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『三四郎』を読む⑩ 美禰子は美人なのか? 三四郎の好みが変わっているだけではないのか?

 あくる日は予想のごとく好天気である。今年は例年より気候がずっとゆるんでいる。ことさらきょうは暖かい。三四郎は朝のうち湯に行った。閑人の少ない世の中だから、午前はすこぶるすいている。三四郎は板の間にかけてある三越呉服店の看板を見た。きれいな女がかいてある。その女の顔がどこか美禰子に似ている。よく見ると目つきが違っている。歯並がわからない。美禰子の顔でもっとも三四郎を驚かしたものは目つきと歯並である。与次郎の説によると、あの女は反っ歯の気味だから、ああしじゅう歯が出るんだそうだが、三四郎にはけっしてそうは思えない。……(夏目漱石『三四郎』)

 夏目漱石作品中一二を争う美人と思われがちな美禰子だが、果たして本当に万人受けする美人だったのであろうか。その美しさは三四郎にとってだけのもので、ちやほやされているようでありながら、その実かなり個性的な美しさだったのではなかろうか。
 与次郎に言わせると美禰子は出っ歯らしい。肌は狐色、九州色である。人の好みはさまざまだろうが、美禰子は万人受けする美人だったのだろうか?「ばかだなあ、あんな女を思って。思ったってしかたがないよ」と与次郎は美禰子に魅力を感じている様子がない。「里見さんを描いちゃ、だれが描いたって、間が抜けてるようには描けませんよ」ともいうが、美人だとは言っていない。

 女はやがてもとのとおりに向き直った。目を伏せて二足ばかり三四郎に近づいた時、突然首を少しうしろに引いて、まともに男を見た。二重瞼の切長のおちついた恰好である。目立って黒い眉毛の下に生きている。同時にきれいな歯があらわれた。この歯とこの顔色とは三四郎にとって忘るべからざる対照であった。(夏目漱石『三四郎』)

 鉄漿の時代にはない美、白い歯の美が強調されている、一重瞼の涼しい目元よりも二重瞼のきりっとした目が新しい時代の女だ、と見做すべきなのだろうか。狐色の肌が評価されるのは、アグネス・ラム以降の事である。色黒が好まれるのは『三四郎』一作のみではなかったか。乱杭歯が大衆に評価されるのは石野真子以降の事である。出っ歯が評価される時代はまだ来ない。

 バー・ペンギンで木村が酔っ払った時は、おかしかった。あいつ、やたらにブランデーをあおったものだから、すっかり足腰がたたなくなり、それを自分で気付かずに、ソファーから立ち上って、スタンドの方へ、なにかマダムに愛嬌をふりまきに行ったものだから……。第一、あのマダムに敬意を表するということはない。バー・ペンギンとはよく名づけた。マダムの恰好が、脚はちんちくで、胴はのっぺりして、口は反っ歯で、ペンギンそっくりじゃないか。滑稽を一種の愛嬌とするなら、まあ、こちらからも愛嬌を呈するのもよかろう。木村は眼に笑みを含んで、数歩あるいていったが、もう腰がくだけ、スタンドにつかまりそこね、腰掛にもつかまりそこね、すとんと尻もちをついてしまった。ばかりならよいが、起き上ろうとして、手足をばたばたやった。床に手をつくことを忘れたのだ。ダブルの上衣、ポマードをぬった髪、ぴかぴか光らしてるダンス用の靴、それで尻もちをついて、手足を宙にばたばた泳がしてる様子が、まったく滑稽で、俺は笑いだしたし、他の酔客も笑った。誰も助けにゆく者がない。その時、マダム・ペンギンが、さっと出て来て、彼を抱き起し、大真面目な顔で塵を払い落してやったりしている……。(豊島与志雄『蛸の如きもの』)

 反っ歯を好むのは勝手、黒い肌を好むのも勝手とはいえ、狐色の肌の反っ歯がヒロインになる小説には心当たりがない。北大路魯山人は「昔から狐色に焼くのを最上としておったようだが、ところどころ濃く、ところどころ狐色に丁度鼈甲の斑を思わせるように焼くのが理想的である」としているがこれは餅の話である。

 やがて細君が帰って来た。細君はお兼さんと云って、器量はそれほどでもないが、色の白い、皮膚の滑らかな、遠見の大変好い女であった。(夏目漱石『行人』)

 こんな感覚が当時ありふれたものであり、アグネス・ラムが登場するまで続いていたのだろう。

 色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人と、四十五六の奥さんとが並んで切符を売る窓の前に立っている。(夏目漱石『坊っちゃん』)

 マドンナも色白だ。よし子も色白で背が高い。これは大塚楠緒子のイメージだろうと大体百億兆人くらいが書いている。乳酸菌か。

 女は顔を上げた。蒼白ろき頬の締れるに、薄き化粧をほのかに浮かせるは、一重の底に、余れる何物かを蔵せるがごとく、蔵せるものを見極みきわめんとあせる男はことごとく虜となる。(夏目漱石『虞美人草』)

