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『演技と身体』

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東西の哲学、解剖学、脳神経学、古典芸能(能)の身体技法や芸論を参照しながら独自の演技論を展開しています。実践の場としてのワークショップも並行して実施していきますので、そちらも是非… もっと読む
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#身体演技

『演技と身体』Vol.31 自律神経の話②

『演技と身体』Vol.31 自律神経の話②

自律神経の話②前回に引き続いて自律神経の話をしたいと思う。
前回はポリヴェーガル理論を紹介し、自律神経のモードを〈交流モード〉〈闘争/逃走モード〉〈自閉モード〉の三つに分けた。
今回はそれらをいかにして使い分けることができるかを検討してみたい。

自律神経は不随意

まず言っておくと、自律神経は自律的に働くものなので筋肉のように直接的に操作することはできない。
そこで間接的な働きかけが必要になるの

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『演技と身体』Vol.30 自律神経の話①

『演技と身体』Vol.30 自律神経の話①

自律神経の話①現場は普通じゃない

芝居をする時というのは、カメラがあったり、観客やスタッフがいたり、強い照明やマイクを向けられていたりする。つまり、普通じゃない。
そんな普通じゃない状況の中で例えば“自然な演技”を心がけようとしてもそれは“自然風”でしかなく、表面的には成立しているように見えても、意図していないニュアンスや緊張が乗ってしまっていることが多い。
よくあるのは、呼吸が浅くなっているた

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『演技と身体』Vol.29 問答条々

『演技と身体』Vol.29 問答条々

問答条々今回は、『風姿花伝』の「第三問答条々」の真似をして、これまでにワークショップの参加者から頂いた質問に答える形式で書いていきたいと思う。

イメージとのギャップ

答。この問題には色んな側面があるので、一概には言えないが、考えられる解決策をいくつか挙げてみたいと思う。
一つには、「ボディ・スキーマ」を開発していくことだ。「ボディ・スキーマ」については第6回の記事で詳しく書いたが、改めて説明し

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『演技と身体』Vol.28 世阿弥『風姿花伝』を読み解く③ 秘する演技

『演技と身体』Vol.28 世阿弥『風姿花伝』を読み解く③ 秘する演技

世阿弥『風姿花伝』を読み解く③ 秘する演技「秘すれば花なり」。非常に有名な言葉であり、「芸術は爆発だ」「人には人の乳酸菌」に並んで僕の座右の銘でもある。今回はこの言葉から派生させて“秘する演技”について書いていこうと思う。

花伝書における秘する花

まず風姿花伝の中でこの言葉がどのように使われているのか見てみよう。

観客にとって「ここが花だな」とはわからないことが役者にとっての花であり、観客に

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『演技と身体』Vol.27 世阿弥『風姿花伝』を読み解く② 実用編

『演技と身体』Vol.27 世阿弥『風姿花伝』を読み解く② 実用編

世阿弥『風姿花伝』を読み解く② 実用編前回の記事では、世阿弥『風姿花伝』の中から芸道者の心構えについて述べられた記述をピックアップして解説したが、今回はより実用的な部分にフォーカスしたいと思う。

強き・幽玄、弱気・荒きを知ること

演技には〈強い演技〉・〈優美な演技〉、《弱々しい演技》・《荒っぽい演技》があるという。〈強い演技〉・〈優美な演技〉は良い演技で、《弱々しい演技》・《荒っぽい演技》は戒

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『演技と身体』Vol.26 世阿弥『風姿花伝』を読み解く① 演技者の心構え

『演技と身体』Vol.26 世阿弥『風姿花伝』を読み解く① 演技者の心構え

世阿弥『風姿花伝』を読み解く① 演技者の心構え『風姿花伝』は世阿弥の伝書の中でも最も有名だろう。1400年に書かれたものに世阿弥自身が少しずつ追記していって完成したものだ。
『風姿花伝』は世阿弥の伝書の中では最初期のものであり、世阿弥自身の考えというよりは、父・観阿弥の教えを書き記したという側面が強いようだ。とはいえ、後期の世阿弥の論の礎となっていることは間違いなく、金言に満ちている。
今回は、『

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『演技と身体』Vol.25 声の表情

『演技と身体』Vol.25 声の表情

声の表情

「共に在る」ための感覚器官

現代の生活で私たちが最もよく使う感覚器官は目だろう。人々は四六時中スマホを覗き込んでいるし、そうでない時間もテレビやパソコンや本など、何かしら視覚を働かせて生活している。
しかし、進化の歴史・人類の歴史から見れば、そうした視覚優位の時代というのはごく最近のことだ。元々は哺乳類ほとんど夜行性なのであり、哺乳動物が昼に活動するようになったのは地球の長い歴史の中

