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冬の気配

昨日、車で恋人とクリスマスが近づいている話をした。クリスマスということは、冬も真っ盛りの時期である。12月が始まった。実感はまだないのに。
手袋とマフラーが手放せない。息苦しくてもマスクをしたくなる。極めつけはベッドから出られない。ああもう冬だ。現時点で完全に。
まだ今年はみかんを食べていない。会話にはよく出てくるし、少なくとも2度はみかんを目の前にして食べないことを選択してしまった。少しもすれば「手が黄色くなった」と笑いながら恐ろしい数のみかんを腹の中に収めているのだろう。

そういえば、今の学年ももうすぐ終わる。入学後2,3年間に比べて平坦ではあったものの、何だか光の速さで過ぎていった。ちなみに進級は確定しているが、卒業できるかには一抹の不安がある。卒論。就活。頭が痛くなって吐きそうになる。笑
社会に出るには通らなければならない道なのだが、大学受験よりもプレッシャーが大きい気がしている。4年前の今頃には合格発表を見て安堵し、家族全員の前で号泣していたのを思い出す。ごめん。結局そこ以外は受けることから逃げ、もう入学して4年が過ぎようとしている。
話は戻るが、当時教員免許を取るという目標がなければ自分が大学生をやっていた自信がない。ただ、資格のために大学を目指したようなもん。でもその資格は今後使うかわからないさまだ。教師という職に憧れてはいたものの、色々な場所で知り合い(特に子持ち)から聞くのは「先生は世間知らずが多い」という言葉。否定はしない。高校生の頃からそれは知っていたし、憧れていた先生が文学部出身なのもあり、故に教育学部は目指さなかった。
でも、意外と教育方面志望が多かった。最近ゼミを移動したのだが、英語教育を研究するところ。もう実質教育学部である。
今は、人を支える仕事がしたい。教師もその一つだとは思うが、教師にならずとも人を支えられる仕事というものはこの世に沢山ある。または教育を提供する側。これも教師に当てはまるが、教材編集なんか楽しそう。休学中に従姉妹や弟に教材を作ってほいほい渡していた過去が懐かしい。
英語を求める人間は老若男女問わずいるので、そこに応えるのもありだと思いつつ、まずは上に挙げた職に就いて暫くしてから、先生を目指すつもりでいる。

現実逃避中。実は目の前に1000単語必須の論文を前にしてこれを書いている。安楽死とかこの上なく哲学的な問題をどうして取り上げたのだろうか。導入ならまだしも、本文が難しすぎてクラクラする。結局今日は進捗はあまりなかった。最後の授業はライブで休むので、なんとしても完成させねばなるまい。純粋に難しい。こればかりはこのテーマを選んだ自分を呪う。

さて、今日はこのくらいにしとこうかな。
昨日、よく聴くラジオの主さんが仰っていた。この世界は自分が一番なのだから、自分に一番耳を傾けてあげて、と。そして、当たり前のように思えることにも感謝をし、思いやりを忘れないということ。(要約)
自分ファーストでありながらも、些細なことに感謝をし、思いやりを。当たり前のようでかなり難しいこと。ここ最近慣れてきたからこそ、できてない自分に気づいて落ち込むことが多い。笑

余裕がない日も勿論ある。それは周りの人間も同様だからこそ、相手してくれて、相談に乗ってくれている誰かに感謝を。そして、あわよくば私はそんな誰かを救える人間でありたい、っていう自分勝手な綺麗事。

こはく。

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