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ゆめ

5月。色々あったね。
書く準備はしていたんだけど、わりと現実って残酷で。やっと書く気力も湧いてきました。

4年越しの夢がやっと、本当にやっと、叶ったんです。そのこと自体夢のようで、でも手元に残った日誌、指導担当の先生からもらったシール、クラスの生徒からもらった手紙が夢じゃないことを物語っている。

正直、最初は本当に辛かった。
たった2週間。早起きなんて無理だよ。先生も怖いかもしれないし。生徒が受け入れてくれなかったらどうするの。そもそも向いてないのに、行く意味ある?何度も辞退を考えた。でも、ここで逃げたら私があれだけ泣いて這いつくばって大学に辿り着いた意味は泡になって消えてしまう。その葛藤。ここで諦めたら高校生の私は報われない、そう腹を括って実習に乗り込みました。それでも緊張して怖くて、身内に無理を言って慰めてもらい、背中を押されて、やっと迎えた初日でした。

全部で2週間、10日。結局7日目くらいまでは朝泣いていた。SHISHAMOの曲を聴いて必死に涙を落ち着かせ、自分を奮い立たせて教壇に立ち続けた。
70分×16コマ。同期の実習生の中では飛び抜けて多いコマ数だった。幸い指導教官はすごく優しいマダムで、優しくアドバイスをくれることもあれば嬉しくなるくらいに褒めちぎってくれたこともあった。

クラス業務も少し任されていた。6つ下、高校2年生。何気なしに話した生徒が同中の出身で従姉妹の幼なじみだったとか、一目置いていた生徒が部活の後輩にあたる子だったとか(3例あり)。中学にインターンに行っていた頃から名前を覚えられていた子もいた。案外世間は狭いものだ。
その時期なりに沢山話してくれる生徒もいれば、不器用に名前を呼んでくれる生徒もいた。愛おしい日々だった。

実習終了2日前のLHRは、我ながらいい話ができたと自画自賛している。以下はメモから思い出した、話の内容。

『①勉強や将来のこと
今はどちらかといえば、見えない軸にひたすら点を打っていくフェーズにあたる。今打った、過去に打った点はいつか線となって繋がって、自分の軸が完成していくもの。生きていく上で無駄な知識は存在しない。視野を、世界を広げられるもの。

ちなみに私は高校3年間は理系だった。大学から文学部に行った理由は1つ。英語なら、心から好きと言えたから。これからも学びたいと思えたから。教育学部に行かなかったのは、広い世界を見たいから。教員という夢だけに縛られるべきではないと思ったから。憧れの人物がそう言っていて、納得したから。
進路は大学選びに限らず、将来のことは深く考えなくてもいい。「なにになりたい」に囚われないで欲しい。勿論なりたいものがあるのは素晴らしいことだけど、「これなら楽しい」とかそんな理由でいい。いつかは「なにになりたい」やその逆に繋がるものが生まれてくるものだから。

②生きていく上で大切なこと
人生は何でも挑戦。皆そう言っている。
ここで、ある3人を紹介した。

1人はある大学生。ちなみにこんな話をする、とこの件を打ち明けたときに、「挑戦が大事」って言って欲しいな、と言ったのは彼だった。小学校後半から中学校は不登校。勉強なんて何もしていない。そんな彼は定時制高校に進んだ。コロナ休校を挟んだものの、彼は大好きな楽器を片手に毎日高校に赴き、最後は首席、皆勤で高校を卒業した。悩んでいた大学にも指定校で進学した。
そんな彼は現在大学2年生、たまにサボることはあれど彼なりに好きなことを突き詰めている。

2人目はある社会人。
彼は中学時代、学年順位1桁台をよく取っていた。しかし中3で不登校を経験し、なんとか高校を卒業して現在は高卒で社会人として働いている。
彼は高校を出てから今までで、1人でバンドが出来るような人になった。学生時代の苦手教科は音楽。そんな彼も、色んなことにチャレンジする人。わたしは彼に、挑戦を改めて教えてもらった。

最後は、あるおばあちゃんの話。
彼女は60歳で大学に入り直し、それから様々なことにチャレンジしている。ある日は絵葉書を書くために画材を抱えていた。ある日は社交ダンスの話をしていた。そして70歳になったこの前、テニスを始めたらしい。嬉しそうにラケットを買いに行く話をしていた。

この人達に、私は改めて気付かされたことがある。
「人生はいつでも挑戦」。1人目は大学2年生の弟。年下にこんなことを改めて気づかされて拍子抜けした。踏み出さなくちゃ何も始まらない…って何かの歌詞にあったのは本当のことで。何も考えずとりあえず行動してみるのもいい。いきなり踏み出すのが怖いなら調べてみるところからでもいい。どれも立派な一歩で、無駄な挑戦なんてない。

丁度皆と同じくらいの6年前。私は病気になって高校に通えなくなった。実際休みと遅刻を沢山して、3年間の1/4位は高校に通っていない。先生方や家族、友人たちに支えられ、3年間で卒業できたものの、待ち受けていたのは先の見えない闇、コロナ禍。そしてうつ病。それから1年休学し、今に至る。
こんな偉そうに語っているけど実習直前から2日目くらいまでは不安で死にそうだった。挑戦することなんてとうの昔に忘れていた。それを教えてくれたのは先程の人たちもそうだし、この実習で改めて夢を追う高校生の皆を見て気づいたこと。

