アノ

大学生も後半。文学部英語専攻。 ことばと動物と綺麗なものが好きです。

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大学生も後半。文学部英語専攻。 ことばと動物と綺麗なものが好きです。

最近の記事

散るな、まだ、

季節外れではあるけど。 ふと、春泥棒が頭をよぎった。最近ギターを本格的に練習し始めて、春泥棒のサビ前コードを一生弾いている。じゃーじゃじゃじゃじゃん。はらり… この曲の解釈って、少なくとも2~3パターンは取れると思うのだ。うちひとつはライブの演出でしっかり公式解釈と取れたものがあったので割愛する。勿論泣いた。コーギー、お前だったのか…。 さて、またひとつ春と別れを告げた私たち。 春泥棒は死に別れた恋人を追いかけるある死者の思い出だと思っていたし、公式解釈も限りなくそれに近い

    • 本日も晴天也

      おはよう。朝だよ。朝っていうかもう昼だけど。 これは…10月ですね。 6月が終わろうとしている。私の未来も少し希望がチラついてきている。元々ないわけではないんだけど、具体的にこれから居座る場所が決まりそうな予感がしている。 ここ1ヶ月のこと。妙に皆に「変わったね」と言われることが多い。明るくなったとか、自信が見えるとか、そもそも成長したね、とか。それは実は私が1番思っていることで。 1か月前。最愛の恋人に別れを告げられた。 教育実習が終わった翌日のこと、よく晴れた昼下がり

      • ゆめ

        5月。色々あったね。 書く準備はしていたんだけど、わりと現実って残酷で。やっと書く気力も湧いてきました。 4年越しの夢がやっと、本当にやっと、叶ったんです。そのこと自体夢のようで、でも手元に残った日誌、指導担当の先生からもらったシール、クラスの生徒からもらった手紙が夢じゃないことを物語っている。 正直、最初は本当に辛かった。 たった2週間。早起きなんて無理だよ。先生も怖いかもしれないし。生徒が受け入れてくれなかったらどうするの。そもそも向いてないのに、行く意味ある?何度も

        • saudade

          心が落ち着いてきたかといえば嘘になる。 だからといって前に進めるかといえばそれも嘘。 またか。その一言に尽きる。 詳しく書くとまだ辛いので、所感でも綴ります。 1週間、ひたすら自分を殴っては頭を撫でるような、まるでDVをしてくる人間のような生活を繰り返している。自分を受け入れようと精一杯可愛がり、そして気を抜けば自分の見たくもない赤黒いところが気づけば目に入ってきて、その自分を潰そうと泣く日々。生活の至る所に影を見つけては底なし闇に突き落とされる。この短い期間で家族に呆れ

        散るな、まだ、

          月日は巡る

          お疲れ様です。 いよいよ2週間の教育実習が始まりました。言葉にできないような漠然としたでかい不安を抱えて、通勤通学ラッシュの電車に足を踏み入れ、耳元では高校生の頃聴いていた歌が流れていきます。 やっと昨日で半分乗り越えたのですが、金曜日の昨日はともかくとして毎日泣きながら実習先の母校に向かい、バタバタとやるべきことを仕上げ、必死に定時または定時ちょい後に帰宅。その日の出来事を流暢に家族に話したかと思えば、晩ごはんも口を通らず泣きながら23時までには床につく。そして朝6時半起

          月日は巡る

          猫を飼う

          フォロワーのいない、ある壁打ちアカウントがある。その名前が猫飼い。 実の所私は犬(♀、10)を飼っているが、猫への憧れも昔から少なからずあった。野良の子猫を拾ってきてはよくある「返してきなさい」を言われて泣く泣く戻しに行ったり、大学生になってバイトを始めてからは飼育用具などの値段リストをまとめ、親にプレゼンして玉砕したこともある。祖母が猫だけは受け付けないこと、またウチの犬が極度の人見知り(他犬、動物含め)なのもあり、この家にいる間は無理という結論に至った。 猫カフェやペッ

          猫を飼う

          「恋人ができたんだ」

          3月の終わり、スマホに残った意味深な写真を見て頭に流れたのはこの曲だった。 その写真には、ライトアップされた桜が写っている。綺麗さも追究してない。ただ目の前にあるから撮っただけ、と言わんばかりの拙い1枚。前後のストーリーももうあまり覚えていない。 その1年後に撮ったのが見出し画像。1年前と同じ場所、同じ日、一眼レフと共に桜を写真に収めた。あえて1年前の写真を意識したのか、我ながらわざとらしい美しさを感じた。 さて、さらにその1年後、今年の3月末。桜はまだ咲いていない。今で

          「恋人ができたんだ」

          「おもいで」

          この一瞬一瞬も、その一部にしかならないだろうけど、思い出になっていく。 勝手に一人で泣き叫んだ昼も、「目腫れてる?」と伯父や伯母に言われたことも、親の前で漫画を読みながら静かに大粒の涙を流し続けてしまったことも。この先の未来で何が残るかが変わっていくのだろう。もしかすると、今記さなかった出来事が思い出に変わっていくかもしれない。 どこで知ったか分からない。気がつけば読んでいた、あるノンフィクションSS。自分に重ねて、投稿して載ってみたりもして。その漫画の最終巻を読んで泣いて

