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夏目漱石論2.0

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#三四郎

「ふーん」の近代文学⑰ 「ふーん」したくなる気持ちもわかるけど

「ふーん」の近代文学⑰ 「ふーん」したくなる気持ちもわかるけど

 乃木静子殺害事件後の森鴎外の作品群には露骨に「殉死」批判が書かれていると言われても、みななかなかそのまま素直に受け入れがたいのは解らないことでもない。
 猪瀬直樹の『公 日本国・意思決定のマネジメントを問う』にあるように森鴎外は『かのように』でこう書いている。

 だから長男の鴎外は日本という船が沈まないように保守を貫いたのだと。そう捉えると『帝諡考』に至る森鴎外の姿勢が一本筋が通ったものに見え

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三四郎の身長は何故伸び縮みするのか?

三四郎の身長は何故伸び縮みするのか?

 どういう訳か真面目に書いた記事より、息抜きに、ちょっと裏の話を書いた方がPVが多いので、今回はやはり正統的な文章読解では答えが出そうもなさそうな問題、三四郎の身長が伸び縮みする問題について、与太話を書いてみたいと思います。

 まず三四郎の身長が伸び縮みするというのはこういうことです。

 一応、ここで三四郎の身長は五尺四寸五分とされます。これを「明治の平均身長からすれば低くはない」と妙な擁護を

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読み誤る漱石論者たち 阿刀田高③ 『それから』はどうしてそれから?

読み誤る漱石論者たち 阿刀田高③ 『それから』はどうしてそれから?

 読み落としは読み誤りとは違うのではないか、気が付いていないことがあるだけで、読み誤りとは言えないのではないか、

 この記事を読んでそんなことを思う人がいるかもしれない。しかし私が言っているのは、最低限ここまでは読めていないといけないという最低ラインに達っしていないのに解った風に書いてしまうのはどうなのかということだ。清を「ねえや」にしてしまうのは誤読だ。汚染データだ。漱石が意図して『三四郎』で

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読み誤る漱石論者たち阿刀田高② 三四郎の髪の長さはどれくらい?

読み誤る漱石論者たち阿刀田高② 三四郎の髪の長さはどれくらい?

 夏目漱石作品の中でも『坊っちゃん』『三四郎』『それから』は謎だらけの作品だ。一度さらっと読んで解るものではない。

 この書きようからすると阿刀田高は他人の解釈は参考にしていないようだ。だからこそ『虞美人草』の藤尾の死に関しては惑わされずに済んだのかもしれないが、ここではやはり書いていないことを付け足してしまっている。まず三四郎の里は北九州寄りの福岡で、熊本からはかなり距離がある。「国を立つまぎ

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『三四郎』を読む⑪ 青春小説を読むとはどういうことか

『三四郎』を読む⑪ 青春小説を読むとはどういうことか

 ここしばらくどうでもいいことを書いてきたので、そろそろ文学の本質的な話をしたいと思う。初心な田舎者、明治元年くらいの頭の意気地のない男、そう三四郎を笑おうとした人たちは、この三四郎が捉えた美をどう眺めただろうか。

例えば言葉そのものはいささか軽いが、結果として「青春小説の金字塔」としての『三四郎』という見立てに私は大きく反対しない。子持ち女に迫られて風呂場から逃げ出す三四郎も、与次郎にラ

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『三四郎』を読む⑩ 美禰子は美人なのか? 三四郎の好みが変わっているだけではないのか?

『三四郎』を読む⑩ 美禰子は美人なのか? 三四郎の好みが変わっているだけではないのか?

