由だって」
「走り屋としての十字架ってやつか」

卓也の話を聞いた春樹が、ぽつりと言った。

走り屋にとって、バイクも車も危険が伴うのは同じである。天国と地獄、生と死、走り屋は常に紙一重の所で戦っている。そして、誰もが恐怖心を感じとっている。もしも、その小石を前輪のタイヤが踏みつける瞬間を、スローモーションのように見えるとしたら。きっと誰もが、バイクに乗るのを辞めるであろう。それが、走り屋としての十字架でもある。
 
「やっぱり、光司は立派やなあ」
「そうやな」
「理由がどうであれ、バイクをきっぱりと卒業したんだから」 

これまで光司に敵対心を剥き出しにしてきた勇次が口にした。

「光司が俺たちの中で一番、ここを愛しているはずやろう。そんな光司がやめる決意をするなんて」
「ものごとを、きっっぱりと決断できるところが尊敬できるよな」
「いずれ俺たちも、ここを卒業をしなくてはならない時が来るのやろうな」   
「自分が卒業するタイミングは自分で決められる。間違っても、くだらない大人になんかに左右されたくない。さっき、光司が話していたことと違うやろうか?」
春樹がみんなに確認をする。

「大切なのは、自分で決断をするということか」
「結局、光司はいつも自分で決断をして、自分の人生に責任を持っている」 
「大人になるということは、きっとそういうことなんやろうなあ」 

 その頃、光司は一人でラスト・ランを楽しんでいた。
 下りの右ヘアピンR(コーナー)の手前で、躊躇わずにシフトを落として車を減速させた。これまで何度も何度も駆け抜けたこのカーブからは、こんなに綺麗な星空を見れることを、光司は初めて知った。
 これまでは、路面ばかりを見ていた。路面に転がるちっぽけな石ばかりを探していた。それが、こんなにも素晴らしい世界があったなんて。ただ、顔を上げるだけでよかったなんて。そう思うと、光司は笑いが止まらなかった。

 これまでは、ギアを上げてアクセルを踏み込むことが、大人になれる近道だと思っていた。しかし、ギアを下げてアクセルを緩めることが近道だと、光司は初めて気づいた。
 これから、紆余曲折の人生が待ち構えているかもしれない。しかし、アクセルを緩めて少しずつ歩んでいくことで、すべて乗り越えていけるだろう。「焦ることなんかない」「ゆっくり、ゆっくりと大人になればいい」と、ひとり呟いた。そして、助手席に座る裕美の肩に手を回した。すると、透き通った残像が、自分にやさしく微笑んだ。

 やがて、光司は仲間が待つ駐車場へと戻った。
すると、仲間が駆け寄ってきた。卓也の人一倍うれしそうな笑顔が目に入った。

「光司、明日もう一度、洵子の所に謝りに行ってくる」 

卓也は助手席側の窓から顔を突っ込むと、照れくさそうに話した。

「いつの日か、裕美と洵子も連れて、4人でここに来ようや。阪奈道路から見える夜景って、思っている以上に綺麗やで」

 卓也は自分の車に乗り込むと、光司に右手を軽くあげて合図を送ると、走り去っていった。光司は卓也の車を見送りながら、「きっと約束は守られる」と確信をした。 

 次に、晃の「トレノ」が近づいてきた。晃は運転席側のウインドウを下げると光司に向かって叫んだ。

「光司とは、これからはミナミで待ち合わせやな」

 最後まで、晃らしいギャグを飛ばしてくれた。ただ、それよりも晃のスーツ姿に、また笑いが込み上げてくる。そんな光司の笑顔に満足をしたのか、エンジンを大きく吹かしながら帰っていった。

 そして、勇次が光司の傍まで歩みよってきた。そして、運転席側に立つと、窓越しから手を差し出した。光司はしっかりと握手を交わし微笑む。勇次は「ありがとう」と、はっきりと聞こえる声を発した。
「勇次、家まで送っていってやるから乗れよ」 勇次の後ろから、春樹が声を掛けた。すると、勇次は振り返り何も言わずに頷くと、「CR―X」の助手席に乗り込んだ。最後に、春樹が「また明日、バイト先で」と話すと、軽く手を挙げて立ち去っていった。

 最後に、この小さな駐車場に光司だけが残された。

 人生と云う道を、止まりたい時に止まり、追い抜きたければ前を走るものを追い抜く。そして、横道に逸れてみたくなったら、いつでも逸れれば良いだろう。ただし、これからは自分で責任を持って、歩んでいかなければならない。

 おもむろに、ダッシュボードの時計に目をやる。あと数時間もすると、東の空が白け始めてくるだろう。空気は一段と冷え込みを増している。しかし、空気は透きとおって、自分の気持ちを現してくれていた。