          「おもいで」

          前進

          別れって前に進む前触れというか、進む中での1つの区切りだよなー。って。 始めはシャイで無愛想気味な子だった。 計算だけ早くて、あとは何もしない。できないんじゃなくてできない。そんな生徒。 親戚じゃない他人に勉強を教えるのは初めてではなかったけれど、ある意味担任、その上当時は唯一の教え子になった。 高校に近いし、、と比較的軽い気持ちで応募し、それに後悔しつつ重い腰を上げて出勤したことも少なくはなかったけれど、今となればもう名残惜しくて仕方がない。 今日、2年半担当した生徒の

          ある冬の1日

          眠れないので普通の日記的なのでも書く。 そろそろ5年日記に手をつけたらどうやと思いつつも、手軽なスマホもあるし、今年に入ってから毎日あったことは手帳につづっているので出番が減りそう。5年日記も助けてやれよ。というのはともかく。 前の記事を見返していると、みかんを食べてないとかなんとか書いていたのを見つけた。ちなみにこの記事を書き終わった数時間だか数日だか後、大量のみかんを食べて手が黄色くなった。フラグ回収もいいところである。 日付が変わったのでもう一昨日。あるインディーズ

          ある冬の1日

          いつも通り

          ってなんだろう。 この日々が当たり前じゃない、って思い始めたのはわりとここ数年、それどころか最近だったけど、では気づく前は当たり前で構成されていたのだろうか?そうでもないような。 小学生の頃、今思えばいじめのようなものに巻き込まれていたが、当時はとりあえずやり過ごせればいっか〜、仲いい子はいるし〜と乗り越えていた。楽観的で面倒くさがり、とりあえず言われればやるしなんでもできる。そんなふわふわした小学生だった。当たり前も何も、変化の少ない毎日ばかり楽しんでいた、ような。そん

          いつも通り

          あたらしいとし

          あけましておめでとうございます。 2年ぶりにこの文言を言えました。去年は喪中だったもので。 2023年を振り返るのはその年中にすべきだったんだけど、バイトが思った以上に辛くて(笑)、大掃除もフリマ出品などが捗って結果バタバタしてしまいこうなりましたっていう言い訳。 2023年。まあまあ辛いこともあるにはあったけど、1年を走り抜けた今思うこととしては、「いい一年だった」!これに尽きます! 前半は色々ありました。 当時の片想い相手に失望したり、一瞬だけ付き合った人がいたものの

          あたらしいとし

          なかなかに物騒な見出し画像になってしまった。 今までの自分で一番好きな髪色、髪型の頃。一番自分勝手に生きていた時期かもしれない。笑 社会に縛られてる実感をここ数ヶ月で痛いほど感じるようになった。就活ムード。教育実習の話。アルバイトのこと。今までもバイトで髪色の縛りはあれど、逃げることが出来たが社会人ともなればわけが違う。私が派手髪をできる日はこの先来るのだろうか。あと一度だけでもホワイトカラーしたいのだけど。。ひとまずは就活と課題に全力投球することと。する。結局ぐだぐたして

          喧嘩腰

          ある教え子は、わりと何に対しても喧嘩腰な少年。 私には当たりが強くなかったことは救いだ。もう担当してから2年、中1のまだ幼い頃から比べるとすごく大人びたなあ、と卒業2ヶ月前の今思う。 昨日、ある友人とのメッセージ履歴を見返していた。自分って、穏やかな人間だという自負があった。だがいつとは言わないが、その友人に愚痴をぶちまけたことがある。その愚痴が、対象に対し死ぬほど斜に構えていたのだ。今見ると非常に気分が悪い。あまりにも相手を見くびりすぎでは?と。笑 感情を露わにするのは

          冬の気配

          昨日、車で恋人とクリスマスが近づいている話をした。クリスマスということは、冬も真っ盛りの時期である。12月が始まった。実感はまだないのに。 手袋とマフラーが手放せない。息苦しくてもマスクをしたくなる。極めつけはベッドから出られない。ああもう冬だ。現時点で完全に。 まだ今年はみかんを食べていない。会話にはよく出てくるし、少なくとも2度はみかんを目の前にして食べないことを選択してしまった。少しもすれば「手が黄色くなった」と笑いながら恐ろしい数のみかんを腹の中に収めているのだろう。

          冬の気配

          自分との格闘

          ネット社会というものは、良くも悪くも人間の思考をガラッと変えてしまったのではないか、と思う。 私自身、人生22年の半分ほどはもうインターネットと密な付き合いをしているが、親世代を思うと如何に自分が変な側面ばかり気にしているかを思い知らされる。 私は友達が少ない。交友関係こそ狭くもないが広いわけでもなく、その上深さは殆どない。 気になること、というのも大概は親にすら話すのが億劫なことばかりである。うつ病や自律神経失調症が良い例。そこに話せないともなれば、頼るはネットの海か私の

          自分との格闘