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散るな、まだ、

季節外れではあるけど。
ふと、春泥棒が頭をよぎった。最近ギターを本格的に練習し始めて、春泥棒のサビ前コードを一生弾いている。じゃーじゃじゃじゃじゃん。はらり…

この曲の解釈って、少なくとも2~3パターンは取れると思うのだ。うちひとつはライブの演出でしっかり公式解釈と取れたものがあったので割愛する。勿論泣いた。コーギー、お前だったのか…。
さて、またひとつ春と別れを告げた私たち。
春泥棒は死に別れた恋人を追いかけるある死者の思い出だと思っていたし、公式解釈も限りなくそれに近いものだったが、最近になって自分なりの解釈を持てた。それをメモしたくて今回わざわざ筆を取った。

まだ恋人がいた身ながらこの前の春、この曲を聴きながら私は「これ、至高の失恋ソングじゃん」って思ったことがあった。それから私はクソデカ失恋を経験し、その解釈に磨きをかけて今に至る。さて、好きな解釈発表ドラゴンといきます。

主人公は、ついこの前までの恋に未練がある。風が吹くのを待っているのは、桜の花びらの形をした思い出が散ってなくなるのを待っているから。
歌詞の中に出てくるのは、その思い出の数々を春に重ねているのだろう。
今日も会いに行く。明日も会いに行く。
その中で、時間は確実に流れていく。気づけば彼女は…。
桜の花がもうなくなったとき、かつて隣にいた人は、その春を奪った人というのは、きっと過去のものとして記憶の引き出しの奥深くに仕舞えたのだろう。春仕舞いとは上手く言ったもので…。

主人公の春泥棒こそが、去った恋人のことだった。
正直自分に重ねていることは否めない。最初この解釈を思いついたのは確かにまだ恋人が隣にいた頃だが、この記事を書くに至ったのは彼がいなくなったからだった。

なんだかんだ戻ってきたけど。あのときの憑き物が取れたような軽さ、それでいてひとつの日常が消えた虚しさ、前を向きたくても向けない不甲斐なさ。
忘れられない気がする。

アノ

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