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『演技と身体』

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東西の哲学、解剖学、脳神経学、古典芸能(能)の身体技法や芸論を参照しながら独自の演技論を展開しています。実践の場としてのワークショップも並行して実施していきますので、そちらも是非… もっと読む
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記事一覧

『演技と身体』Vol.39 無意識の話⑦ 「私ではなく、私でなくもない」

『演技と身体』Vol.39 無意識の話⑦ 「私ではなく、私でなくもない」

無意識の話⑦ 「私ではなく、私でなくもない」前回までは言語の仕組みを手がかりにして無意識の働きについて考察したが、今回は、そもそも言語構造外について考えることができるのかということをテーマにしてみたい。

自他の区別のない世界

簡単におさらいしておくと、無意識は個人的無意識と集合的無意識の二層構造になっているのであった。Vol.35無意識の話③で説明した通り、個人的無意識というのは個人の脳の働き

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『演技と身体』Vol.38 無意識の話⑥ 言語的無意識〜イメージを重ねる〜

『演技と身体』Vol.38 無意識の話⑥ 言語的無意識〜イメージを重ねる〜

無意識の話⑥ 言語的無意識〜イメージを重ねる〜前回は、言語の構造を意識と結びつきの深い〈統語法〉的な働き(文法)と、無意識的な機能である〈喩〉的な働き(比喩)の二つに分けて考え、無意識の働きを引き出すためには〈統語法〉的な機能を低下させるということと、〈喩〉的な機能を強調することの両方向からのアプローチが必要だということを述べて終わった。
今回は、その具体的な方法を検討する。

言葉を無意味化する

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『演技と身体』Vol.37 無意識の話⑤ 言語構造と無意識

『演技と身体』Vol.37 無意識の話⑤ 言語構造と無意識

無意識の話⑤ 言語構造と無意識言語は意識と無意識の混合体

前回は、個人的無意識状態である「忘我」と集合的無意識状態である「恍惚」について説明したが、これらの状態に技術的に接近するためには、言語構造と無意識の関係について考えることが有効だ。
というのも言語の構造はまさに意識と無意識の混合によるものだからである。つまり、その混合の中から無意識的な働きにフォーカスすることができれば、無意識に接近する方

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『演技と身体』Vol.36 無意識の話④ 「忘我」と「恍惚」

『演技と身体』Vol.36 無意識の話④ 「忘我」と「恍惚」

無意識の話④ 「忘我」と「恍惚」前回は無意識に、個人的無意識と集合的無意識の二種類があることを説明し、演技における「忘我」、「恍惚」の状態がそれらに対応するものであることをほのめかして終わった。今回はその続きである。

個人的無意識と超個人的無意識

「忘我」・「恍惚」とは、演技において無意識が表面化した状態を二種類に分けて僕が名付けた呼び方であり、無意識の二つの状態に対応する。
無意識の二つの状

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『演技と身体』Vol.35 無意識の話③ 心と無意識

『演技と身体』Vol.35 無意識の話③ 心と無意識

無意識の話③ 心と無意識前回までは、無意識を動作との関連の中で考えたが今回からは、心の働きにおける無意識について考えていきたい。
(なお、今回の記事を書くにあたって主に参照しているのは中沢新一『レンマ学』である。)

なぜ無意識なのか

まず、役者として無意識の問題と向き合うべき理由について述べておこう。
一つには、無意識は心の働きの大部分を占めるものであり、感情を表現するに当たって決して無視でき

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『演技と身体』Vol.34 無意識の話② 無意識を意識化する

『演技と身体』Vol.34 無意識の話② 無意識を意識化する

無意識の話② 無意識を意識化する前回は、意識的だったものを無意識化することについて述べてきたが、今回はその反対についても考えてみたい。

無意識はエラーによって意識化される

歩く行為が無意識の動作の総合であることは前回述べた通りだ。では逆に歩くという行為における一つひとつの無意識の動作が意識されるのはどのような時だろう。それは歩くことに困難が生じた時だ。たとえば足を骨折した時、松葉杖という新たな

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『演技と身体』Vol.33 無意識の話① 台詞や動作を無意識化する

『演技と身体』Vol.33 無意識の話① 台詞や動作を無意識化する

無意識の話① 台詞や動作を無意識化する無意識について語るのは非常に難しい。
無意識と一口に言っても、日常の習慣的動作から深層心理まで使われ方は様々だし、また科学的にも学問的にも十分解明されたとは言い難い、未開拓地なのである。にもかかわらず、それが人の行動や感情に大きな影響を与えていることだけは、多くの人が一致した見解を持っているのだから、無意識について考えないわけにもいかない。
演技者にとっても無