 クレオパトラに擬せられる藤尾もどういう了見か色白である。三千代も蒼白い女である。

 三千代は美くしい線を奇麗に重ねた鮮かな二重瞼を持っている。眼の恰好は細長い方であるが、瞳を据えて凝と物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える。代助はこれを黒眼の働らきと判断していた。三千代が細君にならない前、代助はよく、三千代のこう云う眼遣いを見た。そうして今でも善く覚えている。三千代の顔を頭の中に浮べようとすると、顔の輪廓が、まだ出来上らないうちに、この黒い、湿んだ様に暈された眼が、ぽっと出て来る。(夏目漱石『それから』)

 『こころ』の先生の奥さん、元お嬢さんも色白の美人である。

 お嬢さんは大層着飾っていました。地体が色の白いくせに、白粉を豊富に塗ったものだからなお目立ちます。往来の人がじろじろ見てゆくのです。そうしてお嬢さんを見たものはきっとその視線をひるがえして、私の顔を見るのだから、変なものでした。(夏目漱石『こころ』)

 どうも先生はお嬢さんの色の白いのが衆目を集めるのがまんざらではなさそうだ。そういえば『明暗』の津田の細君、お延も色白である。

 細君は色の白い女であった。そのせいで形の好い彼女の眉が一際引立って見えた。彼女はまた癖のようによくその眉を動かした。惜しい事に彼女の眼は細過ぎた。おまけに愛嬌のない一重瞼であった。けれどもその一重瞼の中に輝やく瞳子は漆黒であった。だから非常によく働らいた。或時は専横と云ってもいいくらいに表情を恣にした。津田は我知らずこの小さい眼から出る光に牽きつけられる事があった。そうしてまた突然何の原因もなしにその光から跳ね返される事もないではなかった。(夏目漱石『明暗』)

 このお延はやはり「美人」という印象を受ける。一重瞼の控えめな美人。性格も健気で大人しい。

 色は兎角白が土台になる。これに色々の色彩が施されるのだ。女の顔の色も白くなくッちゃ駄目だ。女の顔は浅黒いのが宜いというけれど、これとて直ちにそれが浅黒いと見えるのでは無く、白い下地が有って、始めて其の浅黒さを見せるのである。
 色の白いのは七難隠すと、昔の人も云った。しかしながら、ただ色が白いというのみで意気の鈍い女の顔は、黄いろく見えるような感がする。悪くすると青黒くさえ見える意気がある。まったく色が白かったら、よし、輪郭は整って居らずとも、大抵は美人に見えるように思う。僕の僻見かも知れぬが。(泉鏡花『白い下地』)

 そりゃ現代では肌が白いの黒いのとの議論が差別だとやかましいが、むしろ三四郎が、

 西洋料理屋の前で野々宮君に別れて、追分に帰るところを丁寧にもとの四角まで出て、左へ折れた。下駄を買おうと思って、下駄屋をのぞきこんだら、白熱ガスの下に、まっ白に塗り立てた娘が、石膏の化物のようにすわっていたので、急にいやになってやめた。それから家へ帰るあいだ、大学の池の縁で会った女の、顔の色ばかり考えていた。――その色は薄く餅をこがしたような狐色であった。そうして肌理が非常に細かであった。三四郎は、女の色は、どうしてもあれでなくってはだめだと断定した。(夏目漱石『三四郎』)

 ……と断定しておきながら、その一方で、

 目の大きな、鼻の細い、唇の薄い、鉢が開いたと思うくらいに、額が広くって顎がこけた女であった。造作はそれだけである。けれども三四郎は、こういう顔だちから出る、この時にひらめいた咄嗟の表情を生まれてはじめて見た。青白い額のうしろに、自然のままにたれた濃い髪が、肩まで見える。それへ東窓をもれる朝日の光が、うしろからさすので、髪と日光の触れ合う境のところが菫色に燃えて、生きた暈をしょってる。それでいて、顔も額もはなはだ暗い。暗くて青白い。そのなかに遠い心持ちのする目がある。高い雲が空の奥にいて容易に動かない。けれども動かずにもいられない。ただなだれるように動く。女が三四郎を見た時は、こういう目つきであった。(夏目漱石『三四郎』)

 こんな青白いよし子にも惹かれるところが妙と言えば妙なのである。いや、そもそも四日市の女が九州色で、美禰子が狐色で、どこの日サロで焼いたのか解らないのが不思議なのである。「私が美禰子のモデルです」と太田静子みたいな人が現れたら、太宰治の『斜陽』のような落ちになって面白いのだが。

 私はこれまでこの問題を、いきなり「九州色」と呼ばれる京都で乗り合わせた女、名古屋で同宿した女、そして「関西線で四日市の方へ行く」ことからどうやら和歌山辺りに里があるらしき女の問題と併せて、「九州出身でもないのに九州色問題」に置き換え、さらに「京都出身なのに九州顔の明治天皇問題」に置き換えて論じてきた。明治天皇が九州顔なのはおかしい。和歌山の女が九州色なのはおかしい。呉に住んでいたから黒くなるわけではなかろう。この四日市の女を九州色とすることには無理があり、明治天皇が九州顔であることにも無理がある。

