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ハンガリー映画史⑬-B 二度目の黄金時代へ 80年代のドキュメンタリー(1979~1989)

ハンガリー映画といえばネメシュ・ラースロー『サンセット』が公開され、エニェディ・イルディコ『私の20世紀』やタル・ベーラ『サタンタンゴ』がリバイバル上映される今年は正にハンガリー映画イヤーと言えるかもしれない。

新たな道を模索したハンガリー映画界はドキュメンタリーという分野から多くの手法を吸収することで、新たな黄金時代を築き始めた。今回は共産主義政権が崩壊する前夜にもう一度花開いたハンガリー映画二度目の黄金時代についてご紹介!例の如く長くなってしまうので分割してお届け!

・アート系映画での実験

Bódy Gáborは1975年にドキュメンタリーと実験映画を過激に混ぜ合わせた『Amerikai anzix (American Torso)』(1975)を発表した。その数年後、Weöres Sándorの詩を原作とする4時間半に及ぶ超大作『Nárcisz és Psyché (Narcissus and Psyche)』(1980)を製作した。同作はハンガリー映画のポストモダン的潮流を統合した作品と考えられている。主人公は19世紀初頭を生きる梅毒持ちの博学な詩人、生きる喜びと色情狂的傾向に満ち溢れたジプシーの伯爵夫人、そして科学的な野望を持つシレジア人男爵の三人。彼らは肉体・精神という人間の持つ二つの性質を具現化した"典型"として特徴付けられている。そして、三人は(彼らの言葉で)"完璧な人生"を送りたいと望んでおり、同時に永遠の三角関係で結ばれた仲でもある。ナポレオン戦争時代から第一次世界大戦まで一切歳を取らない幻想的な物語も然ることながら、劇中の出来事は人物たちの性的情熱によって引き起こされ、歴史的な出来事は個人個人のものとして受け取られるのだ。アール・ヌーヴォー的な映像は非常に見応えがあり、古典的でロマンチックな物語は実験的アプローチによって強化されている。映画の冒頭とラストに置かれたドキュメンタリー的な回想シーンは徐々に崩壊していき、映像と声が混ざって理解し難いものとなり、時間や個人が過去を侵食していく。同作は"意識"についての唯一無二のドキュメンタリーであり、疲れなど感じることはないだろう。

・80年代のドキュメンタリー

ドキュメンタリー製作は80年代に入っても続いており、それらの多くが似たような題材を扱っていた。モルドヴァン・ドモコシュ(Moldován Domokos)は文盲だが非常にお金持ちな商人についての色彩豊かでウィットに富んだ作品『Rontás és reménység (Bewitched by Hope)』(1981)を製作した。Gyarmathy Líviaは、ゲットーから逃れようとして侮辱され、同胞からもハンガリー人からも強盗にあうジプシーについての映画『Koportos』(1979)を製作した。Vitézy Lászlóの『Vörös föld (Red Earth)』(1982)は権力者とその不器用で悲劇的な被害者たちとの利害の不一致を描いている。

しかし、これらのドキュメンタリー或いは長編映画はもはや地域社会での暮らしの良いモデルを提示することは出来なかったし、70年代初頭から中期にかけてブダペスト・スクールが提示して流行となった先例たちと比べても新規性は希薄だった。Vitézy Lászlóの『Békeidő (Peacetime)』(1979)が全く映画を終結させようとせず、敵が徒党を組んでどんちゃん騒ぎをする終わらせ方を選んだのが象徴しているのかもしれない。同じく、Dárday Istvánの『Harcmodor (Stratagem)』(1979)では、よくあることで戦った人々が負け、その敵が称賛されるという終わらせ方を選んでいた。

・実際の出来事と映画

80年代になると、実際の出来事を扱った映画が増え始める。これも70年代にドキュメンタリーが盛んに製作された結果と見て差し支えないだろう。歴史の埋もれた点を他のタブー的な題材と共に、白日の下に晒した。更に言えば、これら過去の出来事をどう経験し、どう記憶しているかを個人の視点から描いたのだ。この"集合意識"の誕生は、語り部の発するバラバラの文章が次第に連続的な物語を形成する過程に見ることが出来る。代表的な監督にシャーラ・シャーンドルがおり、以下の作品がある。
『Néptanítók (Teachers)』(1981)
『Pergőtűz (Crossfire)』(1982)
『Sír az út előttem (The Road Is Crying in Front of Me)』(1987)
『Csonka (Bereg)』(1989)

別のアプローチとして、過去の出来事を年代記として並べるという手法もあった。代表的な作品に以下のようなものがある。
Ember Judit『Pócspetri』(1983)
Ember Judit『Hagyjátok beszélni a Kutruczot! (Let Kutrutz Talk!)』(1985)
Gazdag Gyula『A bankett (The Banquet)』(1981)
Ember Judit&Gazdag Gyula『A határozat (The Decision)』(1972→1983初上映)
Gulyás Gyula&János『Én is jártam Isonzónál (I've Been at Isonzo Too)』(1986)
Gulyás Gyula&János『Törvénysértés nélkül (No Legal Offence)』(1988)
Gulyás Gyula&János『Málenkij robot (Malenki Robot)』(1989)
Sipos András『Statárium (Martial Law』(1988)