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『演技と身体』Vol.32 間と呼吸

『演技と身体』Vol.32 間と呼吸

間と呼吸ま。

こうしてひらがなで書いたのを見つめているとすぐにゲシュタルト崩壊しそうだ。
間。
間はとにかく捉えどころがなく、よって正解もない。
正解がないのに、面白い間と退屈な間があるのは確かである。
それはその場その時によって適切な間が変化するからだろう。間には決まり切った正解がないが、その時々で適切な間がある。

呼吸。

書店に赴けば呼吸についての本が何冊も売られている。いろんな人がいろ

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『演技と身体』Vol.31 自律神経の話②

『演技と身体』Vol.31 自律神経の話②

自律神経の話②前回に引き続いて自律神経の話をしたいと思う。
前回はポリヴェーガル理論を紹介し、自律神経のモードを〈交流モード〉〈闘争/逃走モード〉〈自閉モード〉の三つに分けた。
今回はそれらをいかにして使い分けることができるかを検討してみたい。

自律神経は不随意

まず言っておくと、自律神経は自律的に働くものなので筋肉のように直接的に操作することはできない。
そこで間接的な働きかけが必要になるの

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『演技と身体』Vol.30 自律神経の話①

『演技と身体』Vol.30 自律神経の話①

自律神経の話①現場は普通じゃない

芝居をする時というのは、カメラがあったり、観客やスタッフがいたり、強い照明やマイクを向けられていたりする。つまり、普通じゃない。
そんな普通じゃない状況の中で例えば“自然な演技”を心がけようとしてもそれは“自然風”でしかなく、表面的には成立しているように見えても、意図していないニュアンスや緊張が乗ってしまっていることが多い。
よくあるのは、呼吸が浅くなっているた

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『演技と身体』Vol.29 問答条々

『演技と身体』Vol.29 問答条々

問答条々今回は、『風姿花伝』の「第三問答条々」の真似をして、これまでにワークショップの参加者から頂いた質問に答える形式で書いていきたいと思う。

イメージとのギャップ

答。この問題には色んな側面があるので、一概には言えないが、考えられる解決策をいくつか挙げてみたいと思う。
一つには、「ボディ・スキーマ」を開発していくことだ。「ボディ・スキーマ」については第6回の記事で詳しく書いたが、改めて説明し

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『演技と身体』Vol.28 世阿弥『風姿花伝』を読み解く③ 秘する演技

『演技と身体』Vol.28 世阿弥『風姿花伝』を読み解く③ 秘する演技

世阿弥『風姿花伝』を読み解く③ 秘する演技「秘すれば花なり」。非常に有名な言葉であり、「芸術は爆発だ」「人には人の乳酸菌」に並んで僕の座右の銘でもある。今回はこの言葉から派生させて“秘する演技”について書いていこうと思う。

花伝書における秘する花

まず風姿花伝の中でこの言葉がどのように使われているのか見てみよう。

観客にとって「ここが花だな」とはわからないことが役者にとっての花であり、観客に

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『演技と身体』Vol.27 世阿弥『風姿花伝』を読み解く② 実用編

『演技と身体』Vol.27 世阿弥『風姿花伝』を読み解く② 実用編

世阿弥『風姿花伝』を読み解く② 実用編前回の記事では、世阿弥『風姿花伝』の中から芸道者の心構えについて述べられた記述をピックアップして解説したが、今回はより実用的な部分にフォーカスしたいと思う。

強き・幽玄、弱気・荒きを知ること

演技には〈強い演技〉・〈優美な演技〉、《弱々しい演技》・《荒っぽい演技》があるという。〈強い演技〉・〈優美な演技〉は良い演技で、《弱々しい演技》・《荒っぽい演技》は戒

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『演技と身体』Vol.26 世阿弥『風姿花伝』を読み解く① 演技者の心構え

『演技と身体』Vol.26 世阿弥『風姿花伝』を読み解く① 演技者の心構え

世阿弥『風姿花伝』を読み解く① 演技者の心構え『風姿花伝』は世阿弥の伝書の中でも最も有名だろう。1400年に書かれたものに世阿弥自身が少しずつ追記していって完成したものだ。
『風姿花伝』は世阿弥の伝書の中では最初期のものであり、世阿弥自身の考えというよりは、父・観阿弥の教えを書き記したという側面が強いようだ。とはいえ、後期の世阿弥の論の礎となっていることは間違いなく、金言に満ちている。
今回は、『

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