まとめとしては、自分に厳しくするのもいいけど優しくしてあげてほしい。あとは挑戦を忘れないでほしい。さっきも言ったけど、今やってる事は決して無駄にならない。それがよく分からない数学であれ、経験したくもない失恋であれ(これは言ってないな笑)…何でも糧になる。
沢山学んで、沢山経験してください。これが22歳の大学生が高校生の皆、そして過去の自分に伝えたいことです』

…と。最終日前日の5時間目に話したことだった。
2人目と3人目はこの直後に縁が切れる。この先どうなるかなんて私には分からないけど、まだその心の整理はついていない。ぶっちゃけまたこの縁は薄れているだけで、また色濃く繋がって欲しい、というのが今の私の願いだったりする。

最終日は研究授業を控えていて、解放感なんてミリもなかった。8日目、お世話になっていた先生に言われたのは「(私の)2年の頃の担任を意識してる?」…。して、ない、はず。だった。
研究授業を経て、英語科の先生数人に同じことを言われた。知らぬ間に彼のDNAを色濃く受け継いでいたのかもしれない。
最後、英語科準備室で指導教官、実習の願書を渡した先生、教官の隣でたまに話してくれた非常勤の先生と話していた。
泣かないと決めていたのに、指導教官の目が滲んで、その目標は打ち砕かれた。寂しいです、って。教官って怖いものだと思ってたのに。教育実習ってもっと辛くてしんどいものだと思っていたのに。先生なんて目指すもんか、って思えると思っていたのに。

先生なんて目指せないと思っていた。ランドセルを背負わなくなる辺りから、日々自分の心の弱さと闘ってきた。そんな中で抱いた「教師」という夢を、私の周りの多くの人は反対した。私が弱いから。
そこまで言われてもその夢は消えなくて、最終的にこの目標だけを頼りに大学を目指した。入ってすぐに鬱をこじらせ、結局周りの意見も変わらず私は折れてしまって、免許を取るだけでいいかと思い至った。せめて免許だけは取って、学生時代の自分への償いとするしかない。
4回生になった。塾講師のバイトを再開して、家庭教師もとうとう卒業生が出てきてしまった中で、たまに言われるようになった「教師に向いてる」という言葉。素人に何がわかる。どうせ弱いからなれない。捻くれて、不安に打ちひしがれて、飛び込んだ教育実習だった。
後半で教官が口にしたのは「適性ありますよ」という言葉。現職の方に言われると心は揺らぐ。嬉しいことに、研究授業後に先生方からはこの言葉を沢山もらった。
そうか。私は何だかんだ先生を目指していたんだ。
この大学時代を経て、憧れに限りなく近づけていたんだ。ふと思えば、最近先生なんてなれっこないという大人がいなくなっていたことに気づく。
内諾をもらいに行く時、高1の頃の担任と話した。実習の際には転勤でいなかったが、確かにその時彼は昔のように「向いていない」なんて言わなかった。
放課後、「夢叶った」なんて言えばみんな喜んでくれた。次は教師として戻ってきてよ、って嬉しい言葉をかけてくれる先生もいた。

教育実習。私は高校時代の、ひいては中学生の頃からの夢を叶えた。教壇に立つ夢。高校生の自分にとっては、母校高校で教鞭を取る夢。
そう自覚した時。担当が「寂しいけど、本当によく頑張りました」と涙ながらに言ったと同時に、抑えていた感情が溢れ出した。
ああ、頑張ってよかった。確かに背中は押してもらったし、毎日家族に、(元)恋人に、友人に、そして実習の同期たちに、励まされて実習していた。それでも、自分に大きく自信がついた、そんな実習だった。

ちなみにこの後、天文部におじゃましてボーナスタイムを楽しみ、私の実習は賞金首をかけられて終わることとなる。


思い出ふぉと

こんなに長くnoteを書いたのは初めて。
最後、実習のお供の曲を紹介させてください。

いいことばかりじゃないからさ
痛くて泣きたいときもある
そんな時にいつも 誰よりも早く
立ち上がるヒーローに会いたくて
痛いけど走った 苦しいけど走った
報われるかなんて わからないけど
とりあえずまだ 私は折れない
ヒーローに自分重ねて 明日も!

♪「明日も」/ SHISHAMO

何度この曲に救われたら気が済むんだろ。
学校に行くのが辛い高校時代。ホームシック(笑)と不安でいっぱいの免許合宿。そして、教育実習。
ヒーローは沢山いた。糸がぷつりと切れた人。だんだん細くなっていった人。今もしっかり繋がっている人。その時その時で変われど、その人との縁が薄くなってしまえど、ヒーローだった過去は変えられないし、変わらない。
移りゆく縁、それが人生なんだと諦められるのが大人なのだとしたら、私はまだ大人になりたくない。

掴めるもんは掴むし、取り返せるもんは取り返すし、夢は全部叶えるし。欲張りなクソガキでいたいと思う。

アノ

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