Ember Juditは『Hagyjátok beszélni a Kutruczot! (Let Kutrutz Talk!)』(1985)で、スリラー映画を彷彿とさせる手法を用いて、数時間もあるドキュメンタリーの中に対立する意見をまとめ上げた。当局はこれらのドキュメンタリーのうち幾つかを題材を理由に上映禁止とし、体制が変わる1989年まで封印された。面白いのは、上映は禁止するのに製作は許可されることだ。上映禁止処分となった作品は下記のうちEmber Juditの『Pócspetri』(1983)や『Hagyjátok beszélni a Kutruczot! (Let Kutrutz Talk!)』(1985)に加え、Monori Andrásの『Bebukottak (The Fallen)』(1985)も含まれている。同作は初めて観客を秘匿なく少年刑務所に連れて行った作品でもあった。

・潮流の終焉

80年代から90年代になり始めると、このように過去のことを取り憑かれたように情熱的に調べ上げるという手法もなんだかんだ終わりを迎えてしまう。しかし、薄れゆく記憶を可能な限り掘り起こしたことで、その使命は完遂したのだ。

Forgács Péterだけは、Bódy GáborやTímár Péterの足跡を追うように、90年代に入ってもこの伝統を引き継いだ。彼は20年代と70年代という最も多事で悲劇的な時代のアマチュア映画を収集・レストアして上映し、ある種の"私的な歴史"を構築した。12ものパートに及ぶ連作"Privát Magyarország (Private Hungary)"は『Bartos-család (Family Bartos)』(1988)に始まり、『Dusi és Jenő (Dusi and Jenő)』(1989)などを含め、『Csermanek csókja (Kádár's Kiss)』(1997)まで続いた代表作である。これらの作品は家族という非常に小さな世界を掬い取ったホームムービーであり、彼らの親密な行動が自然に映し出される。カメラに向けて"演技をする"ような場面も存在するが、カメラすら家族の一員なのだ。そして、歴史は背景として薄っすら感じる程度しか関わってこない。

・ドキュメンタリーの90年代

80年代の終わりから90年代の前半にかけて、ドキュメンタリー作家たちは過去から現在に目を向け始めた。80年代の経済的変化が目に見える形で現れ始めたのだ。新しい市場経済は社会の大部分に大きな影響を及ぼし、過去を調べるのと同様に、この移行を調べるには取り憑かれた人間が必要だった。例えば、この時代まで残っていたドキュメンタリー作家であるGyulaとJánosのGulyás兄弟は『Ne sápadj! (Don't Look Pale)』(1981)からキャリアを始めた。
また、Schiffer Pálはもっと昔の70年代からドキュメンタリーに取り憑かれたように取り続けている。その時期の代表的な作品は以下の通り。
『Fekete vonat (Black Train)』(1970)
『Cséplő Gyuri (Gyuri)』(1977)
『A pártfogolt (The Protégé)』(1981)
『Földi Paradicsom (Heaven on Earth)』(1983)
『Kovbojok (Cowboys)』(1985)
『Dunánál (By the Danube)』(1987)
彼は90年代に入って、ハンガリーの情報産業の基盤となった小さな町工場とその何千人者もの労働者の年代記製作に目覚め、『Videoton-sztori (Videoton-Story)』(1993)や『Törésvonalak (Breaking Point)』(1998)といった作品を製作した。

『Ballagás (Graduation)』(1980)といった劇映画を撮っていたAlmási Tamásもドキュメンタリーに転向し、国でも有数の巨大製鉄所について調べ始めた。これについて、彼は『Szorításban (Tight Hold)』(1987)や『Tehetetlenül (Helpless)』(1988)などを発表した。


ハンガリー映画史⑬-C につづく

※ハンガリー映画史これまで

ハンガリー映画史① 黎明期(1896~1910)
ハンガリー映画史② 繁栄の時代(1910~1919)
ハンガリー映画史③ 戦間前期 来なかった黄金時代(1919~1925)
ハンガリー映画史④ 戦間中期 復活の兆し(1925~1932)
ハンガリー映画史⑤ 戦間後期 コメディ黄金時代(1932~1939)
ハンガリー映画史⑥ 第二次大戦期 メロドラマの時代(1939~1945)
ハンガリー映画史⑦ 第二共和国時代の短い期間(1945~1948)
ハンガリー映画史⑧ ステレオタイプと復古戦前の時代(1948~1953)
ハンガリー映画史⑨ 社会批判と詩的リアリズムの時代(1953~1956)
ハンガリー映画史⑩ 人民共和国時代初期 静かなる移行期(1956~1963)
ハンガリー映画史⑪-A ハンガリー映画黄金時代 社会批判、リアリズム、歴史の分析(1963~1970)
ハンガリー映画史⑪-B ハンガリー映画黄金時代 ハンガリアン・ニューウェーブ!!(1963~1970)
ハンガリー映画史⑪-C ハンガリー映画黄金時代 日常の映画と商業映画(1963~1970)
ハンガリー映画史⑫-A 新たな道を探して 耽美主義と寓話(1970~1978)
ハンガリー映画史⑫-B 新たな道を探して ドキュメンタリーとフィクション(1970~1978)
ハンガリー映画史⑫-C 新たな道を探して ドキュメンタリー、風刺、実験映画(1970~1978)
ハンガリー映画史⑬-A 二度目の黄金時代へ 芸術的な大衆映画(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-B 二度目の黄金時代へ 80年代のドキュメンタリー(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-C 二度目の黄金時代へ 格差の拡大と映画の発展(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-D 二度目の黄金時代へ 新たな語り口とその様式化(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-E 二度目の黄金時代へ 繊細さを持った映画たち(1979~1989)
ハンガリー映画史⑭ そして現代へ (1990~)

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