見出し画像

猫を飼う

フォロワーのいない、ある壁打ちアカウントがある。その名前が猫飼い。

実の所私は犬(♀、10)を飼っているが、猫への憧れも昔から少なからずあった。野良の子猫を拾ってきてはよくある「返してきなさい」を言われて泣く泣く戻しに行ったり、大学生になってバイトを始めてからは飼育用具などの値段リストをまとめ、親にプレゼンして玉砕したこともある。祖母が猫だけは受け付けないこと、またウチの犬が極度の人見知り(他犬、動物含め)なのもあり、この家にいる間は無理という結論に至った。
猫カフェやペットショップに居座って猫を眺めたり、野良猫にしつこく絡みに行っては逃げられることを繰り返していた矢先、出会った恋人は実家に猫がいる人だった。

実家に連れていってもらう度に猫を愛でている。それは今も変わらない。ただ、私の猫飼いたい欲は徐々に薄れている。
以前、彼氏持ちの友人たちと話した時。彼女たちは皆「子どもがいる感覚かも」と言っていた。1人は中高生くらい、もう1人もそのくらい。私が彼に対して抱いたのは、もはや赤子や幼稚園児、はたまた猫に近い感覚だった。気まぐれで、デレるときはとことんデレる、機嫌が悪い時はとことん悪い。昔、趣味タグにも「猫」だか「ねこ」だか、何か書いていたなあ。もうあの頃の記憶は薄くなって、私の頭の引き出しの2段目くらい(←?)にしまわれている。
話を戻すが、とにかくある日は果てしなく可愛い彼氏、ある日はさりげないイケメン(いつもイケメンだがその5割増)、またある日は何も喋らなくて少し扱いづらい。笑
たまに彼との出会いを語りたくなるが、まだ早いような気もしている。それでも出会ってもう8ヶ月が経つ。早いような、妥当な速度のような。遅いとはあまり思わない。またその時が来れば綴ろうかな。

本日の1曲。
4年生になり久々の、絶望しながら向かう1限目。家を出る直前、はたまたある日は朝起きてきた頃に台所のテレビから流れてくる。

「誰かを愛したくて でも痛くて いつしか雨霰」

「さよーならまたいつか!」/ ♪ 米津玄師

元気づけるでもなく、それでいて暗くもない、私の嫌いな朝に合いすぎている1曲。大好きな米津玄師なのも熱い。
もう4月が終わってしまった。あと5ヶ月、この曲が苦しい社会に出る私の背に手を添えてくれるのだろう。

コハク。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?