 つまり私はこれまで極私的な「三四郎の女性の好み」の問題を、明治天皇すり替え説として論じてきた。夏目漱石のスタンスは何が何でも天皇制反対というようなものではけしてない。昔の封建領主の方が天皇より偉かったと講演しながら、天皇の御幸の際にはわざわざ袴をはいて見物に並ぶなど、「天子様」に対する礼節には保守的なものが見られる。その一方でまた、天皇神話や、天皇の神格化には応ずる気配がまるでなく、軽々しく皇祖に言及することはなく、万世一系という観念にも組しない。

 実をいうと三四郎には確然たる入鹿の観念がない。日本歴史を習ったのが、あまりに遠い過去であるから、古い入鹿の事もつい忘れてしまった。推古天皇の時のようでもある。欽明天皇の御代でもさしつかえない気がする。応神天皇や聖武天皇ではけっしてないと思う。三四郎はただ入鹿じみた心持ちを持っているだけである。芝居を見るにはそれでたくさんだと考えて、唐からめいた装束や背景をながめていた。しかし筋はちっともわからなかった。そのうち幕になった。(夏目漱石『三四郎』)

 この奇妙な文章はどうも天智天皇を批判しているようにしか受け止められない。無論血相変えて怒鳴り散らすというよりは、すっとぼけた当てこすりである。

 過去は死んでいる。大法鼓を鳴らし、大法螺を吹き、大法幢を樹てて王城の鬼門を護りし昔は知らず、中堂に仏眠りて天蓋に蜘蛛の糸引く古伽藍を、今さらのように桓武天皇の御宇から堀り起して、無用の詮議に、千古の泥を洗い落すは、一日に四十八時間の夜昼ある閑人の所作である。現在は刻をきざんで吾われを待つ。有為の天下は眼前に落ち来きたる。双の腕は風を截って乾坤に鳴る。――これだから宗近君は叡山に登りながら何にも知らぬ。(夏目漱石『虞美人草』)

 桓武天皇の母は百済系渡来人氏族の和氏の出身である高野新笠、先帝の光仁天皇は天智天皇の第七皇子、このあたりの天皇は複雑な政争の結果としてあり、とても万世一系などと言えるものではない。しかし、そうした天皇家のいかがわしさと、三四郎の色黒好みはどう関係しているのだろうか?

 あるいは全く関係のないものなのだろうか?

 いささかこじつけじみてはいるが、時代背景を考えると、三四郎が色黒の女性を求めることと、皇室問題とは全く無関係であるとは思えないのだ。

 九条節子は、正室の子でないことや、明治天皇が皇族からの東宮妃を強く望んでいたこと、更には政府上層部でも節子に否定的な意見が多かった。最終的には消去法にて、色黒すなわち容姿端麗ではないことよりも、先述の通り『黒姫』と呼ばれるほどに健康であることが重視され、1899年(明治32年)8月21日に婚約が内定した。「容姿端麗ではない」とされた節子以外の女性に皇太子が興味を持たぬよう、皇太子は節子を含めた女性との接触を制限された。また、大河原家にあった幼少期の写真は没収された。(ウイキペディア「貞明皇后」より)

 美禰子がよし子の縁談の相手に貰われていくことも、単なる偶然とは思えなくもない。

 当初、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の妃として伏見宮貞愛親王の長女である禎子女王が挙げられていた。1893年(明治26年)5月に皇太子妃に内定し、1896年(明治29年)には明治天皇と皇后美子とも対面していた。禎子女王は外見が色白で美しかったが、西欧列強と並び立つためにキリスト教文化圏の一夫一妻制を導入する必要性がある中、健康面を不安視され1899年(明治32年)3月に、婚約は解消された。(ウイキペディア「貞明皇后」より)

 年齢も近い。ただこうして「陰謀説」じみたことを書き連ねていても、今一つすっきりしないので、この問題はペンディングとしたい。今のところこの「美禰子は美人なのか? 三四郎の好みが変わっているだけではないのか?」という問いは→「何故三四郎は色白のよし子にも惹かれながら、女の色は狐色でないと、などと断定したのか」問題と置き換えられ、その答えは明確ではない。

①なにやら皇室問題と無関係ではないような感じがなくもない
②しかし白黒つけられる感じもしない

……としておこう。本の売れ行きが芳しくないので、今日は気分が乗らない。

 


 

【余談】反っ歯について


 三島由紀夫が『仮面の告白』で反っ歯についてこんなことを書いている。

 彼女の前歯はこころもち反っ歯だった。それはきわめて白い美しい前歯で、その二三本を目立たせるためにわざとそうしているかと思われるほどに、笑うとまず前歯が光り、そのここもち反っているさまは、いおうようのない愛嬌を笑いに添えた。反っ歯という不調和、それが顔や姿のやさしさ・美しさの調和のなかへ、一滴の香料のようにしたたり落ち、その調和を強め、その美しさに味わいのアクセントを加えるのであった。(『仮面の告白』三島由紀夫、『三島由紀夫集 新潮日本文学45』所収、新潮社、昭和四十三年)

 なるほど、人の好みはそれぞれだ。




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