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『演技と身体』Vol.24 感情と身体③ 関係を表現する

『演技と身体』Vol.24 感情と身体③ 関係を表現する

感情と身体③ 関係を表現する

想起されるイメージに反応する

前回までの内容で、感情を〈①没入的な感情〉・〈②想起的な感情〉・〈③非状況依存的な感情〉の三段階に分けた上で、〈①没入的な感情〉と〈③非状況依存的な感情〉が演技において危ういものであることを説明してきた。

すると必然的に〈②想起的な感情〉が演技での本位になることになる。
改めて説明をすると、〈想起的な感情〉とは例えば暗闇の中にいて、

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『演技と身体』Vol.23 感情と身体② 没入的な演技の危険性

『演技と身体』Vol.23 感情と身体② 没入的な演技の危険性

感情と身体② 没入的な演技の危険性感情の本質はどこに?

前回は感情を3つのレベルに分けて説明し、“身体性の感情”と“非身体性の感情”があることを説明した。

“非身体性の感情”というのは例えば小説を読んだ時に経験する感情だ。その状況が物理的に迫ってくることなし(非状況依存的)に、想像だけで感情を経験する。これは人間以外の動物にはできそうもないことだ。非常に高度な感情体験なのだ。しかし、人間だけに

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 『演技と身体』Vol.22 感情と身体① 〜なぜ身体論なのか〜

『演技と身体』Vol.22 感情と身体① 〜なぜ身体論なのか〜

感情と身体① 〜なぜ身体論なのか〜軽んじられてきた身体

この連載記事は身体論的アプローチによって演技を考えようというものであるが、“身体論”という響きにはどこか心の動きを軽視するような感じがあると思われるところがあるようだ。だが言いたいことは逆である。心の動きについて考える時、身体を離れて考えることは本来できないはずである。それなのに、これまでの演技論では身体的な側面は軽んじられてきたように思う

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『演技と身体』Vol.21 離見の見

『演技と身体』Vol.21 離見の見

離見の見

「離見の見」は世阿弥が残した言葉の中でもとりわけよく知られているものの一つで、上記の通り役者自身の身体を離れた客観的な目線から自身を見る意識のことである。この言葉は能や演技以外にもビジネスの場面でも使われているが、あらゆる言葉がそうであるように広く使われれば使われるほど安易に解釈されるきらいがあるようにも思う。今回はこの「離見の見」についての僕の考えを書いていこうと思う。

観客よりも

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 『演技と身体』Vol.20 役者という仕事

『演技と身体』Vol.20 役者という仕事

役者という仕事「見られる」仕事

役者という仕事は、華があり人間存在を一身に背負ったエネルギーがあり多くの人の憧れるところである。他方で、自分の肉体と精神を無防備にさらけ出すことには多くの危険もある。今回は、そうした危険をいかに回避するか、またそれを反転させて役者がアーティストとして主体性を確立することがいかにして可能になるかについて書いていこうと思う。簡単なことではないが、不可能なことでもないだ

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『演技と身体』Vol.19 脚本の読み取り③ 読み取りの手順

『演技と身体』Vol.19 脚本の読み取り③ 読み取りの手順

脚本の読み取り③ 読み取りの手順

これまで2回に渡って脚本の読み取りについての考えを述べてきた。今回はそれらをまとめて、具体的な手順を提案しようと思う。
前半は理論的な内容を扱うので、興味の沸かない人は「脚本の読み取りの手順」という見出しから読んでいただけたら良いと思う。

パースの記号論

前々回の記事で書いたことは、まず脚本に書かれているト書きやセリフをただ思い切りやってみるべきだということ

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『演技と身体』Vol.18 脚本の読み取り② 書かれていないことについて

『演技と身体』Vol.18 脚本の読み取り② 書かれていないことについて

脚本の読み取り② 書かれていないことについて前回は「書かれていることについて」と題して、脚本の読み取りについての考えを書いたが、今回は「書かれていないこと」というテーマで書いていく。まず、前回も述べたことだが、脚本の読み取りは自由で良いと思う。その上で、これから書いていくことが何かヒントとなれば幸いである。

イメージのレイヤーで見る

多くの役者がやってしまいがちなことの一つに、「言葉を言葉通り

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