 阪奈道路は、ひと時の静けさを取り戻していた。それは、唯一、ここが眠りに就ける時間帯でもあった。しかし、夜が明けると、ここは朝の通勤ラッシュとなる。今度は、大人たちの運転をする車が、この道路を席巻することになる。
 いずれは、俺も新たな阪奈道路を走ることになるのだろう。 

その時、暗闇から光が放たれた。




終章

令和6年1月 成人の日 午後5時

 
 
 光司は最後の取引先での仕事を終えると、会社に戻るべく車を走らせていた。堺市の臨海に設けられら工業団地では、祝日の今日も、白煙を冬の空に悶々と立ち上げている。
 ここから、会社までは一時間ほど掛かる。恐らく今頃は、数人の社員が最後の事務仕事に取り掛かっていることだろう。きっと、やるせない休日出勤に、爆発しそうな鬱積を貯めていることだろう。そして今夜も、いつもの飲み屋で愚痴をぶつけ合うことになるのだろう。
 
 ただ、光司の周囲を走る車は違っていた。
 祝日の夕暮れ、大阪市内へと向かう車は、幸せに包まれたものばかりである。家族やカップルが乗った車内は笑顔で溢れていた。 
 
 その時、目の前の信号が青色から黄色に変わり、車のブレーキを踏んだ。「そういえば、俺はいつの頃から、黄色の信号で停まるようになったのだろう」と、ふと思ったが、忘れ去られた記憶を呼び戻すまでにはならない。
 それが大切な記憶だとは、気付けないでいた。

 やがて信号が再び青色を灯し、光司は右足をブレーキペダルからアクセルへと踏み変えた。
 いつの間にか、普及をしたオートマチックの車に、疲れ切った身体には物足りなさも感じなくなっていた。緩やかに踏み込んだアクセルに、反応の悪いエンジンに導かれて、ゆっくりと社用車が動き出す。
 やがて、大阪市内へと向かう道路は大和川へと差し掛かった。ちょうど橋の上に来たとき、光司はそれとなく顔を右側に向けた。すると、悠然とそびえ立つ生駒の山が遠くに見えた。低い太陽の日差しを受けた生駒の山が、鮮やかな暮色に染まっていた。
 
 何故か、とても懐かしい思いに、光司は気分が高揚した。
どこからでも生駒の山を眺めることはできる。それなのに、随分と長い間、生駒の山を忘れていたような気がした。そして、そこに置いて来た思い出が、頭の奥から溢れるように蘇ってきた。 
 
 光司は大和川を渡り終えると、慌てて車を路肩に止めて、妻の携帯に電話をした。

「もしもし」
「裕美か」
「どうしたの」
「今夜、ドライブに行かないか」 
「どうしたの急に。仕事は?」
「今から会社に戻って残務仕事を片付けたら直ぐに帰る。家に着
くのは、おそらく7時頃になるかな」
「なんか良いことあったの」
「そうではないけど」
「どこに行くの?」
「生駒の山頂にいかないか」
「なつかしいね」
「俺、随分と忘れていたような気がするんだ。色々なことを」
「そう」
「良いだろう」
「だったら、卓也くんと洵子さんも誘ってみたら」
「あの二人にも随分と会っていなかったなあ。俺から電話してみるよ」
「ねえ、あのレストランまだあるかなあ」
「きっとあるさ」

 光司は卓也に電話を掛け終えると、再び会社に向けて車を発進させた。今日の車の流れは随分とスムーズだ。これまで気にも留めなかったが、大阪市内を南北に走る道路は、すべて真っ直ぐに延びている。

 人生を振り返ると、曲がりくねった道路ばかりが残っているかもしれない。しかし、目の前に伸びる道路は、遠くまで真っ直ぐに伸びている。
 人生の転機は、生涯で必ず一度は訪れるもの。
 いま、人生を振り返ってみると、あの時の選択は間違っていなかったと、僅かながらの自信が持てた気がした。

(終焉)



【あとがき】

 あれから30年以上の月日が流れていた。
誰もが歓喜をした時代は過去のものとなり、水面下を進む時代が続いている。
 その昔、新人類と呼ばれた大人たちが、30年後に思うものとはなんなのだろうか。走り屋と呼ばれた少年たちが、峠の舞台で燃やし続けていたものとは一体なんだったのだろうか。
 このたった一夜の物語を、昭和の終わりに青春の欠片を探してみたい大人たちへ贈りたい。そして、バイクや車よりも、スマートフォンやゲームに興味を抱く現代の少年たちへ、青春時代に燃やすべき熱い心と、大人への転機について伝えたい。

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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