 夏目漱石作品中一二を争う美人と思われがちな美禰子だが、果たして本当に万人受けする美人だったのであろうか。その美しさは三四郎にとってだけのもので、ちやほやされているようでありながら、その実かなり個性的な美しさだったのではなかろうか。
 与次郎に言わせると美禰子は出っ歯らしい。肌は狐色、九州色である。人の好みはさまざまだろうが、美禰子は万人受けする美人だったのだろうか?「ばかだなあ、あんな女を思って

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『三四郎』を読む⑨  なかなか柔道を始めないな…

『三四郎』を読む⑨  なかなか柔道を始めないな…

 読書メーターで『三四郎』の感想を読んでいたら、なかなか柔道を始めないな……というものがあって大いに笑ったが、実はこれは笑い話ではないかもしれない。

『姿三四郎』(1942年)は富田常雄の人気小説で、西郷四郎がモデルと言われる。四郎の得意技は「山嵐」、『坊っちゃん』に出てくる毬栗坊主のあだ名と同じだ。『坊っちゃん』の山嵐と西郷四郎はともに会津出身、『坊っちゃん』に出てくる校長のモデルの一部はど

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三四郎を読む⑦ 小宮と三重吉の弥次喜多珍道中?

三四郎を読む⑦ 小宮と三重吉の弥次喜多珍道中?

 ついこの間淀見軒のライスカレーについて調べていて、ふと与次郎が淀見軒をヌーボ式と言っているが、これが見事にアール・デコだということに気が付いた。実物の写真を見れば誰でも気が付くはずの事なのに、淀見軒の写真を見ていなかったので、つい見落としていたのだ。

 これが漱石のふりだとすれば、「てんどん」式に同じやり方が繰り返されているのではないかと疑っても良いだろう。すると俄然ここが怪しくなる。なんとい

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『三四郎』を読む⑥ やり過ごされる漱石

『三四郎』を読む⑥ やり過ごされる漱石

 夏目漱石という「余裕派」の『三四郎』の冒頭付近では、こんな日露戦争批判が語られる。

 これは今でこそ正論だ。賠償金を得られなかった日本はそこから貧しい国になる。よく調べてみるとこのころから大量の食い詰め者がでて世界中に移民し、また移民を制限され、移民を拒否されている。

 結局ロシア、ソビエトとの関係、日露戦争の負の遺産は現在に至るまで解消していない。しかし例えばこんなものを大東亜戦争当時に新

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『三四郎』を読む③ 難航する三四郎 読み誤る漱石論者たち

『三四郎』を読む③ 難航する三四郎 読み誤る漱石論者たち

レオナルド・ダ・ヴィンチに辟易する三四郎

 何故三四郎はレオナルド・ダ・ヴィンチという名を聞いて少しく辟易したのだろうか。また何故ゆうべの女のことを考え出して、妙に不愉快になったのだろうか。

 この点は明確には書かれていないので深読みに注意しなくてはならない。

 ダ・ヴィンチはまず奇警を発するもの、奇抜で並外れた言動をするものとして現れる。ここでは奇警は必ずしも名案ではないと流されている様子

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『三四郎』を読む② 文豪飯などどうでもよいが 淀見軒のカレーにじゃが芋は入っていたか?

『三四郎』を読む② 文豪飯などどうでもよいが 淀見軒のカレーにじゃが芋は入っていたか?

 このポンチ絵をかいた男というのは佐々木与次郎である。三四郎は与次郎にライスカレーをおごられる。二人は案外安っぽいもので結びつく。私はカレーライスが大好物だが、夏目漱石がカレーライスを食べた記録はない。ここは三四郎と与次郎の一段低い西洋化があつたとみるべきだろうか。

 予定だったところに出くわす趣味品性の備わった学生?である。小宮豊隆は三四郎が自分、鈴木三重吉が与次郎のモデルではないかと考え、ひ

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丸谷才一の『三四郎』論について① 読み返しながら書くべき

丸谷才一の『三四郎』論について① 読み返しながら書くべき

 こう名古屋で三四郎の風呂場に入ってくる女について丸谷才一は書いているが、作中では、

 とある。つまり元は海軍の職工だったが、満州の玄関口の大連に出稼ぎに行った夫の安否は不明なので、元妻かもしれないということだ。細かいようだが重要なことだ。大連を満州に置き換えるのはやや乱暴ながら、ぎりぎり完全な間違いとは言えない。しかし職工の妻と読み違えたからには、夫の安否が不明であり、仕送りもないところの女の

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