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いつも通り

ってなんだろう。

この日々が当たり前じゃない、って思い始めたのはわりとここ数年、それどころか最近だったけど、では気づく前は当たり前で構成されていたのだろうか?そうでもないような。

小学生の頃、今思えばいじめのようなものに巻き込まれていたが、当時はとりあえずやり過ごせればいっか〜、仲いい子はいるし〜と乗り越えていた。楽観的で面倒くさがり、とりあえず言われればやるしなんでもできる。そんなふわふわした小学生だった。当たり前も何も、変化の少ない毎日ばかり楽しんでいた、ような。そんな記憶。

さて、では中高は?と言われると当たり前じゃないことが当たり前だった。
小六になり、弟が本格的に不登校になったことで徐々に「なんで自分だけ学校に行かなきゃいけないんだろう」とまだ子どもの頭で考えていたのはなんとなく覚えている。2学期になって仮病を使う日がたまに出てきて、中学に入ればその仮病も本当の病になってしまった。1年の頃。月曜はお腹が痛くても痛くなくても学校は休む(1学期のテストが散々で成績もやばく、流石にこれはやめた)。クラスが嫌いで腹痛になり、遅刻や欠席も少なくない。2年は楽しみを見つけて2学期以降は皆勤だったが、3年になり、2年の担任にもらった「脱不登校」の称号も気づけば水の泡。また周りからは腫れ物扱いに戻る。

なんか被害者ヅラしてるみたいでいやだけど、なんか振り返りたくなったのでこのまま高校時代の話にいく。

高校に入って、最初は勉強もよくできた。偏差値70前後の高校、入って少し経った頃の校内模試は学年1位。3年後は某国立大に通って、7~8年後には教壇に経つ夢を叶える。キラキラした未来が見えていた。上手く走り抜けられればよかったのだが、4つのクラブと生徒会、勉強や学級活動の代表とかなりのタスクを背負い、2年の前半にストレスで溢れたバケツと共にその未来は暗転した。
朝始業前にいれば天変地異を疑われる。テストで赤点は当たり前。出席日数と周りからの圧に苦しむJKライフ。変な当たり前ができていた。親に毎日車に乗せられ、泣き言や愚痴を零しながら2~3時間目の高校に行っていたのは今となればいい思い出だし、母には頭が上がらない。1年と少し、その生活は続いた。センター試験や国公立、有名私立大を一切受けずネームバリューがある中堅の大学に逃げ、先生たちに頭を下げて高校から逃げるように卒業した。
これが当たり前として生きていたんだから変な話だが、かのパンデミックでその歪んだ当たり前、思い描いた生活すらも送れない日々に心を壊した。

好きなことも出来なくて、目の前のことや好きなこと、興味があることを忘れたり、思い出せなくなった。今までの可笑しな当たり前ですらも愛しくなるくらい辛かった。

心を休めて再び大学で再スタートを切った。学部の友人やダンスサークル、カメラ関連の友人、同じライブ会場で出会えた友人たち。疎遠になった人も少なくはなかった。色々な人との出会いと別れを経て、やっとこの毎日すら当たり前じゃなかったと気づく。22年かかった。それは遅いのか早いのか、私にはわからない。

今の至って普通の生活が愛おしくなるくらいには、それなりのドン底を見てきたつもり。生きることすら億劫になることも少なくなかったが、この経験が視界を明るく広く変えてくれたなあ、とつくづく思う。

僕らは知っている 奇跡は死んでいる
努力も孤独も 報われないことがある
だけどね それでもね 今日まで歩いてきた
日々を人は呼ぶ それがね 「軌跡」だと

♪僕のこと/Mrs. GREEN APPLE

この曲を初めて聴いたのは高3の頃だった。それこそエブリデイ遅刻or欠席、エブリデイ頭痛or腹痛。そんな中で生徒会の補佐をしていたのだからどうかしていたけど、その仕事の一環でこの曲に巡り会った。リリースからもうすぐ5年経つ今でも頻繁に聴く曲です。

というか、そもそも、ここまでの軌跡を築いてこれたことこそが「奇跡」じゃないか。
その奇跡を噛みしめて、明日からの日々もまた大切な人たちと共に過ごしていけますように。
日付が変わった。今日もがんばろ。
今日は初めての教え子の背中を押して、わたしもそのバイト先を「卒業」する日。

アノ

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